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【エッセイ#28】好きと嫌いの間の小説家 -ナボコフについて

  
多くの場合、ある作り手を好きになることは、その人の作品を全て好きになることです。ピカソのように作風をがらっと変えてしまう場合は、少し違うかもしれません。しかし、大抵は、小説であれ、絵画であれ、音楽であれ、映画であれ、その人にしか出せないトーンというものがあって、それを好きになる場合が多い。 
 
しかし、時折、あまりその人の作品全体にはまらなくても、ある一つの作品だけがとても好きになる場合もあります。一体それはなぜかをよく考えてみると、なかなか興味深い事実が見えてくることがあります。



小説家のウラジミール=ナボコフは、私にとって「はまらない」、どこかしっくりこない作家です。そのアイロニーに満ちた文体と、細かすぎる仕掛けで、何回読んでも、どうも自分が拒絶されている感覚を持ってしまいます。 
 
1899年サンクトペテルブルク生まれのナボコフは、ロシア貴族の息子でしたが、幼い頃、ロシア革命により父親が死に、ヨーロッパに亡命。1940年に渡米し、以後、ロシア語だけでなく、英語でも小説を発表します。ロシア語でも書きながら、アメリカ文学に基本分類される、あまり他に類を見ない亡命作家です。



代表作は何と言っても『ロリータ』でしょう。幼い少女を愛する大学教授ハンバートが、一人の少女に執着して破滅するその小説は、しかし、その作品内容以上に「ロリータ」という言葉と概念だけが、完全に独り歩きしてしまった感があります。 というのも、この作品の文体の難しさ、というか面倒くささは、万人に親しみが持てるとは、到底思えないからです。

 
ハンバートが書いた回想録という体で進みますが、全編煩わしいまでの文学作品の引用、思い込み、一方的な憤怒、長ったらしい修辞で溢れています。少女愛好家であることは、とりあえず置いておいても、要はただの偏執狂の独白ではないかという気がしてきます。
 
こういうことを書くと、世のナボコフ愛好家から「そう、表面上はただの独白だけど、実は小説的な仕掛けが隠されていて・・・」と言われそうな気がします。しかし、その仕掛けも、どうにも波長が合ってこないのです。 


 
ナボコフ独自の「仕掛け」とはどういうものか、具体的に見てみましょう。ここでは、フィクションではなく、彼の自伝『記憶よ、語れ』で、訳者の若島正も解説で取り上げている一節を見てみます。
 

1922年3月28日の夜、十時頃、そこの居間でいつものように母は部屋の隅に置かれた赤いフラシ天のソファにもたれ、私はたまたまブロークがイタリアを題材にして書いた詩を母に読み聞かせていたーーそしてフィレンツェを歌った短い詩の最後のところで、ブロークがその町を可憐でけぶるようなアイリスの花に喩えている箇所まで来ると、母は編み物をしながら「ええ、そう、フィレンツェはたしかにけぶるようなアイリスに似ているわ、そっくり! 思い出すわねえーー」と口にしたちょうどそのとき、電話が鳴った。

若島正訳

と、ここでこの場面は突然切れ、その次に何の説明もなく、この場面と全く関係ない場面が来ます。それから、延々と「私」の祖父の話が続いた後、

 1904年3月28日に祖父は安らかに亡くなったが、これは私の父の命日のちょうど18年前で、一日も違わない。

若島正訳

 という文が、いかにもさりげなく置かれます。ということは、1904に18を足した、1922年の先の場面の日は、父が亡くなった日であり、鳴った電話とは、恐らく父が亡くなったことを告げる電話だろうということが類推できます。
 
そして、もっと後半になると、旅行鞄の話で、やはりさりげなさを装って、その鞄が、母が新婚旅行でフィレンツェに行った時買ったものだと書かれます。つまり、先の場面は、諸々繋ぎ合わせると、「母が父との新婚旅行の思い出を語ろうとしている時に、父の訃報を知った」という場面だったことが分かります。若島氏はこれを、「小説的技巧でなくてなんだろうか」と語っています。


 
この分析まで読んで私が思うことは、確かに良く考えられた仕掛けかもしれないけど、何というか、あざとすぎる、ということです。
 
小説を読む喜びというのは、こういう作者がわざと作ったトラップに引っ掛かることではなく、細部を読んで忘れたり思い出したりしながら、その世界全体を味わうことではないでしょうか。それは古典でもエンタメでも前衛小説でも変わりません。
 
好意的に見ると、「推理小説的」と言えなくもないですが、推理小説ほどのカタルシスは、良くも悪くもありません。ちょっと偏執的かつ、細かすぎる仕掛けという感じです。
 
また、こういう「仕掛け」を創る際に、ナボコフは時折、控えめにいって頭のおかしい人物を書き手に設定します。ハンバートしかり、『青白い炎』の、三流詩人につきまとう文芸評論家しかり。いわゆる、「信用できない語り手」です。
 
しかし、複雑な作品を創る際に「この文章はとても複雑でトリッキーです。なぜなら語り手が狂人だからです」というのは、反則というか、安易な発想ではないかとも思います。 



ちなみに、ナボコフは繰り返し、精神分析を揶揄し、ロシア文学ではトルストイやチェーホフを称賛し、ドストエフスキーを不当なまでに貶しています。
 
しかし、先の自伝の仕掛けは、フロイトの精神分析で有名な「言い落とし」行為そのものですし、パワフルな狂人たちのいきいきとした独白といえば、ドストエフスキーの真骨頂です。資質が近いゆえの近親憎悪なのか、自分の方がうまく書けるという自負なのか、そこは興味深いところです。



さて、ここまで書いてきましたが、そんなナボコフの作品の中でも私が楽しんで読める作品があります。それは『偉業』という中篇小説です。

 『偉業』は、作者の自伝的要素が混じった青春小説です。平凡なロシアの少年が、ヨーロッパに亡命し、ケンブリッジ大学に行って、と彼自身の人生に似通った筋になっていますし、先の『記憶よ語れ』の中でのエピソードも何個か出てきます。
 
この作品が読みやすいのは、主人公のマルティンという男が、それ程エキセントリックでも、偏執狂でもない、どこかぼんやりした夢想家であることです。そのため、彼の行動が語られるうちに、突然彼の妄想や空想の中に入り込んでしまったり、それが、観ている映画の場面と繋がってしまったり、と作品全体がどこかほわんとした夢のような雰囲気があります。
 
先のような繋がりや仕掛けもありますが、そこまであざとくはありません。そのことで、放浪や亡命と呼ぶにはあまりにもうねって高揚感のない旅の、それでも続く、そこはかとない面白さが素直に伝わってきます。ぼんやりとした夢想家の青春小説ということで、「ロシア版『三四郎』」と名付けたくなるくらいです。
 
その後の作品は、エキセントリックな主人公や筋を駆使する(『ロリータ』『青白い炎』)か、ぶくぶくと肥大化する細部の塊になる(『アーダ』『賜物』)かのどちらかに分かれてしまいます。その意味で、こういった、さらっと読むことの喜びを与えてくれる作品は、珍しい例外であったとも言えるでしょう。


 
創作者というのは、自分を信じて製作し、自分が信じるように多かれ少なかれ変化していくものなのでしょう。なので、どうしても、そうした個人の信念の違いで、波長が合わない作家というものは存在します。

しかし、どんなに合わない作家でも、その作家が多作な場合、思わぬ部分で自分の感情のポケットにぴったりはまることもあります。それは、ある意味好きな作品を吸収するより、貴重な体験です。
 
私は、嫌いなつくり手の作品でも、我慢して体験してみろとは言いません。人生の時間は限られているのですから、少しでも自分が楽しめるものを味わうのは、決して間違っていません。
 
ただ、どんなものでも単純に嫌うのではなく、そのつくり手の作品の何が自分には向かないのか、を明確に考えておくと、その作品の中でも、許容できる、自分に合うものが浮き上がってきたりします。
 
世の中にはそうした、好きではないけど、嫌いとも言いきれない、グレーゾーンの存在が確かにあります。そうした存在を持っていることが、人生の豊かさにつながると言えるのかもしれません。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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