あの名画、雑すぎるけどスゴすぎる!
どんな名画も、究極を言えば絵の具の集合体にすぎません。近くで見たら絵の具のかたまりにしか見えないでしょう。
しかし一歩下がって見ると、そこに素晴らしい傑作が現れます!
今日は「ただの絵の具」が「絵」になる瞬間を見ていきましょう。
ぐちゃぐちゃの絵の具が、美しき令嬢に!
これはある絵画の一部です。
ものすごく大雑把で、もはや絵具の固まりにしか見えませんね。
しかし、一歩下がって全体を見ると…
緑の藻屑はヘアアクセに、白い点線はレースに早変わり。
とっても可愛らしい王女が現れました。
拡大するとあんなに粗っぽかったのに、全体を見ると、衣装の滑らかな肌触りや髪のふわふわとした触感まで伝わってきます。
作者はディエゴ・ベラスケス(1599~1660)。
ベラスケスの肖像画はあまりに真に迫っていて、その人物の内面までをも完璧に写しとっています(このあたりのことは過去記事に書いたのでよかったら見てください)。
https://note.com/artsienne/n/n7c99afbaaf4f
ベラスケスは柄が長い筆を使い、作品から距離を取って描いたといいます。
あえて枝葉末節を省略することで、その人物の雰囲気を的確に掴もうとしたのでしょう。
絵の具ですらない物体が、ド迫力の自然に!
かわってこちらも、ある作品の一部分を拡大したものです。
当時この絵は、「石鹸水と水漆喰で描かれている」と批判されました。
たしかに絵の具をグチャグチャに引っ掻き回したようで、何が何だかさっぱり分かりません。
そこで全体を見てみると…
「石鹸水と水漆喰」が猛吹雪となり、ものすごい勢いで迫ってきます。
アバウトな描きかたなので、一見するとリアリティに欠けているようにも見えます。
しかし、もしこの吹雪が現実に起きていて、それを目の前で見ていたらどのように見えるでしょうか。
荒れ狂う風と雪で視界はさえぎられ、海も船も絶え間なく動き続けます。
そんな中では、帆や甲板の一つ一つまで判別することはできません。船の姿を確認することすら難しいかもしれません。
目に映るのはきっと、何もかもがぐちゃぐちゃになった景色。つまりこの作品のような光景でしょう。
この作品は、私たちが現実で目にするビジョンを、ある意味リアルに写し取っているのです。
作者のウィリアム・ターナー(1775~1851年)は、自然の「崇高さ」を表現することを目指していました。
作品から自然への畏怖が伝わってきます。
色のモザイクが、光と美の風景に!
ベラスケスやターナーは、後世の画家たちにも影響を与えました。
そのうちの一人、クロード・モネが描いたのがこちらの絵です。
ご想像のとおり、絵の一部を拡大したものです。
描いているというより、色を敷き詰めているかのよう。
輪郭線もないし、物の形すら分かりません。
しかし例のごとく一歩離れると…
陽光のきらめき、花々の香り、そよ風の爽やかさまでもが伝わってきます。まるで庭を散歩しているかのよう!
1つ1つの色が輝くように鮮やかで、画面が明るい光に満ちています。
モネは絵の具をパレットで混ぜず、一色ずつキャンバスに並べました。色は混ぜれば混ぜるほど色が濁ってしまうので、色を分割して彩度を保とうとしたのです。
しかも、絵の具を一気に塗るのではなく、短い筆致で少しずつ乗せています。そのため、画面に様々な色を組み込むことができました。
当時、こうした表現は非常に進歩的で、なかなか理解されませんでした。
モネは当時の批評家から「描きかけの壁紙の方がマシ」(意訳)とまで非難されています。
たしかにこういう描き方では、質感のリアルな再現などはできません。もはや何が描いてあるかすら分からないかもしれません。
その代わり、池を取り巻く大気や陽光が肌で感じられます。
明るく美しい風景を表すのに、花びらの1枚1枚まで描きこむ必要はなかったのです。
近くで見るか、遠くで見るか
いずれの作品も、近くで見るのと遠くから見るのでは印象が全く違います。
近づくと雑に塗りつけた絵の具にしか見えないのに、少し遠ざかるとれっきとした具象絵画になるのが不思議です。
具象どころか、絵の中に入り込んだかのようの臨場感さえ感じられます。
美術館で絵を観るときは、絵画を自由な距離から鑑賞できます。
ぜひ近づいたり遠ざかったりして観てみてください!意外な発見があるかもしれません。
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