失恋には失恋ソングを、憂鬱には陰気な名画を
心理学には「同質の原理」という法則があります。
そのときの気分やテンポに合った音楽を聴くことで、精神状態が良くなるというものです。
(失恋して落ち込んでいるときは、無理に明るい音楽を聴くよりも、悲しい失恋ソングを聴いた方が心が落ち着くのです。)
「同質の原理」は音楽療法の用語ですが、絵画を観るときも同じことが言えるのではないでしょうか。
辛いときや悲しいときは
明るい絵よりも暗い絵を観た方が、気持ちが楽になれそうです。
気持ちが沈んだときにぴったりなのが、エゴン・シーレの作品です。
現在、東京都美術館で彼の展覧会が行われています。
エゴン・シーレは20世紀末のウィーンで活躍した画家です。
若くして成功を収めましたが、28歳で亡くなりました。
(いわゆる「夭折の天才画家」ですね。)
正直なところ、彼は人格者とはいえないかもしれません。
その悪行(?)は数知れず。
・実の妹と近親相姦疑惑。
・女性をナンパしてヌードモデルにするなどの行為により、近所の人に疎まれる
・その結果、地域を追い出される。
・14歳の少女と淫行した容疑で逮捕される。
・3年も連れ添った恋人を捨て、金持ちと結婚する。
・恋人をフッた理由は、家柄が悪いから。
・にもかかわらず結婚後も恋人と関係を続けようとする(もちろん断られる)。
・妻の姉と肉体関係を持つ。
・浪費家でしょっちゅう金を無心する。
プレイボーイで奔放なシーレ。
その私生活とは裏腹に、作品はとにかく陰気で不穏です。
シーレの表現は独特です。
輪郭線は、ぐにゃぐにゃとして安定感がありません。
筆致はぶちぶちと短く途切れ、筆をキャンバスに叩きつけたかのよう。
画面には妙な緊張感があります。
よく見ると、赤や青、紫、緑といった様々な色が使われているのですが、カラフルな印象は全くありません。
それぞれの色が禍々しく発色し、全く溶け合っていないのです。
じっと見ていると、色彩の混沌の中に吸い込まれそうになります。
シーレの表現は、やたらと鑑賞者の不安を煽ってきます。
作品の一つ一つに強烈な存在感があり、一度見たら忘れられません。
何ごとにも光と影がありますが、シーレの担当は影の方、陰陽でいえば陰の方です。
シーレの手にかかれば、明るい夏の花もこのとおり。
この絵はゴッホの作品を下敷きにしています。
(シーレはゴッホを敬愛していました。シーレが生まれた年は、ゴッホが亡くなった年でもあります。)
枯れている花を描きたければ、もっと小さくて地味な花をモチーフにしても良さそうです。
しかしシーレはあえて、「ゴッホのひまわり」という明るさの象徴のような花を選びました。
ひまわりの枯れた姿を見れば、どうしたって枯れる前の華やかな姿を連想します。
鑑賞者の脳内で、咲き誇るひまわりと枯れ果てたひまわりの姿が対比され、衰弱や死がより強烈に印象づけられます。
シーレの作品においては、人間同士の交流にも不穏な空気が流れています。
母と子の抱擁といえば、一般的には温かな愛情の交流や母性愛が描かれます。
しかしシーレが表現したのは、恐怖や拒絶、そして死でした。
普通はポジティブに描く場面に、あえて人生の暗い側面を描いています。
シーレの代表作といわれるのが、こちらの作品です。
彼は自分の姿を死神のように描きました。
愛しいはずの恋人も、「乙女」というより骸骨のよう。
彼らの身に不吉なことが起きているかのような、ただならぬ雰囲気です。
作品から連想されるのは、単なる失恋のメランコリーではありません。
その先にある2人の暗い未来、もっといえば「死」です。
死神が愛する乙女を死の世界に引きずり込んでいるのか
それとも、この世で結ばれなかった2人が死の世界で再会したのか
シーレにとって、愛を得ることも失うことも、死と密接に関連していたのかもしれません。
物事の暗い側面ばかりを強調したシーレ。
人が心の奥底に抱えている不安や衝動を、これでもかと見せつけてきます。
それでいて、(それがゆえに、)なかなか目を離すことができません。
シーレの作品の前では、誰もが人間の不合理な面と向き合わざるをえません。
彼の絵を観ていると、普段は隠れているネガティヴな感情が、自然と可視化されていきます。
それは息苦しい体験であると同時に
自分の中のどろどろとした負の感情が昇華されていくような感覚でもあるのです。
鑑賞後は、憑き物が取れたような気持ちになれることでしょう。
まさに気分が沈んだときにぴったりです。
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