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サドベリースクールを探すことにした理由

当時(小学1年時)の担任は〝昔ながらの先生〟といった昭和によく見かけたタイプの先生。

昭和の先生といっても記憶は人それぞれだと思いますが、自分が子どもの頃の記憶を辿り最初に思い出したのは、年配の女性の先生。
その先生は、忘れ物をした児童を教壇の前に並ばせ、見せしめの為順番に目の下の皮膚をつねるという事をしていました。(目の下の皮膚は薄くてとても痛い)
それは〝目つねり〟と呼ばれ授業の度に行われていました。

忘れ物をした方も悪いのだし…という引け目から、誰もやめて欲しいと言えませんでした。
学校というのはそういう所だと自分達に言い聞かせるしかない空気。
私はされたことがなかったのですが、同級生たちの顔、止められなかった後悔、わざとおどけた雰囲気でたいしたことではないように見せかける空気が恐ろしかったことを今でも忘れません。
子ども達は、目の下をつねられている事を誰にも言うことなく進級卒業していき、そして忘れていきます。

私が子どもの頃、教育現場に相応しくない先生が随分多かったように思いますが、誰もそのことにメスを入れる人がいないどころか、わからん子どもには体で覚えさせて当たり前…のような田舎らしさがまかり通っていました。

廊下に正座は当たり前。
大声で怒鳴る、頭から水をかける、グーで頭を殴る(男女関係なく)、出席簿の角で頭を叩く、ほうきで尻を叩く、床に正座させ暗くなるまで放置、カバンやコートのポケットなど全て点検、先生による差別発言、女子の髪の毛を触る、前髪を切る、スカートの丈を測る、男性教諭が女生徒にふざけて馬乗り、教室にカメラを仕掛ける。

こんなの事件じゃないか! 

と今の時代なら思うかもしれませんが、実際小さくニュースになったのは盗撮くらいで、他はまぁ当時の日常です。
(-_-)
何が怖いかというと、その人達が内申書を握っていることです。
うちの町だけがこんな感じだったのか全国的にこうだったのかは分かりません。
皆さんの所はどうでしたか?
(>人<;) 


【es】という映画を知っていますか?

実際にアメリカの大学で行われた実験を元に書かれた小説が原作の映画で、内容は、実験に協力する応募者を募り、看守と囚人に分けて擬似刑務所で2週間生活させ、人間の心理の変化を記録するという心理実験のお話。

看守も囚人も、ただのお芝居として与えられた役のはずが、日を追うごとに看守側はどんどん暴走していきます。

すんごい怖いお話です。

人って…空気に流されるし、役になりきってしまう様ですね。(*_*)コワイ

学校にもこのことは当てはまると思います。

 

昭和の義務教育を今更どうこう言うつもりはありませんが、当時活躍していた先生達は今50代。
教育委員会や、校長教頭指導主事やなんかになって今も活躍していることでしょう。

みんな、あの過去の教育現場のことどう思っているんだろう?

もちろん、全員がそんな人ばかりというわけではないけれど、加担しなかった人たちだってあの現場の中にいて声をあげなかったのだから〝同罪〟と思う私は厳しすぎなのかな。


おっと、しまった…

子どもの小学一年生の頃のことを書くつもりが、話が逸れてしまいました。

ホームスクール実践内容の記事を期待している方ゴメン。この記事のあるマガジン内にはもっと有益な情報を書いている方が沢山いるのでそちらを参考にしてね!下に貼ります。
後5記事くらいはプライベート内面描写です。( ̄∀ ̄)

まぁ、私に学校運が無かったということは一旦置いておいて、過去と現在をごっちゃにしちゃ勿論ダメですよね。
なので、絶対に学校や先生の悪口は言いませんでした。
声かけも特に気をつけました。

たくさん学んでおいでね。
分からないことは先生にちゃんと聞くんだよ。
給食美味しかったんだね、よかったね。

子どもはどちらかというと、見本になり褒められ贔屓されている様でした。

ある日の夕方、庭の手入れをしながら通学班で帰ってくる子どもを待っていると、トボトボとこちらに向かって歩いてくる小さな影と見守り隊のおじさんの姿が見えました。 うちは学校から一番遠い地域なので最後は一人になってしまいます。

子どもは顔面の左半分広範囲から血を流していました。
顔を隠す様に帽子を目深にかぶり、泣くのをこらえていました。

通学班は男子が多く皆が走るので、ついて行かなくてはと思い慌てたところ、ランドセルの重さもあり顔面から転んだということでした。

その件に関して、通学班でも学校でも話題にされることはありませんでした。
私が学校に事実報告をすると、クラス全員また大声で叱られたということでした。一年生怒っても仕方がないよね。

そのころ子どもは、学校から帰るとすぐ夜まで眠ってしまい、一瞬起きて少しご飯を食べまた朝まで寝てしまうという日がポツポツと増えていました。
疲れ過ぎているようでした。 


夏前に、サドベリースクールに行きたいと言っていたことを思い出しました。

「ちょっと…サドベリースクール、探してみようか。」

「うん!」 

ポチポチポチ…検索…

「あっ、あるみたい!でも遠いなぁ。ここに行くとしても週一くらいしか行けないけど、それでもよければ見学だけでも行ってみる?」

「行く〜!」

県内にサドベリーを謳ったフリースクールができたばかりのようでした。


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※完全にホームスクールを始めたと言えるのは、4年生からです。それまでの成り行きをnoteスタートから連続して書いています。(たまに脱線アリ)
早いうちに現在に追いつきたいですが、しばらくお付き合いください。(^_−)−☆

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