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File.54 無理しないで、前進する。 髭野 純さん(映画プロデューサー)

立教大学在学中から映画に携わり、『街の上で』(2021年、今泉力哉監督)、『映画:フィッシュマンズ』(2021年、手嶋悠貴監督)、『ほとぼりメルトサウンズ』(2022年、東かほり監督)など数々のインディーズ映画のプロデュース・配給を手がけている髭野純さん。「無理をしないこと」を心がけているという仕事のスタンスや現在の活動内容について話を聞いた。
取材・文=佐野 亨(編集者・ライター)
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(写真上)『ほとぼりメルトサウンズ』撮影風景

——子どもの頃から映画好きだったのですか。

実家は埼玉なのですが、中学生の頃、親に東京に連れていかれたときに、せっかくだから映画を観て帰りたいと思い、一人だけ残って映画館へ行くことがありました。また、ちょうどその頃、インターネットのmixiが流行し、いろんな方が個人ブログで映画の感想などを書くことが増えてきたんですね。そういうところで仕入れた情報をもとに、地元のレンタルショップでかたっぱしから映画のDVDを借りる、という生活を送っていました。中学生にもかかわらず、そういう人たちのオフ会に参加したりもして……。そんななかで、とくに感動した映画が『ショーシャンクの空に』(1994年、フランク・ダラボン監督)でした。

——具体的に映画の道を志したきっかけは?

高校卒業後、映画にかかわることを学べる学校へ行きたいと思い、立教大学の映像身体学科に入りました。当時は万田邦敏監督や池谷薫監督が教えていらした頃ですね。ただ、僕は監督志望ではなく、映画全般に広くかかわる仕事がしたいと考えていたので、映画サークルには入らず、校内で企画コンペをやったり、学外で学生映画の上映会を企画したりしていました。

——卒業後の進路は?

大手映画会社の新卒採用にも応募しましたが、試験で落ちてしまい、たまたま見つけたトムス・エンタテインメントというアニメーションの制作会社に営業職として入社することになりました。その年はちょうど3.11が起きた年で、やっと就職が決まったと思ったら卒業式がなくなり、気がついたら社会人になっていたという感覚でした。
そうした仕事の合間に、大学の後輩である竹内里紗監督の『みちていく』(2014年)の宣伝にボランティアで携わったり、当時参加していた「IndieTokyo」(編集註:インディペンデント/アート映画のための運動体)の打ち上げの場で意気投合した中村祐太郎監督から『太陽を掴め』(2016年)の企画の話を持ちかけられて製作に参加したりしていました。『太陽を掴め』の撮影が始まる際に、やはり本格的にプロデューサーとしてかかわることになると、二足の草鞋で続けていくのは難しいなと思い、会社を辞めることになりました。

——プロデューサーとしての仕事のやり方は、どのようにおぼえていったのですか。

いまお話ししたとおり、流されるままプロデューサーと呼ばれる仕事を始めたので、じつは現在に至るまで、これが自分の仕事のやり方だというものが確立できているわけではないんです。ただ、『太陽を掴め』で企画から公開まで一貫して現場に携わり、監督と一緒に動けたことは大きかったし、その過程でいろんな先輩たちから「こういうスタッフが必要なんだよ」とか「これはこういう意味なんだよ」とか教えてもらえたことが土台になっていますね。配給の仕事に関しても、その直後に入った万田邦敏監督の『SYNCHRONIZER』(2017年)のときに、万田さんと相談しながらさまざまな関係者の方に声をかけたりとか、そういう経験がベースになっています。

——フリーランスにとっては、やはり人とのつながりが重要になってきますね。

本当にそう思います。『太陽を掴め』は、東京国際映画祭(TIFF)に出品したのですが、それも実際に通るかどうかわからない状況のなか、見よう見まねでエントリーしたので、APとして参加していた他の作品の現場にいたときにTIFFの矢田部吉彦さんから「上映することが決定しました」と電話をもらった際は公園の片隅で一人で号泣しました。矢田部さんにはいまもすごく感謝していますし、映画祭に出たおかげで今泉力哉監督といった方々との出会いに恵まれ、新たな展開にもつながりました。

——インディーズ映画の場合、まずは作品をいかに世間に周知していくかが重要ですが、配給・宣伝の仕事において困難な点は?

そうですね。たしかに僕もやり始めた頃は思いついたことをがむしゃらに進めていたような気がしますが、いまはとにかく「無理をしない」というスタンスを心がけています。たとえばAPとして規模の大きな作品に携わっていると、全員の顔をおぼえられないほど役割が細分化された環境で、末端のスタッフとしてどうしても体力ありきの仕事のやり方が身についてしまう。それであるときから、自分は無理をして大きな仕事をやるのではなく、身近な人と自分が責任を持てる範囲の仕事をしたい、と思うようになりました。プロデュースも配給も、マーケティングみたいなことはあまり考えておらず、基本的に自分が観たい映画をつくっている人と仕事をするので、監督と二人三脚の体制を組み、周りのスタッフの力を借りながら、作り手の気持ちをしっかりと外に向かって伝えていくことを大切にしたいと思っています。人でいえば、苦手な人とは無理をして付き合わず、一緒にやりたい人とやるべきことをやる、ということができたらいいな、と。そうすると、たとえば応援コメントにしても、とにかく誰にでも声をかけて一つでも多くコメントをもらうのではなく、「この人の言葉がほしい」と思った人にだけ声をかけたり、ポスタービジュアルも説明的なものではなく、その映画を届けたい人に届くようなデザインにしたいと考えたりするようになる。そういうやり方で無理をせずに仕事を続けていきたいと思っています。

——2021年に劇場公開された髭野さんのプロデュース作品には、今泉力哉監督の『街の上で』や杉田協士監督の『春原さんのうた』など、インディーズ映画としても話題を集めた映画が多かったと思います。コロナ禍において活動の変化や困難などは感じられましたか。

『街の上で』はコロナが流行し始める前の2019年に製作を終えていて、皆が「いい作品ができた」と自信をもって公開の準備を進めていたんです。それで2020年の5月に公開が決定したのですが、直前の3月にコロナが騒がれるようになり、結果的に「1年延ばしましょう」と僕から提案しました。今泉監督としては「その間にミニシアターがなくなってしまったらどうしよう」という不安もあったようですが、内容的に真冬とかにはあまり公開したくないなあ、という思いもありまして、ふさわしい時期に公開したほうがミニシアターにもよい形で還元できるだろう、と。実際、営業自粛になる映画館も多く、これでよかったんだと思う反面、『街の上で』のために割いていた時間がすっぽりと空いてしまった状態で過ごす期間はとても長く感じました。そうして2021年に入り、1年遅れで公開が始まったのですが、まさにこれから公開拡大となるタイミングでふたたび緊急事態宣言が発令され、予定していたTOHOシネマズでの上映は流れてしまいました。収益的にも非常に残念でしたが、届いたかもしれないお客さんに映画を届けられなかったことがなにより悔しかったですね。

『街の上で』より
第11回下北沢映画祭『街の上で』プレミア

一方、『春原さんのうた』は、コロナを受けて当初の脚本のままでは撮れないと判断した杉田監督が、あらためて「コロナ禍でも撮れる内容」に練り直して撮影に臨んだ。とはいえ、この作品の場合は基本的に現場でお手伝いしていただけで、杉田監督の想いや判断を尊重して制作が進んでいきました。杉田監督との出会いも東京国際映画祭がきっかけで、矢田部さんから『ひかりの歌』(2017年)という作品が素晴らしいから観たほうがいいと薦められたんです。それで映画を観たら実際に素晴らしくて、監督ともご縁ができて……。杉田監督はよく「抗わない」ということをおっしゃるんですが、『春原さんのうた』はまさにコロナの状況を受け止めることによってできた映画で、それが結果的には杉田監督にとっても新たな飛躍のきっかけとなったと思います。

——今後の活動予定や考えていることについて教えてください。

2020年の4月には一応、合同会社という形でイハフィルムズを設立しました。『街の上で』では大手事務所のアミューズと一緒に仕事をして、大手シネコンとのつながりも生じたので、今後のことを考えて法人化することに決めたんです。助成金の申請なども法人のほうがなにかとやりやすい面があるので。ただ、仕事のやり方はこれまでと変わらず、さきほども言ったように、いろいろな人たちに助けてもらいながら、基本的には一人で、無理のない規模での活動を続けています。
いまは7月9日公開となる伊林侑香監督の『幻の蛍』(2022年)の配給を担当していますが、伊林監督は僕が現場のプロデューサーとして参加した『もみの家』(2020年)の坂本欣弘監督が起ち上げた会社に所属する若手で、これが劇場映画デビュー作となります。また、年内には今年の大阪アジアン映画祭でオープニング作品として上映されたチャン・リュル監督の『柳川』(2021年)を公開する予定で、僕としては初めての外国(日中合作)映画の配給となります。以前、ある特集上映でチャン・リュル監督の『福岡』(2019年)を観て感銘を受けていたので、Foggy(フォギー)という買付けの会社を起ち上げられた今井太郎さんに「一緒に配給しませんか?」と声をかけられ、いま準備を進めています。

『幻の蛍』ポスタービジュアル

僕は個人的に配信では映画を観ないので、映画館で映画を観ることの意味を大切にしていきたいし、コロナだからすぐに配信という流れではない、映画の見せ方を模索していきたいと思っています。

「無理をしない」という髭野さんのスタンスは、厳しい条件下での疲弊した状況が白日の下にさらされている現在の映画界にあって、非常に示唆的だった。今後もそのスタンスからのさまざまな活動に注目していきたい。

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髭野 純(ひげの・じゅん)
アニメ会社勤務を経て、2016年より独立。インディペンデント映画の配給・宣伝業務に携わりながら、フリーランスの映画プロデューサーとして活動。配給を担当した作品に『SYNCHRONIZER』(16/万田邦敏監督)、『ひかりの歌』(19/杉田協士監督)、主なプロデュース作品に『太陽を掴め』(16/中村祐太郎監督)、『もみの家』(20/坂本欣弘監督)など。配給・宣伝を手がけた『幻の蛍』が2022年7月9日より公開。

『幻の蛍』公式サイト https://www.maboroshinohotaru.com/
Twitter https://twitter.com/jhfilms_


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