見出し画像

昨日の海.....唐津の海

「昨日行った海はどこなの?」と94歳の母。「唐津!」と答える私。この会話が10分ごとに繰り返される。車椅子を使いこなすための小旅行。普通に電車に乗り、タクシーに乗り、車椅子の母とどこまで行けるのか? 荷物はどれだけ持っていく?体力は?………そんなことを試すための小さな旅をしてから、もう一週間以上も経つのに............ 同じことを繰り返すのは忘れたくないから、その確認をしているのだと娘が言う。

和風の宿は段差があるから、車椅子で部屋まで入れるホテル。大浴場は無理だからお風呂付きの部屋。朝食は起きてすぐは食べられないから抜きで、と探したのは海を全面に見渡すホテルだった。お風呂からも海一望、ベランダから見下ろすプールはひっそりと秋を伝えている。そこから浜辺に降りると足元には大きな桜貝が、海沿いに続く松林には松ぼっくりが、そんな風景の中を孫が車椅子を押し、手を引いてのんびりと散歩した。上機嫌で部屋の窓からいつまでも海を見つめる母。

夕食は暮れゆく海を見ながら海鮮料理。珍しく自分からお刺身に箸を運ぶ。普段から「私、海より山が好きなの。お寿司は好きだけどお刺身は嫌いなの……..」と繰り返す母がである。そして夜、母は嬉しいと言って泣き出した。あぁ、まだこんな感情が残っていたんだ。もっと心を揺さぶらなければいけないのだ。感情を動かさなければ、そうしないと心は固まってしまう。だから春になったらまた行こう。もう一度あの海を眺めよう。母と娘と孫娘ふたり。女3代の小さな旅をしよう。

コロナ禍になって、外出がままならなくなるのと同じくして、母の怒りの日々が始まった。そんなふうに母の認知症は表れたのだった。私たちは驚愕し言葉を失い、そして虚しい言葉の応酬も繰り返した。母は泣かないのに私たちは何度泣いたことだろう? その母が喜びの涙を流したのだ。母の心はやっと居場所を得たのだろうか? 拾ってきた貝殻を眺めながら今日も、「昨日行った海はどこなの?」「唐津!」.........呼子(よぶこ)の朝市にも行ったんだけどね。

あと2週間足らずで、今度は鹿児島へ行く。新幹線とタクシーを乗り継いで
お墓参り。唐津はそのためのお試し旅行だったのだ。それが予想外の成功をもたらした。弟夫婦も現地で合流する。さて、次は号泣となるのだろうか………….。唐津も鹿児島も孫のセッティングによるものである。祖母の怒りの日々の中で、「孫なんて面倒見たってこの程度、犬猫を育てた方がマシ!」って言われたけどね、とカラカラと笑う孫に救われながら、母は要介護3になりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?