伊藤ガビン氏、渡辺篤氏

作品の本質はコンセプトであるが、トークイベントで耳にした二人のコンセプトは対照的だった。

伊藤ガビンのプランは、《美しい国、そこつ広場》。そこつ、すなわち「人間のどうしようもないところ」への愛着を、江戸時代の銭湯というモチーフで表現する。人のもつだらしなさが規制をすり抜けて生き残っていく様をコンセプトとしている。

とはいえ、伊藤は編集者である。アートは歴史に対して厳密で、自分の死後も残る。一方デザインは、過去作品を広める役割を持ち、パクリもアリ。編集に共通するのも「これとこれを合わせて今なにを見せられるか」で、一度表現したものは忘れられ、捨てられてほしいと言う。

編集は時代とともに変化している。紙雑誌では、前後の記事や広告が意図せず目に入ることから無意識に知見が広がるが、オンライン雑誌では目的の記事に一直線で「遊び」がない。だらしない者ならではの余裕が紙雑誌にはあるのだ。

大学教授としての伊藤は、レクチャー以外の時間の使い方を提唱する。紙雑誌でいうところの「前後の記事=遊び」が、学校では近くの人とのネットワーキングではないか。結婚相手はたまたま近くにいた人、仲良くなるのは名簿順にならんだ苗字が似ている人。目下のコロナ禍はリアルからオンラインへの過渡期であり、フレームや効果はこれから決まっていく、という伊藤からは、オンラインで「そこつさ」をどう出すかというワクワク感が感じられた。

一方、渡辺篤の活動に感じられたのは現実への切実な思いである。外出自粛により、今後引きこもりが増えると予見している。社会問題の最小単位は生きづらさ、それを抱えているひきこもり当事者の経験を無しに社会問題は語れない。渡辺の作品制作は、当事者への謝礼・支援がセットとなっている。渡辺にとってアートは具体的な社会問題を何らかのかたちで解決するものであり、作品のためにひきこもりの当事者から搾取してはならないと考えている。

制作と展示に相当な手間と時間がかかると感じたが、その手間が渡辺にとっての作品制作の目的なのだ。

伊藤は肩のちからのぬけた「そこつさ」を表現の体幹に据え、渡辺は生真面目に社会問題の解決という思想を貫く。渡辺のトークに「アートは思想あってのもの」とその場で感じ入った。一方時間が経つにつれ、伊藤のコロナ禍によるオンラインの世界で「『遊び』をどう持たせるか」というチャレンジの重要性に気付いた。

佐藤久美


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