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今ここ


「今ここ」に集中することが、瞑想の前提と言われる

過去や未来は「ない」

いやいや、あったし、あるはずじゃないかと言われるかもしれない

どう理解したらいいのか、僕なりに話してみる

あったと思う今、あるはずと思う今が「ある」だけということと、
あった事実、これからある事実の違いは何だろうか

事実は客観の世界に普遍的にあると信じられているが、本当にそうなのか

自分が見ていない世界も存在しているが、その世界は客観的に1つなのか、あるのは無数の可能性だけなのか、体験できない以上「分からない」と言うのが、とりあえず誠実な態度というものではないか

体験は個人のものなので、体験されない時間や空間というものは「ある」とは言えない
「あると思われる」だけだ

教科書に「ない」と書いてあれば、ないでもかまわない
それぐらい不確かで、特段意識もされない

でもこれは世界認識において、人生戦略において、とても重要なことだ
知ると知らないでは、時間や空間や人生の捉え方が全く違ってくる

体験されない時間や空間を「思考」という

体験と思考の一番の違いは、時空を
主観的に味わう自分と、客観的な時空があると思って、それを頭で考え追う自分

イメージと体感の違いと言ってもいい
体感を伴うかどうかが大事なポイントだ

追っている「客観」は、実は自分の主観に過ぎない

つまり時空というのは、主観(観測する主体)がないと成立しない

時間や空間という概念が成立するには、前提に主観を持つ生命現象が必要ということになる

だから「客観的な時間や空間」というものは、イメージであって、実は「ない」

それを知ることが「今ここ」に集中する際に一番大事で、目に見える世界も瞑想中に体験する見えない世界も、自分の主観という意味では同じものなのだ

未来を作り過去を作っているのは、常に今

「今ここ」は、自分が作った時空を味わいつつ創っている体感のことを言う

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