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学校の通知表

 そろそろ3学期の通知表を書く時期がやってきます。

 通知表には5・4・3・2・1の各教科の評定が載っています。(高校だと10段階になっていました)

 自分自身もこの評定に関してはすごく意識していましたし、記憶に残っています。

 ちなみに通知表の作成自体は学校教育法などに記載はなく、出さなければならないのは要録などの学校がその生徒の情報を知るためのものだけなのです。

 しかし、基本的にどの自治体も通知表を作成するのは、通知表を出すことで得られる教育効果が大きいことにあります。

 通知表の評定で指導することはありませんが、生徒が通知表を見たときに「あーこの教科がんばった甲斐があった」とか「あーやっぱりこの教科持った力入れよう」などと生徒自身が自分の頑張りを客観的に定期的に振り返ることができるものが通知表だと自分は思います。

 もちろん生徒の中には「あーかえってこないでほしい……」という人もいますが、頑張ったことが評価されたものが返ってきたら、そこでやる気を引き出すことができるのでは無いでしょうか。

 本来学びは内発的動機づけの方がいいと言われますが、外発的動機づけによって学びに向かう動機をつけ、最終的に学ぶ楽しさを知るきっかけにもなるので外発的動機づけも学習には有効な時もあります。

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 さてそんな通知表ですが、各教科の評定以外に学校生活の中でどのように頑張っているのかの所見や道徳の評価、総合的な学習の時間の評価など様々な文章で書かれた評価の箇所があることを知っていますか?

 例えば、生活の様子を振り返って「〇〇さんはこんなことを頑張っていました」「〇〇さんは△△の係として□□のように頑張っていた姿がありました」のようなものです。 

 これが毎学期2つづつくらい書かないといけません。

 また、自治体によっては日常生活と各教科ごとの所見があるようです。

 このように書くものがたくさんあることで、通知表を出す学期末に先生の勤務時間が長くなっているのです。

 この文章はその生徒の様子をできるだけ丁寧に書くので非常に時間がかかります。

 ただでさえ評定を出すのにも時間がかかる中、担任は所見によって多くの時間を奪われることになります。

 所見をなくした地方もあるようですが、本当に所見が必要なのかどうかもう一度考えたいと思います。

 自分は学級通信で生徒の日常生活で頑張っていた姿などを伝えています。

 それではダメなのでしょうか。

 ”生徒のため”といって良かれと思って始めたことを切り捨てる勇気が教員にはありません。

 だからこそ、働き方改革を進めるためにも所見をなくしていくorできるだけ簡素化していく必要があるのでは無いでしょうか。

 保護者の方に直接「所見ってみていますか?」と聞いたことがありますが、「あーなんか書いてあったなー程度にしか覚えていません……」と多くの人から言われました。

 保護者はその所見をそんなにみていないのに、そこまで拘ってやると言うのはただのエゴでしか無いのでは無いでしょうか。


 来年度はできるだけ簡素化し、システム的に所見を書くことのできるプログラムを作成し、同僚に配布し、その便利さから所見を書くことを反対する同士を増やし、通知表を”生徒の成長”にとって真に必要な意味のあるものにしていきたいです。

 



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