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自分の意見と反対の意見に耳を傾けたい

 自分が”こうあるべきだ”や”こうしたい”と思えば思うほど、その考えに反対の意見に耳を傾けにくくなる。

 例えば、教員の働き方改革はまさにそう。

 一方はとにかく働き方改革を通して、業務の見直しを行いながら勤務時間を意識した働き方をしたいという人。

 もう一方は現実的(生徒の実態や地域の特性など)に不可能、あるいは非常に労力を必要とすることなのだから無理に改革を推し進めることに意欲的でないという人。


 学校現場での働き方改革が進まないのはこの二者が完全に対立していることがあると思う。

 部活動などが顕著で、部活動を通して生徒指導をしてきた人で少しでも成功体験を持っている教員は部活動は生徒の人格を形成する学校という場で必要であると考えている。

 しかし、部活動を否定的に捉えている教員は自分たちの労働環境に不満を抱いており、本来の業務でないことを押し付けられることで自分のプライベートの時間まで割いて無賃で働くのはおかしいという考えである。

 この場合、後者の方が今の時代の流れに沿っていると考えられるが、前者の人を説得しなければ、折り合いがつかなくギスギスした関係になっていってしまう。

 「時代の流れだから」「早く帰れ」という一種のパワハラのような働き方改革しかできていない現状のある学校現場だからこそ、きちんと学校単位で議論しなければならないと思う。

 お互いの腹の中を話すことができないから、お互いの考えを知ることができない。

 表面上の意見や立場でのみ話そうとするから対立が生じ、不平不満がたまる。

 子供たちへの指導もストレスに感じている教員は多いと思うが、案外教員同士の意見の合う合わないでストレスを抱える教員も多いと感じる。

 部活が大切と考える教師と部活を完全に学校から切り離したいと考える教員とが話し合う場を作ることで、「なぜ部活をやる必要があるのか」「なぜ部活を否定するのか」「プライベートと仕事の時間をどのようにしていくことがお互いにとって望ましいのか」など話し合い、妥協点を模索したいと思う。

 しかし、現実的にはそのような話し合う時間は教育現場にはない。

 また、自分の意見を強く持つ(自我が強い)教師は多い印象で、反対の意見を全く聞こうとしない人もいるのではないかと思う(少なくとも自分の職場ではそのように感じる教師が一定数存在する)。

 職員会などで提案文章の朗読会をしなくてもいいから、何か議題を決めて話し合ってみるのがいいと思う。

 みんなでチームとして学校を運営していくなら最低限反対意見にも耳を傾けられないとまわっていかない。



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