母の行き先

離婚してしばらく母と私たちは自由に会っていた。
私はちょっとだけそれが嫌になってきていた。帰って来ると祖母の機嫌が良くなかったからだ。
母は知ってか知らずか、こちらの予定も考えずにしょっちゅう私たちを呼び出していた。私たちに会いたい時に、どうやって連絡を取っていたのか、どうやって母が待つ場所まで行っていたのか、全く覚えていない。私と弟が学校から帰って来ると、いつの間にか母と会うお膳立てのようなことがされていた感じがする。

しかし母に男がいて、それに祖母が激怒したことで、私たちは母と会うことを禁じられてしまった。もしかしたらまだその頃は別居状態で、正式に離婚をしていなかったのかもしれない。

後から祖母に聞いたのだが、父が母に会いに行き、今後子供達に会わないで欲しいと告げると、母は話し合いをした喫茶店で黙って父に水をかけたそうだ。この話を聞いた時、まだ私は中学生だった。そんな話を中学生にするか?祖母も母に負けず劣らず変人だったのだろう。そして父は祖母の言いなりだった。 

そして私たちは母に会うことがなくなった。正直、ホッとしていた。祖母が機嫌が悪いのは嫌だし、私たちも祖母のやり方に慣れてきていたからだ。それでも私たちは祖母に叱られることが多かった。

いつか、学校から帰ると弟が部屋で泣いていた。その頃、マンションの敷地に移動販売の車がよく来ていたが、祖母が弟に昼用のパンを買って来いと言ってお金を持たせたら、弟は駄菓子を買って来てしまい、祖母に叱られたのだ。私たちは前にも書いた通り、母のせいで自由に駄菓子が買えなかった。弟の気持ちがそちらに向いてしまったのも無理はなかった。もちろん言うことを聞かなかった弟が悪いけれど、私は母と事情を知らない祖母を恨めしく思った。

それからある時に、祖母が慣れない洗濯機の使い方を間違えてしまい、私がうっかりと「違うよ、お母さんはそんな風にはしてなかったよ」と言ったら、祖母が急に私の口の端をギュッとつねり上げた。すごく痛かった。なぜ大人の事情で私がつねられないといけないのか、しばらく大人たちが大嫌いになった。

私は中学生になり、吹奏楽部に入った。ホルンの担当だった。その頃は土曜日も登校していた。午前中授業があって、その後部活があったので、祖母が弁当を作ってくれることもあれば、近所のスーパーにパンを買いに行くこともあった。その日は同じ部活の人たちとパンを買いに行くところだった。

校門を出て歩いていると、不意に大人の声で名前を呼ばれた。振り向くと、以前住んでいた団地で隣に住んでいたおばさんが立っていて、その背後に母が立っていた。私はなぜか「誘拐される!」と思い、咄嗟に友人の手を引いて駆け出した。友人は何か察したのか、何も聞かずにいてくれた。スーパーでパンを買うと「遠回りしよう」と私の手を引いて裏口から入れる道へ一緒に行ってくれた。

部活の合間に何度かトイレに行くふりをして廊下の窓から校門の辺りを伺うと、しばらく母たちはウロウロとしていたが、やがて夕方になるといなくなってしまった。私は用心して裏口から帰った。
その日、祖母と父には何も話さなかった。祖母が心配して学校までついてくるとか言い出しかねないし、また父に何か言って騒ぎが起きるのも嫌だった。結局最後には私に嫌味が返ってくるし。

結局、それっきり母は中学には現れなかったのだが、学校に現れなかっただけで、別の場所で母と会うことになってしまった。

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