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[ Symbolizm ] Decode of the Matrix ・Code Deep Crimson

割引あり

Code Red Final

・はじめに

 長きにわたり述べてきました「建築家」と「エグザイル」との対立構造。古きお家の権力闘争がずっと続いていることを綴ってまいりましたが、この対立構造には更なる原因があります。お家の権威よりも、もっともっと古い原因と権威。それが「触れてはならぬ血の神話」です。それゆえ2000年前から現在に至るまでずっと奪い合い隠しあっているのですから。

 2000年前というキーワードから容易に西暦が浮かび聖書が連想されると思います。そう、結局のところ聖書とそれを取り巻く環境、つまり聖書に関連する王権、祭司権、神権が問題です。それらを理解することで、現実世界が色濃く認識でき、また未だに続くユダヤ人問題、パレスチナ問題の本質も認識できる事でしょう。


 一つ、先へ進む前に申し上げておきます。ここからは推測です。ただちょっと推測と現実が妙に符合しちゃってるだけです。その符号を戯言と取るか実在と取るかはあなたの知識次第。それではMatrixのFinal Decodeにまいりましょう。わたくしが見ているものを見て下さい。





「神話と史実」と「銅と鉄」

・文学と記録

 あなたにとって聖書とは神話を語った文学的な本でしょうか?それとも歴史的な出来事を記録した本でしょうか?もう少し突っ込んでお聞きしましょう。イエス・キリストは神話上のキャラクターとして見るべきでしょうか?それとも実在し、パレスチナの砂漠を歩いた実在の人物として見るべきでしょうか?どちらが正しいのでしょうか?

 無神論者は聖書を空想的な神話とみなし、一方で聖職者は歴史的な史実とみなします。この認識、あなたはどちらが正しいと思いますか?無神論者か聖職者か?正解は、どちらも間違っておりどちらも正しいと言えます。いきなり難解でしょうか?。ご説明申し上げます。

 わたくしの認識は、ユダヤの王イエスという傑出した王は実在したと考えております。しかし、アダムとイヴ、神、天使、悪魔といった話や、生き返ったり水の上を歩いたり、貧乏な大工や羊飼いといったお話は神話です。つまり聖書とは神話と史実の両方が混在したものという認識が正解です。では神話と史実の明確な差はどこにあるのでしょう?その境目が分からなければ神話と史実の両方の認識が狂ってしまいます。神話を史実と認識したり、史実を神話と認識したりと。まずは聖書の史実の部分と神話の部分を明確に分ける術を学びましょう。


・銅と鉄

 聖書に描かれていることを時代で分けると、難解な問題は氷解します。ここで用いる術は「銅と鉄」です。つまり、青銅器時代(前3000年 – 前2000年)と鉄器時代(前1200年 – 前550年)の歴史区分です。では聖書の中の家系図を前述の区分で分けてみましょう。

引用元:https://usefulcharts.com/

 上部が青銅時代、下部が鉄器時代と区分できます。理由は後述。赤いチェックが入っているのは、考古学的証拠があるヘブライ語の聖書に登場する人物です。神話と史実が明確に分かれますでしょ?理由は、聖書を記録した人々が生きた時代が鉄器時代だから。ではなぜ青銅時代はほとんどが神話なのでしょうか?理由は青銅器時代と鉄器時代の境目にあります。


・Chao / 混沌

引用元:https://usefulcharts.com/

 ↑青銅器時代終盤の中近東。この頃には聖書の地エルサレムは存在しませんでした。この時代に、重大な出来事が起こります。

カタストロフ

 大規模な自然災害が干ばつと飢饉をもたらし、食糧を求めた移住が戦争を引き起こし、更には”謎の海の民”の海上からの攻撃が重なり、あれほど繁栄したあらゆる古代文明が一気に衰退したと言われている出来事です。当時の人間にしてみれば「黙示録的な出来事」だったことでしょう。

引用元:https://twitter.com/archeohistories/status/1777972322861027444


・Ordo ab chao / 混沌からの秩序

 黙示録的出来事から立て直しての↑これです。ゆえに当時の人々の歴史区分は、「黙示録前」と「黙示録後」と考えるようになりました。前述の黙示録的出来事で多くの歴史的資料や知識が失われたことは容易に想像がつきますね。わたくしは、古代科学もこの時点で失われたと考えております。中世の魔術師たちが、古代科学を知りながらも聖書の解読に勤しんだ訳は、ユダヤ教の経典にしか古代科学が残っている書物がないからです。カタストロフとは本当に一切を消してしまったのでしょう。では上記を念頭に、もう一度聖書の登場人物相関図を見てみましょう。

 青銅器時代が「黙示録前」、鉄器時代が「黙示録後」です。聖書を記した人々が生きた時代は黙示録後。ゆえにこのようになります。聖書の綴り手は、黙示録後の自分達の歴史はよく知っておりましたが、黙示録以前の出来事はカタストロフのせいで歴史的資料が残っていないため、神話や伝説に頼るしかありませんでした。よって聖書というものは、神話的な青銅器時代と、史実的な鉄器時代の二つの物語が混在しています。大切なことは、史実は史実として、神話は神話として認識することです。

「虐殺されるヒュパティア」

”寓話は寓話として、神話は神話として、奇跡は詩的な空想として教えられるべき。 迷信を真実として教えることは、最も酷いことです”

Hypatia


書き直し

・ローマン

 聖書に神話と史実が混在していると言っても、史実とされる部分の全部が全部「正確な史実」とは限りません。いつも申し上げておりますが、何回書き直されたか分かりませんから。

 聖書の物語はパレスチナの砂漠の民の物語ですが、それを利用した人々は「ローマ人」です。現実世界の実在をフィルターなしで見ればすぐに分かりますね。パレスチナ発祥の宗教なのにローマンカトリックって言うくらいですし、黄色人種の土地パレスチナの王イエスの物語の宗教の本拠地が、遠く離れたローマ・ヴァチカンにあるのですから。

 魔女らしくはっきり言っちゃうと、パレスチナのユダヤ人の伝説を、ローマ人が盗っちゃったってこと

 イエスはローマ人に磔にされました。イエスを槍で突いたロンギヌスはローマの百卒長でしたね。イエスがこのようになってしまったのはユダの裏切りとして未だに強調されますが、わたくしはそうは考えません。真の裏切り者が別にいるのです

 ここからは古代イスラエル王国から続く裏切りの歴史を綴ってゆきます。その歴史に聖書も付随しておりますから「誰が得するように書かれているか?」が理解でき編集改ざんの歴史も理解できます。なお、これから綴る内容は「Holy brad Holy grail」を底本としています。



触れてはならぬ血の神話

・裏切りの歴史

 ここからのお話の歴史のマキシマムスケールは2000年ですから、映画「Matrix」のアクションシーンを全スキップで見るように、極めて端的に綴ってゆきます。「神話と伝説に頼り書かれた青銅器時代の史実部分」と「神話のように脚色されてしまった鉄器時代の史実部分」という、余計なものは全て省いた物語。まずは全ての裏切りの始まり古代イスラエル王国から。

・古代イスラエル王国

 古代イスラエル王国は国といっても単一の支族からなる国家ではなく、ユダヤ人による十二の支族からなる合衆国でした。中でも権力を振るったのは、国の中心地を陣取る「ベニヤミン族」と「ユダ族」です。 

・最初の王

「ダビデの弾く竪琴に聞き入るサウル」

 古代イスラエル最初の王はベニヤミン族のサウルです。このサウル亡き後を継いだのはサウルの四男イシュ・ボシェテでしたが寝首をかかれて暗殺されます。

「イシュ・ボシェテの死」

 結果的にユダ族のダビデが王位を奪っちゃいます。このダビデが有名なダビデ王で、最初の裏切り者です。なぜならダビデは元々サウルに仕えてたのですから。

琴を弾くダビデ王

ベニヤミン族は一種の特別な地位にあった。何よりもベニヤミン族は、サムエルに塗油されてイスラエルの王になったサウルとその王家を輩出している。最終的にサウルはユダ族のダビデに取って代わられた。ダビデはベニヤミン族から王位継承権を奪取しただけでなく、エルサレムに首都を移すことにより、彼らの正当な権利を持つ遺産も取り上げたことになる。

「Holy brad Holy grail」

・ダビデの直系の王

 ベニヤミン族から王位継承権を奪取しちゃったユダ族の王ダビデの時代から約1000年後。ダビデ直系の末裔イエスが誕生します。政治的な王であり、また祭司王でもある王の中の王。イエスの時代(1世紀ごろ)のパレスチナは”王家の争いや血生臭い闘争、時には全面戦争などに溢れかえっていた”とあるほど動乱の時代。聖地パレスチナも例外ではなくローマ支配下の圧政にさらされ人々は重税と貧困に疲弊しきっていました。そんな時代に貧しき民の心を一手に集め、ローマも捨ておけぬほどの勢力を誇ったのがイエスです。その方法は、従来の救世主の到来を予言するものではなく、自分自身が救世主だとしました。要するに自分で自分をメシアに仕立てたのです

イエスが確実に持っていた才能とは、感情を呼び起こして鮮やかな例え話で自分の考えを伝えることで、これによって特別の教育もない聴衆に訴えて、ある意味で一般大衆が受け入れやすいものにした。そのうえ、イエスの先任者と考えられるエッセネ派とは異なり、救世主の到来を予言する必要もなく、自分自身を救世主と主張していた。当然これによって、自分の言葉に遥かに大きな権威と信頼を集めたことだろう

「Holy brad Holy grail」

・二つの派閥

 このイエスという傑出した王をもう一度エルサレムの王位につけることで、人民を動員し、ローマの傀儡を聖地から追い出し、部族と土地を統一し、ソロモン王時代のような栄光に包まれた君主制を取り戻そうと二つの派閥が暗躍します。

 一つはイエスのお告げの信奉者の派閥。一つはイエス自身の信奉者の派閥。この頃はまだキリスト教ではなく「ユダヤ教」の頃。ユダヤ教の核である教義と密議が大切な人々が「お告げの信奉者」であり、イエス自身の信奉者とは「家族」に他なりません。ここ超大切ですからしっかり頭に入れてください。政治的に国を治める権利の王権と、宗教教義&密儀を行使する権利の祭司権。これらは血縁・民族で代々受け継いでゆかれるものです。

・イエスの血縁の派閥(王権)
・イエスのお告げの派閥(祭司権)

 そして、聖地を蹂躙するローマの傀儡を追い出すために。この二つの派閥の信奉者とユダヤの王イエスはエルサレム入城を果たします。

・エルサレム入城

「イエスのエルサレム入城」

 イエスがエルサレムに入城し、1週間後にはみなさんよく知る磔刑です。ローマからユダヤの聖地を取り戻すどころか処刑されちゃいました。

 ここで窮地に陥ったのが二つの派閥。イエスを王に就けるという目的で一つにまとまっていたユダヤ教の二つの派閥は要である王を失い分裂します。

 王権を持つ血縁の派閥は全滅を逃れるために権威や名誉などは二の次で、ユダヤ王家の血を守るべく全てを捨てて聖地から逃亡しました
 一方、祭司権をもつお告げの派閥はイエスの血縁などはどうでもよく、重要なのは「お告げの永続化」と「布教」でした。王イエス亡き後は、王を偶像化し宗教という武器に変えローマに戦いを挑みました。その結果、ご存知の通りコンスタンティヌス大帝の時代にはローマの国教は「キリスト教」となります。つまり武力ではダメでしたが、結果的に宗教で国を乗っ取ったのです

 ……お気づきになりました?ユダヤ教からキリスト教に変わっていることに。つまり「お告げの派閥」がイエスの死後にユダヤ教の「祭司権」を奪っちゃって、イエスを偶像化しキリスト教にしたのですよ。ついでにユダヤ王家よりも強力なローマという庇護者も手に入れました。これが今日我々に馴染みのある”キリスト教の始まり”です。

初期の数世紀に発展して今日私たちに伝わるキリスト教は、このお告げの信奉者の産物である。-- 中略 -- 聖パウロによって「このお告げ」は純化され、最終的な形にされ、これがキリスト教という神学的な大建築の基盤となったことだけを述べておけば十分である。

「Holy brad Holy grail」
「聖パウロ」

 引用にもあるように、ユダ族の王イエスの死を「不幸中の幸い、邪魔な王家はどこかに逃亡したし、祭司権いただきっ!」ってしちゃった士族の末裔が、二人目の裏切り者である”ローマの市民権を持つユダヤ人”「聖パウロ」です。この人あの部族なのですよ。引用をどうぞ。

ベニヤミン族はのちにイスラエル部族との戦争に激減し「プリウレ文書」によれば「ある程度の数は残った」にしてもそのほとんどが追放されてしまった。この生存者の子孫が聖パウロで、彼は自分をベニヤミン族であると明言している。

「Holy brad Holy grail」

 元々ベニヤミン族のサウル王が王権と祭司権を持っておりましたので、ベニヤミン族の人間はユダヤ教の秘密の知識を行使できたのでしょう。その知識を持ちローマに寝返りキリスト教という建築物の基礎を作ったのが聖パウロという建築家なのです。

・裏切りの連鎖

 ここで一回整理しておきましょう。古代イスラエルの王はベニヤミン族のサウルで、その王権を奪ったのがユダ族のダビデです。

 その後、ユダ族の王でありユダヤ教の祭司王でもあるイエスが持っていた王権・祭司権は処刑と共に失われましたが、ベニヤミン族でローマの市民権を持つユダヤ人パウロによって純化(編集再編)され、ユダヤ教は「キリスト教」に、ナザレの王イエスは「イエス・キリスト / 救世主イエス」にモデルチェンジし、コンスタンティヌス大帝の時代にはキリスト教という「大建築物」になりローマを乗っ取るに至りました。

 最初にベニヤミン族からユダ族が「王権」と「祭司権」を奪い(サウル→ダビデ)、次はイエスの処刑を機に、ユダ族からベニヤミン族が「祭司権」を奪いローマの庇護化に入り「教義(お告げ)の永続化」と「布教」に成功しました。(ユダヤ→ローマ)

 そして時は流れ5世紀。ナザレの王イエスが忘れ去られ、神の子イエス・キリストが定説化した頃。聖地から遠く離れたガリアの地で新たな王が頭角を表し始めます。

・新たな王

 フランク族の王クローヴィス一世です。クローヴィス一世が即位した頃には西ローマ帝国は衰退しており、後ろ盾をなくしたローマ教会は、もう既に過去の権威は失っていました。追い討ちをかけるように様々なキリスト教の分派との争いも絶えず、もはや「祭司権」をもつ一派の面影はありませんでした。

「クローヴィス一世」

 一方、クローヴィス一世は次々に敵を打ち倒し領土を拡大していた新進気鋭の王。ローマ教会が新たな後ろ盾としてメロヴィング家に目をつけたのは容易に想像できますね。そして時のローマ教会の教皇とクローヴィス一世は協定を結びました。その協定がクローヴィスの改宗

クローヴィスの改宗

 これにより、教会はメロヴィング家という「」を手に入れ、メロヴィング家は神に認められた王という「神権」を手に入れました。

 結果、ガリアの大部分を支配する「メロヴィング朝フランク王国」の基礎を築いたクローヴィス一世は、フランク族最初のキリスト教の王という神権&王権を手に入れ、ローマ教会はそんなメロヴィング家という剣を使い邪魔な分派や異教徒を一掃し、両者は互いにその地位を確固たるものとしました。

496年、ローマ教会はメロヴィング家の血統の永続性を保証した。

 わたくしの推測ですが、この時はまだベニヤミン族由来のローマン・カトリック教会は気づいていなかったのですよ。自分たちが大変な過ちを犯していることに。己たちの教会を庇護させるために永続性を与えた血統が、本当は誰の血統か理解していなかったのです。


・事実は聖書よりも奇なり

 当時のローマ教会はこう考えていたと思います。「祭司権」は我々が保持しており「王権」「神権」は我々が洗礼儀式を施し与えるものだから、変わりはいくらでもいると。

(教皇が王に戴冠する儀式について)この戴冠はもはや王の認可や協定を意味するのではなく、まさに王を作ることであった

 それほどイエスを神格化した宗教権力の「神権」は凄かったのですよ。王に権威を与え作り出せるほど。ですからメロヴィング家もそんな王家の一つで、用が済んだら次の王に権威を与えればいいやと、ローマ教会は安易に考えたことでしょう。

 ところがどっこい、教会はメロヴィング家から離れられなくなります。

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