見出し画像

私はHSPだということを周りの人に絶対言わない

ごきげんよう、皆様いかがお過ごしですか。

自分がHSPだと自覚してから、おおよそ1年経ちました。HSPと自覚し、自分の特性を理解して、行動できるようになったので、以前よりずいぶん生きやすくなりました。

ただ、自分がHSPであるということは周りの人には公表していません。今後もする予定はありません。私が周りの人(主にリアルな付き合いがある人)にHSPであることを公表しないのは以下の理由があります。

HSPはまだまだ認知されていないから

『「繊細さん」の本』をはじめ、今はHSPに関する本が沢山出版されていますし、SNSでも Youtubeでも多くのHSPに関する投稿がされていたり、テレビなどのメディアで取り上げられるようになりました。が、私の肌感だとHSPのことははまだまだ浸透していない印象です。
少なくとも私の職場や家族は知らないと思います。多分興味もないと思う。

そんな状態で「私HSPなんです!」と言った所で「よくわからんものを言い訳にするな!」とか「そうやってレッテルを貼るのは甘えじゃない?」と批判されかねません。

HSPであることを配慮して欲しいわけじゃないから

これは完全に私の個人的なイメージなのですが、「私HSPなんです!」と周りの人に公表することは「私傷つきやすくて繊細だから配慮してね」という言葉が裏に隠れているような気がします。

(もちろん全員そうというわけではありません。あくまで私のイメージです。)

私はHSPだからって周りの人に何か配慮して欲しいだなんて思いません。むしろ配慮されてしまったら、とてつもなく申し訳ない気持ちになると思います。私がHSPと公表してしまったが為に、みんなに余分な気遣いをさせてしまった〜!あー!申し訳ない!と凹みます。たぶん。

HSPが生きやすくなるには自分で改善するしかないから

HSPを公表する目的って、自分の特性を理解してもらって自分が生きやすくなることだと思います。

じゃあなんで、HSPが生きづらいなぁって感じやすいかと言うと、周りの人がどうかという外部的な要因よりも、私(自分)がどう受け取るかという内部的な要因の方が多いと思うのです。

もちろんエナジーバンパイアみたいな無意識に人の精神を削ってくる人とか、大きな音とか嫌な匂いみたいな強すぎる外部刺激もあるのですが、結局は自分がどう受け取るかの問題で、周りに理解されて配慮してもらってはい解決とはならないと思います。仮に配慮してもらって一つ問題が解決しても、受け取り方を自分で工夫しない限りまた新たな不安の種が芽吹いてキリがなくなってしまいます。

それでもnoteではHSPだと発信する

あれやこれやHSPを公表しない理由を述べてきましたが、noteではこれまで通り自分がHSPだと伝えていきますし、記事も書いていきます。

それはHSP同士で情報や悩みを共有したり励ましあったり当事者同士でのやりとりをしたいなと思ったからです。

私もHSPの方の記事を読んで共感したり励まされたり元気をもらったりしています。私もそんな記事を書けたらと思います。

以上、HSPを公表することについての私の個人的な考えでした。

おしまい。

この記事が参加している募集

スキしてみて

よろしければサポートお願いします。サポートいただいた文は「本から学ぶ」用の書籍購入に充てさせていただきます。