季節限定

私が幼い時はもう少し、季節の移ろいが穏やかだった気がする。
なんだか肌寒くなってきたなと思ったら、衣替えをして、毛布を出す。

みのむしが1枚ずつ葉っぱを重ねるように、街行く人々も1枚ずつ身に付ける服の枚数を増やしていく。

9月末まではあんなに暑かったのに、10月上旬の今は毛布がないと耐えられない位には寒い。
ほんとに一昨日まで半袖で過ごしていたのが嘘のように寒い。

ホットコーヒーが美味しくなる季節。
ハンバーガーチェーン店ではお月見バーガーが、コーヒーチェーン店ではお芋やかぼちゃといった秋の味覚スイーツが売り出されている。

私は秋の味覚が大好きで、特に芋や栗といったものには目がない。
だから秋の新作が出ると「美味しそう、食べに行きたい」と毎年思う。

だけど、気づいたらその新作は終わり、その後新しい商品が3個くらい出たあたり、例えば冬の味覚が出たあたりで、
「あれ、今年も終わっちゃった」というのをかれこれ高校生の時から繰り返している。

私はお出かけが好きなタイプの人間のだし、それこそ学校や仕事へ行く道中、季節限定商品を買いに行くことだってできる。

だけど、何か目的があって外出する時じゃないとそういったチェーン店には入らないし、
逆に、何か目的があって外へ出る時は「季節限定商品を買いに行こう」と言う意識が抜け落ちてしまう。

あれ食べたいなぁ。
これ欲しいなぁ。

ぼんやりとそう考えているんだけれども、おそらく自分が毎年思っているそれを実行するギアを起こすほどには願っていないことなんだろう。

ぼんやりと願っていて、それで実際に手に入れたんだけど、結局そのままになってしまったことだってたくさんある。

明日読もうと思って買った本は棚に積んで埃だらけだし、
いつか来客用にと思って買ったおしゃれなお皿だって今だ一度も日の目を浴びていない。

だけど、そーゆー、自分の中だけで消化できるものだったらまだいいと思う。

思うけど、人に対してもそういうことがままあるのは我ながらよくないことだと思う。

過去に交わした約束はもうずっと果たすことはない。
あの時、宙に浮いてしまった言葉の返事をまだ返してない。

「まさかその日が来るなんて」ということがこの年まで生きていればままあって、
「まさかあえなくなるなんて」という人だってけっこうな人数いる。

いつか来る時に忖度して生きていくうちに、手の隙間から明日が溢れていく気がする。
それなのに、記憶の隙間から戻れない過去が溢れてくる。

そんなこと言ったって、タイムマシンはないんだから、どうにもこうにもすることができない。

だから、私は今日も季節限定商品の広告を見ながら「明日こそはコンビニに行って、お芋のスイーツを買うぞ」と意気込んで買わない選択を取るんだろう。

ある意味、季節限定商品を毎年買わずに過ごしてしまうと言う恒例行事が、私の季節の移ろいなのかもしれないと、冷めたコーヒーを飲みながら思う。

新しく買った服を、見せたいと思ったその相手を、せめて大切にできるような人間になりたいと思う。

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