また明日

また、明日。

どこにでも転がっていそうな言葉で、
別に何の意味もなく、ほぼ挨拶のような希薄さで紡ぎ出されるような言葉。

私はこの言葉を、24年経ってやっと信じることができた。
私にその言葉をかけた人間に対して信用すると言う意味ではない。
私にも、明日、来週、1ヵ月後、来年。
そーゆー数値でわかりやすく見えるような将来を信用することができたという意味だ。

私は小さな頃から何度も殺されそうになりながら生きてきた。

小学校に上がるとランドセルを買わなければいけないから、その前に殺してやると首を絞められ、

中学生になったら、制服を買わなければいけないから、その前に殺してやると包丁を向けられた。

それ以降は運がいいのか悪いのか、
児童養護施設に引き取られたため、命の危機に面する事はなくなった。

でも、そういう、自分の命に区切りをつけられるような人生を生きてきた私は、
数年後どころか、明日自分の生きている確証すら持てずに、
「どうせ死ぬんだから、何も希望を持たないでおこう」と、消極的な考えを持っていた。

何とか1人で生きていけるようになり、社会人もそれなりに慣れた頃、
パワハラに遭い、鬱になり、
「やっと1人で生きていけるようになったのに、結局は、こうなってしまうのか」と、
全てに絶望して、本当に半年前位はいつ自殺してもおかしくないと言う状態だった。

辛いけど、自分にとっては死に直面しながら生きていくということは、別に特別なことではなくて、
だからこそ、どう助けを求めていいのかもわからず、

そういえば、元恋人と付き合っていた時に、
「次はどこそこへ行こうね。」とか、
「来年の誕生日はこれをしよう。」とか、
そういう将来のことを言われてもわからないよ、とか思いながら、顔には出さないまでも、冷たい態度をとっていたと思う。

そういうわけで、最近で言えば、復職に週間前位からメンタルの落ち込み具合がひどくなり、
どうせ死ぬんだったら、と暴飲暴食を繰り返し、
自傷行為に似たようなことも繰り返してしまい、
それでも友達に助けを求める事は難しかった。

「自分が苦しんでいる」「自分の醜い姿」を友達であっても見せたくなかったんだろう。
プライドが頭でっかちに一人歩きをして、それなのに、死んでも文句は言わないと言う矛盾を抱えながら、
私は朝が来るのを震えながら待つことしかできなかった。

昨日、友達と遊んだ。
というか、今年になって、毎週誰かしらどこかへ出かけている。

昨日は月がとても大きかった

体が動くようになって、ご飯が食べられるようになって。
歩くだとか、食べるだとか、お話をするだとか。
そういう日常に即したものが楽しくて楽しくて、
そこに一緒についてきてくれる友達に感謝してる。

直接は恥ずかしいし、「何言ってんの?お前?」とか言われそうだからここで改めて感謝の言葉を言いたい。

本当にありがとう。

さて、話は戻って、昨日も友達と1日中遊んでいたんだけれど、そこで取られた自分が今まで1番ブスでさ。
笑ってしまう位。
鬱になる前より10キロ太り、肌はくすみ、その割には手足はガリガリで。

全部、薬の副作用のせいなんだけど。

今まで自分の醜い姿を他人にさらすことが怖かった。
その、過去に、自分が醜いと思っていた姿を、共有アルバムにアップロードされたとき、私はただただ、自分の醜さに笑ってしまった。

嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、こんな私でも仲良くしてくれる人はたくさんいると思った。

私の母は美しかった。
逆に言えば、美しさしかないかわいそうな女だったような気がする。

美しさでしか価値基準を持っていない彼女、
すべての優しさや気持ちのベクトルを金銭によってもたらされるものだという価値観を持っていた。

だからこそ、自分を美しくあらねばならないと言う洗脳を持って、
同時に、それが失われた時、未来はないと思っていた。

それでも、そんな事はなかった。
どんなにブスでも、どんなに口が悪かろうと、
そのブスの様子を友達をたくさん見ているはずなのに、

このように毎週会ってくれるし、
くだらない話で笑ってくれる。

また行こうね。
今日はありがとう。
今度はさぁ。

そういう言葉を、一つ一つ胸に抱えながら、
私は、昨日、途中で友達と別れた後、電車でうれしいような、寂しいような、
でも、やっぱり大好きと言う気持ちが溢れて泣いてしまった。

24歳が大人と言えるのかどうかわからないけど、
そこそこの年齢をした人間が電車の中でメソメソしている様子は滑稽だったろう。

それでも、やっぱり。
大好きな人たちから言われる「今度さぁ」。
一緒にいて楽しい人から言われる「一緒に行こうよ」。

あらゆる約束は、将来に賭けられるものであり、
当たり前のようなことなんだけど、私はそれをやっと信じることができた。

難しい。考えなければいけない事はたくさんあるかもしれない。
でもそれは今じゃなくていい。
今は、ただ、目の前にいる、一緒にいてくれる人たちを大切にしながら、「またね」の約束を楽しみに、目の前のことを1個1個片付けていくことで良い。

また、明日。おやすみなさい。

10kgの体重と引き換えに
満面の笑顔を取り戻した著者

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