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あなたが居てくれる


1.桜を見る


午前中、お義母さんを車イスにのせて、運河沿いの桜をほろほろと見てきました。

どんどん91歳のお義母さんは記憶を失っています。

半年前と比べても格段に記憶と筋肉が劣化し、「忘れたよ」と「ごめんね」を繰り返す。

それでも、お義母さんはがんばっていてくれる方だろう。

まだ、2分咲きだけど、今日を逃すと見に行けそうなタイミングがなかった。

もう、来年は見れないかもしれない。見せてあげたい。


よろよろと杖つくお年寄りと行き交う。

周囲をよく見ている。

と、あれは、ザクロの木だよという。

小さな幼児たちがわいわいと行きすぎる。

あらあらとお義母さんが楽し気に言う。

桜が何十本も運河に沿って並んでいて、中には4分咲きもある。

ああ、、これは早いねぇと言う。



2.あなたのこと


ずいぶん、長い間わたしをフォローしてくださってる方がいます。

お返しにと思うけれど、何もあげれそうにない。

なので、こうして書き続けている。

どうぞ、読んでくださいませと差し出す。

きっと読んでくださると、なぜかわたしは思う。勝手にそう思う。


わたしとお付き合いするのはたいへんです。

グダグダした長文だし、友だちいなく外出嫌いなので話題も狭い。

内向的で思考に寄りがちであんまり楽しくない文です。

年寄りの部類に突入しているので、気難しいかもしれない。

男なので見栄張りだったりする。ビビリだったりもする。

こう書いてみると、見事にネガティブが揃ってるのが、わたしだ。


わたし自身、こんなの書いちゃってイマイチだなぁと思う時も、なるべくUpしている。

でも、きっと、あなたは出来の良い日も悪い日も、

興味の無い記事も、関心イマイチな記事も読んでくださってるとなぜか思う。

いや、あなたが読んでくださってるというのは、わたしの思い込みかもしれない。

あまりに書き続けるのが辛くて、あなたはわたしが長い間に作った妄想かもしれない。

だったとしても、やっぱり、ふと”あなた”を想う。

とくに、今日のようになぜかへこんで、やり切れないような時。


あなただってヘコム時もあって、そんな時にふと読んで頂けるものが書けたらなぁ~とわたしは思う。

わたしは”あなた”が居てくれるから、また書かなくっちゃと思い出すのです。

そういう”あなた”にせめてどうぞ、と差し出したい。

そう思うと、わたしのこころのザワザがすとんと落ちて、こんなふうに寂しいようなものを書いている。

もう、なんべん、こんなことを書いて来たんだろうか分からない。


わたしは、よく無価値さ、無能感に沈む。

で、そういう時、わたしはやっぱり書かなくっちゃと思う。

読んでくださる方がいる限り、わたしは書かねばと思う。

こんなの書いたってお役に立ててるとは思えない。

でも、あなたに時間が出来たときに、ふと読みたくなるようなものが書けたら良いのになって、やっぱり思う。


いや、きっとお役には立てていない。

どちらかというと、わたしが生きていて、まだ諦めていないことをあなたは確認されに来るのかもしれない。

そうかそうか、あなたはまだ頑張っているんだねと、確認されに。

はい、わたし、書いておりますという証にUpしているような気もする。



他者と比較せずに済むようになったのは、仕事を辞めたからです。

会社では、わたしは負けてはいけなかった。一人前の男であらねばならなかった。

ところが、今は、競う、争うが脱落している。

誰も退職したわたしとは争ってはくれない。

比較し競うということがない街にわたしは越して来た。

それでも、無価値感、無能感はやっぱりときどき来る。



車イスに乗って40分ほど桜を見て来ただけなのに、道路のデコボコ振動に疲れたようです。

午後、お義母さんはずっと横になっていた。

ずーっとわたしたちを見守ってくれてた人が、赤ん坊のようになって行く。

何をしてあげれるかなと、思うことが増えました。

あなたの街にも桜が咲いたでしょう。

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