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”第二のおうち” ― 障害者のこと


他者との協業がADHDスペクトラムのせいで難しかったかのじょ。

パートをいろいろ変えてきたのは、いつも、そこに居ずらくなるからでした。

でも、障害のために生きずらい人ではあるけれど、いつも働いていることを望みました。

人間属の隅っこの、崖っぷちに少し住まわせてもらってる身として、労働がにんげんたちとの最後の繋がりでした。

そこが切れたら、、かのじょは「もうここで生きていて良い理由がなくなってしまうの」といいました。

働くことが難しいの・・・そんなふうに隅っこで生きているひとも多いでしょう。



1.唯一続いた仕事

春まで神奈川に住んでいたのです。

かのじょはそこでほぼ30年間、ピザ屋さんから依頼されてチラシのポスティングをしました。

これだけは、ずーっと続いた。

1日、都合のいい時間帯に1時間半ほど歩いて、チラシをポストに入れて行く。

歩ける人なら誰でもできそうに思うでしょう?

でも、同じ街を毎月同じようなコースで入れます。単調です。

雨の日も極寒の日も酷暑の日も、回る。

1枚あたりの単価はすごく安い。

淡々とするということはわたしには無理です。

上司に褒めて欲しいし、同僚から「はさすがです」とかオベンチャラが欲しい。

「ひとりで出来る仕事だから、わたしにはありがたいの」と、かのじょはいう。

わずかなんだけれども、毎月末、ピザ屋の店長さんからお金をもらうと、とっても嬉しそうでした。

わたしがすこし稼げたと、この世界にまだ居て良いと確認したでしょう。


春の頃、週に3回程度、わたしもかのじょのポスティングに付き合っていました。

わたしは付き合いたくは無いのです。他人の軒先をのぞき込むポスティングは嫌いです。

が、御大、お年を召して来てチラシの束を左手で抱え続けられなくなってきた。目も悪くなり転んで骨折をやり始めた。

そりゃもう、男子の出番なのでした。それに倍速でその日の配布分は終わる。



2.熱い日の出来事

ただただチラシを家々のポストに投函して行くだけのことなんだけれども、意外なことも起こります。


午後はヨガに行く予定の日だったので、その日はすこし早めに起きた。

かのじょが、お風呂入るわ、お化粧がとか言ってうだうだしてるうちに11時に。外に出ると猛烈に暑かった。

手分けしながら、坂の住宅たちを回わりました。


そのアパートの各ポストには、先月から、「たすけあい〇〇」とラベルが貼られ始めていました。

上下左右の4室が1つのユニット。

アパートは、2つのユニットがくっついて、計8室の建屋です。

障害者用のグループホームが1棟借り上げているんだな、ふ~ん、アパートを丸ごと借り上げて「ホーム」にするのか。

先ずは左側のユニットの集合ポストにピザのちらしを入れ、今度は右側のユニットへと向かいました。


とつぜん、「カギが回りません」と誰かの声がした。

聞き間違えでしょうか。周囲を見回しても誰もいない。

「カギが回りません」とまた。

見上げると、階段上がった上の部屋の入口に人が座ってた。

おお・・・。

人の気配をまったく感じていなかったのでちょっとびっくり。


どうしたの?と下から聞くと、また「カギが回りません」と上から細い声で言う。

「あのぉ~」も「すみません」も無しに、置かれた状況だけをわたしに言うその人は20代ぐらいの女性でした。

背中にリュックを背負っていて地味な服装で、顔もオーラがない。

暗い表情ではないのだけれど、能面のよう。ただ、じっと座っている。

また、「カギが回りません」という。

どう考えても、自室に入れずに、困った、助けてくれという状況でした。

わたしは階段を上がり、女性にカギを手渡してもらい、じぶんで鍵穴にカギを入れてみた。

すっと入ったんだけど、ざんねん、回らない。

何度かやってみたのだけれど、やっぱり回らない。

ううーん、困った。



3.どうする、わたしっ!

配る道はところどころで2手に分れ、かのじょとチラシを配ってゆくのです。

最初はわたしの左手がずっしり重たい。

また、合流し、また分岐するを繰り返す。

段々とチラシが軽くなって行く・・。

終わりが近くなる。だんだん、わたしたちは速足になる。

途中で一方が何かの都合で遅れると、次の合流点で相方はどうしたのかと待つことになります。

かなり早いペースで配って行くので、1,2分なにかに手間取るだけでも、相方に何か起こったのかなと確認に行くはめになる。

迷惑とまでは思わなかったけれど、ううーん、早く行きたい。。


その若い女性にわたしは聞いてみました。

左側のユニットのどの部屋かに誰かここを管理している人はいるの? 「いません」。

じゃあ、管理している会社に電話することはできる? 「できません」。

おお・・。どうする、わたしっ!


ただ借り上げて各人に提供しているだけの居住アパートなんですね。

それぞれの部屋は彼女のような障害者がそれぞれに寝泊まりしているだけの。

ううーん、困った。。。

もう合流点に着かねばならないタイミングなんだけど、この女性をこのまま放置もできない・・・。


きっと、この女性はこのままじっと2階の部屋の前に座り、たまたま通りかかる誰かにまた「カギが回りません」と声をかけ続けるのか。

そのたびにその誰かはカギを回してみる。ああ、、でも、それは回らないのです。

そんなふうに日が暮れて来る。。おお・・。


今、思い出しても、場面はクリアなのにその人の顔がぼぉーとしていて、わたしは彼女の特徴を言えない。

女性は影が薄いひとでした。

そっと隅っこで生きているような、そんな人。

夕闇に、その人がぽつり寂しげに座り続ける姿を想像すると、とてもじゃないけど、さよならとは言えなかった。

どうする?わたしっ!


なぜ、カギが回らないんだろう?と考えた時に、あって思いついた。

その女性に、左のユニットの2階の部屋に行ってみようと提案した。(わたしたちは右ユニットの2階にいた)

ほら、左右よく似た構造だし、誰だって勘違いするってあるからね、だめもとで試してみようとわたしが言う。

と、女性は二階からユルリ階段を降り始めた。


女性は2階から道路に降りてくると今度は左のユニットに行き階段をあがり、持ってたカギを入れた。

下からわたしが回った?と聞く。

「回りました」と表情も声の抑揚も変えずに言った。

おお、、、良かったぁ・・。

わたしはじぶんの思い付きがうまく行ってプチ感動したのだけれど、女性は表情に変化をみせないまま。

まっ、とにかく良かったねとわたしは言い、女性がドアを開け、中に入るのを確認した。

ああ、、入れたっ!

わたしに声掛けしたことさえ、彼女にはたいへんな勇気が必要だったでしょう。

ありがとうも言わずに彼女はすっと中に入って行ったのでした。



4.費用は月額7万5千円ほど

わたしは、急いで合流点に向かいました。

どうしたのというような顔でかのじょが待っていた。

きっと時間にしたら、2、3分遅れた程度だった。

ちょっとひとに助けを求められたので遅れたとだけ説明し、わたしたちはまたポスティングを再開しました。


別れ際、わたしは女性に、またカギが回らないことがあったら、隣の二階の部屋に行ってみて回るか試してね、と忠告した。

誰にだって勘違いは起こるからと。

ああ、、でも、なんのリアクションも見せない彼女なのです。

左右の違いも記憶しておけないままかもしれない。

この女性は無事にこれからのじんせいを送れるんだろうか??

なんだか他人事とは思えない。

ああ、、なんて生きずらい!

ご両親はずっと気がかりだろう・・・心配だ・・と思いながらわたしは、チラシを配り続けた。


家に帰ってから、「たすけあい〇〇」という障害者のグループホームを調べてみた。

費用は、月額7万5千円ほど。

家賃3万円、光熱水費1万円、食材料費3万円、その他という感じだった。

あの女性は自閉症でしょうか。

コミュニケーションが十分に出来ないようでした。

もちろん、どこかの会社で働くなんて無理そう。

障害者年金は、重度と認定された場合、月額8万円ほどの支給です。

グループホームの費用は、知的障害者がもらえる額にほぼ近いものにキッチリ設定されていた。


で、この「たすけあい〇〇」のHPですが、行政の支援を受けながら少人数で共同生活をする”第二のおうち”ですとあった。

”世話人" や "生活支援員" と呼ばれるスタッフが、必ず1人常駐しますと。

土日・夜間もスタッフが駐在し、食事や入浴などの日常生活を介助します、とある。

うん?

入浴・排せつ・食事の介助や、健康管理・金銭管理の支援、家族・就労施設との連絡調整、それから、相談ごと、日常生活に必要なサポートをいたしますともある。

ほぉ・・・

安心して地域生活を送るための日常の場の提供であり、不安を安心に変えながら、自立へと促すお手伝いをさせていただきますとある。

自立??

とにかく、あそこには、どの部屋かには管理者はいたんですねぇ。。

仮にわたしに出会わなかったとしても、なんとかなったのかな?

いや、ほんとに常駐してたんだろうか??

挨拶も、受け答えも十分に出来ない人が他人の善意だけを頼りには生きてはいけません。

ずっーと途方に暮れてるなんてあまりにも可哀そう。しかも、若い女性。。

やっぱりサポート体制はあったのか、、良かった・・・とじぶんに言い聞かせた。

半信半疑ながら、わたしはプチ安心することにした。



5.なぜ子をホームに入れないといけないの

なぜ親がこんな心細い環境に心細い子を送り出すのかといえば、それは自分たちが先に死ぬからです。

なるべく、早めに子の”自立”を促しておきたい。

もちろん、同居していれば子は安心しますし、親にとってもそうです。

が、同居しながら子も年を取り、柔軟性を失って行く。

たとえば、子が50歳になって、残っていた親も死ぬ。

とつぜん、その子を手当する者がこの世から消えてしまう。

ただただ呆然とし続ける子が浮かぶ。。

同居した場合、そんなふうに我が子が路頭に迷うと親は思うのです。


まだ若い時に子を出せば、子は辛いだろうけど不憫だけど、それでもときどき親は子を訪問してカバーしてあげれる。

そうやって慣らしながら、だんだんと自分たちがフェードアウトするというソフトランディングを親は願うしかない。

当初、親も子も別れの苦しみを持ったでしょう。

のだけれど、その方が致命打にはならないだろうと親は腹をくくったでしょう。


でも、障害者の中でグループホームに入居できている人はわずか10%程度でした(厚生労働省HP)。

親も生活費に困っている場合、月額8万円ほどの障害者年金は家族にとって必須な生活費になってしまう。

そんな家庭は多くて、とても子を外に出せないということです。

親にいくばくかの余裕があって初めて、子を送り出せれる。心を鬼にして。

そんなケースはぜんたいの10%程度しかなかったのです。

あとの9割の子たちはどうなってしまうんだろうか・・。

”第二のおうち”とは、悲しみを帯び去り行く者たちからの、せめてもの子への贈り物だったのです。



6.たまたまなんでしょうかね?

厚生労働省HPによると、日本全国で障害のある人は約936万人なんだそうです。

もちろん、”障害のある人”は、知的障害者ばかりではなくて身体障害者もおおぜいいる。

でも、いずれにしろ障害者たちは一定割合で毎年発生する。

障害者たちは他者の支援なくしては生活できない。

たぶん、この記事を知的障害者の方には読んでもらえません。

かれらが目にする手段も機会もない。

わたしは誰に向かって書いてるんだろう?


あなたもわたしも知的には健常者で生まれて来たのですが、それはたまたまとも言えます。

あなたもわたしも、サイコロの振り方によっては、あの二階で途方に暮れていたのです。

一定割合で毎年発生するため、誰かがその”途方”を背負うことになります。

いいえ、個人では背負いきれません。

障害とは仲間が抱えねばならない、わたしたち人間属の定めということです。

約1000万人の障害者に毎月8万円として、年間10兆円ほどの予算規模でしょう。



7.いいんですかね、9兆円

防衛費は2022年に初めて6兆円を突破し、 岸田くんは防衛費を9兆円に増額する意向を示している。

これが実現した場合、単純比較で世界3位となる計算だそうです。(今は10位)

障害者の親たちは、声高にもっと金よこせーとは言いずらい。

欠落してしまった我が子・・。

一人前に産んであげれなかったのだから、子だけではなく親も肩身が狭い。

子がいつまでも働けないので、親の家計も段々苦しくなる。自分も年を取り仕事につけなくなる・・。

きっと残りの9割の親たちはさぼって、貧しいわけではないのです。

次世代が家計を立てれないという構造的な理由なのです。


どの国も1割近くの障害者がいるとして、軍備や核弾頭の開発に巨額を支出していいのかな?

国威発揚という名のもとに多くを犠牲にする。

戦争は足や手を失った身体障害者をさらに生み出します。

もちろん、精神障害者もあきらかに増えます。

ベトナム戦争でも湾岸戦争でも、戦場でせせら笑ってた多くの米兵が帰国後に強烈なPTSDに苦しみました。

大義も無く、他国の妊婦や子どもまで殺したのです。

その殺戮の映像が消えない。

寝ていると、大汗かいて何度も目が覚め、心臓が狂うほどにドキドキする。

魂が許さないのかもしれない。戦争は最大の愚かさでしょう。


この月額8万円はひとり生きるに最低限の額でしかないです。

スマホも持てず、病気もできない。貯金も不可能。働くことはできないまま。。

親が生きているうちは支援もあるかもしれないけれど、親の死後もずっとまったく余裕の無い状態が続きます。 

お菓子もたべれず、スマホも、いっさいの娯楽も無い。

人とうまく関われず、ひとりポツンと隅っこにただ居る。

いったいどこで人間属と繋がる?、ここに居ていい理由をどうやって探せばいいんだろう?



たまたまなんでしょうかね?

「障害」という字と、「生涯」はおなじ発音となっている。

わたしたちの先祖たちが字に何かの想いを込めてたのだとすれば、

わたしたちのじんせいは、また、障害を”仲間”として抱きかかえるのだというメッセ―ジだったんだろうか。

なにか、いろいろと考えさせられる暑い日だったのです。

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