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賢者は時を待ち、愚者は先を急ぐという ― 内なる豊かさと、自己像と、作品とが結びつく


書く行為は、内なる豊かさと自己像との間を行き来させます。

自己像は、世界の捉え方が集まったもの。みんなの反応が少ないと、この自己像が歪んだりする。

自分自身の評価と他者の評価とは同じではないといくら分かっていても、人の目を勝手に妄想しわたしはひるむ。

こんなの書いたらヤバイとか、恥ずかしいなとか、どうせシロウトだしという制限をかける。

そんなふうにして、わたしは自分の中の豊かさを汲みだせなくなる。


意外なことに、世界(他者)と付き合うのが難しいことが問題ではないのです。

リミッターのかかった自己像を緩めてあげることもそれほど大切でもない。(better程度のこと)

向かって行くべき方角はそっちじゃない。

自分の根っこにある「内なる豊かさ」を自分で直接問わないから、外野や姑に負けてしまうメカニズムがある。

実は、あなたは自分の中にある「内なる豊かさ」をほとんど信じていないとも言えます。

でも、あなたと同じようにわたしもこうして書きたがる。

無視されている声が強靭にそそのかす。さあ、書こうよ。また、書いてみようよ。僕の顔をちゃんと見てよ、と。


アマのわたしがなぜ創造性ということに拘るかと言うと、それはこころ解放するプロセスだからです。

シロウトだろうがプロだろうが、自分自身のこころを広々と解き放つ訓練はとてもたいせつです。(いくつになっても)

でも、「解き放つ」と言うとらえ方は、実は何も実を結んでくれない。

目を向けるべき方向は、そっちじゃない。

あなたはたぶん、わたしよりうんと若い。あなたには時が味方してくれます。

賢者は時の待ち方が違うと言うことについて書きます。長いです。



1.あなたの土壌をつくる


短命だったそのモーツァルトは35歳で死去するまでに60曲、ベートーベンは生涯で650曲、バッハは1000曲以上を作曲している。

で、最高傑作と呼ばれるものは、それぞれ6曲、5曲、3曲だそうです。(命中率の高いモーツァルトは破格の天才でした)

モーツァルトの「レクイエム」を聴けば、わたしは随喜の涙なみだ、ぽろぽろ、ぼろぼろ、わんわん。この1曲だけで彼はじゅうぶん天才です。

この最高傑作のカウント数に異論もあるでしょうが、かれらだっていつも名曲だというわけでもない。

ピカソの全作品は1,800以上の絵画、1,200以上の彫刻、2,800以上の陶芸、12,000以上のデッサンのほか、版画、ラグ、タペストリーなどなど多岐に渡る。

でも、高く評価されたのはそのうちのほんのわずかです。(彼のデッサン群だけでも驚愕のレベルですが)

つまり、傑作を生み出す可能性を高める方法は、多くのアイデアを生み出すことに尽きる。

でも、数打ちゃ当たるということではないんです。傑作を生みだすにはそれを育む土壌がいるという話です。

ひたすら数多くの作品を創作する、仕事をこなすしかない。

けど、そうすることによって、「自分の感性が研ぎ澄まされ、データが蓄積され、肥やしになっていく」というんです。

かれらは、身をもってそれを実際やった。


わたしだって小説ばりばり書いてノーベル賞を受賞できたらとはおもいますよ、もちろん。

でも、じっさいのわたしはどうかというと、才能が無いからなぁ・・とかいう声がいつもこだましている。

書き続けることに疑念が沸くわたしは、才能の有無に問題をすり替えてる。(こういう短絡的な視点は、努力しなくて済むというメリットがありますが)

わたしはじぶんが大好きなベートーベンでさえ生涯に650曲も作って、いろいろアイデアを試して、そしてようやく世に残る仕事が数曲出来た、、なんてことはまったく無視している。彼は天才だもの、で片付ける。


詩人で作家のナタリー・ゴールドバークさんという方の本を読んでいたら、こんな話をされていた。

彼女は長く大学やコミュニティで文章教室を開いて来た方なのですが、驚くことがあるというのです。


集まった生徒たちにテーマを出し15分ほどで書きあげてもらい、出来たら順に読んで行く。

生徒の作品の中には彼女がほんとに素晴らしいと心底思うものがある。

けれど、「素晴らしいわ」と言うと、書いた生徒は決まってほんとのことを言ってくれと言う。

いやいや、ほんとよといくらいっても生徒は信じない。そういうことが、とても多いというのです。

つまり、書いた本人には、自分の作品に対する理解と評価、そして自己像とのあいだに大きなギャップが存在している。

プロ、アマ問わず、自分が生み出したものを評価するということは、じつはとっても難しいのです。

なんでそんなことになるんだろうかというのです。


書くということは、「内なる豊かさ」を紡ぎ出すことです。(こう断言してくれる人にわたしは滅多に出会えません)

「内なる豊かさ」を出しても、「自己像」が歪んでいると「作品」を自分が受け取れなくなる。

例えば、自分は右も左も分からないアマチュアだという観念につかまってる。

うまくなりたいから彼女の教室に行ったのです。

が、そこでせっかくエネルギーをもった自分だけの話を紡げても、初心者だというフィルターで見ている。

だから「素晴らしいわ」と言われてもピンと来ないのです。


いいや、誰の内にも良いものがあるんだ、自分自身を信用して欲しいと講師の彼女は言うのです。

その内なる良きものとの出会いがあるから、自分が出したものを見て静かな平和と自信が得られるんだと言う。

言うのだけれど、書いた生徒は今までの自己像をがっちり握って離さない。(きっと「ダメなわたし」像から離れるのが怖いでしょう)


わたしたちは自分の外に見えるものを評価することは得意ですが(好きですが)、自分の人生を理解し評価することはとっても下手です。

いつも目が外ばかり向いているからでしょう。

はて、自分の内なる世界はどうなのかとグルリ、視座を自分自身に向けてみる経験なんて滅多にない。

向けずにがむしゃらに作り続けても、自分との対話が無いままです。

無いから、「感性が研ぎ澄まされ、データが蓄積され、肥やしになっていくと」いうことが起こらない。

単なる量産マシーンじゃ、続けられません。当人も飽きて来て嫌気も射します。


いいえ、彼女が言いたいのは、自分が産み出したものを見て静かな平和と自信が得られるという経験を誰も意識して無いし、わたしに求めて来ないということです。

きっとベートーベンは作曲し続けるうちに、「内なる良きものとの出会い」を重ねるという経験をしていったはずです。

それは彫刻のロダンだって、劇作のシェークスピアだって、いやいや、大谷翔平だって、そうなのです。

行為を繰り返す中で、かれらは「成熟」していったに違いない。

そうして自分を信頼するということを学び、静かな平和あるいは静かな喜びというものを手に握っていった。

それは才能の有無以前の、スキルのことです。

そして、「内なる良きものとの出会い」をせつじつに願う、夕べの祈りのようなもの。

きっとそうだとわたしが確信するのは、静かさと喜びが無い行為を人は継続できないからです。

人は、いきなり天才にはなれない。

継続し「成熟する」という、ひどく平凡な、しかし、多くの人がやれないことをかれらはやった。



2.不安なカップルがすること


年配に成るとすこし良いことがあります。

もうたぶん、恋はしない。いちおう、パートナーが今もそばにいるという実績もある。

だから、自分の過去をネタに自信もって好き放題言える。(現役中だといつひっくり返るかもしれず、怖くて偉そうに言う気がしない)


大学生を対象に調査した結果、というのを見たのですが、

精神的に不安定なカップルは自分たちの写真をSNSにupする傾向が強かった。

逆に安定したカップルは自分たちをあまりupしないと。

わたしが書いて来たSNSではじぶんを晒します。

なので、わたしもお友達も自分の氏名、写真といった個人を特定できるものをお互いあげません。

自由に自分の内面を書くことができなくなるからです。

なぜ発信するのかと言えば、自分を理解して欲しい、受け止めて欲しいということが大きな理由の1つだと思います。

で、個人の属性は隠すのが掟。


とても親しくなると、ある日、相手から「わたしの写真です」というのが送られてくることがある。

わたしは、ああ・・・ブルータス、あなたもかとへこむ。

なぜかというと、自分の写真をわたしだけに送ってきた方は間違いなく、SNSを退会される。

サヨナラと言う代わりに、わたしはこんな人でしたよという最後のメッセージなのでしょうか?

いいや、抱えて来た不安が極限にまで上り詰めた気配を感じます。

“良いお付き合い”の背後に隠していた不安がもう押さえきれなくなって、わたしを救ってー!、助けてー!という声が聞こえる。

SNSを辞めたいわけではなく、暴走する自我と本来の自己との折り合いがつかなくなって、救いの手を写真に託して求めているように聞こえる。

まずは100発、100中、退会しSNS空間から自分を抹消されます。

そうすると、なんにもしてあげれなかった、なんの助けにもならなかったじぶんだけがポツリ残される。

残されわたしはただ呆然とする。。

で、そんなことを経験ばかりしていると、親しくなることが怖い。

他者を励ます言葉は、いっそう相手を依存させ追い詰めることもあるのです。


若いカップルが無意識に自分たちの写真をあげたくなるのは、ペアルックと同じで、内にせり上がる不安を写真という姿、形で固定し押さえ込もうとしているからでしょう。

ほら、写真に自分たちが映ってる、わたしたちは今笑ってる。。確かに、今ここにいる!と。

そうやって仲良しの二人を永久に固定したいという熱でしょう。

でも、人は欠けがあるから満たしたいと何かをするのです。

仲良しではないから、仲良しの証を求めるのです。不安だから、不安を解消した証を示そうとする。


きっと、SNSを退会されて行った方たちは、わたしにより近い関係を結びたかったのでしょうか。

恋人?親友?父親?師匠?? 分かりません。

わたしに写真を開示し、すべてを無防備にさらすのですから、外部にいるわたしに何かを求めたのだと思う。

でも、気持ちは分かりますが、わたしはそれには答えられない。

あなたは自分の外にではなく、自己の中にこそ、その貴い存在にこそ頼るべきでした。

「内なる良きものとの出会い」は、あなたにしか出来ないこと。

なにも天才たちだけがじんせいで実践すべきことではないでしょう。


去った人たちは、非常に豊かな感性と個性を持っていました。きらきら輝く記事を書いた。

その輝きの担保は、しかし、外側のわたしには出来なかった。



3.賢者は時を待ち


働いていたわたしは最初の1000日間、毎日書きました。毎回、1時間半かかりました。

千日回峰行に似せて、修行としてじぶんに書かせた。

https://note.com/asaasa897/n/nce1c71729145

それからこの10年あまりを週3本を平均書いて来たとすると、3本×4週×12か月×10年=1440本をさらに書いたことに成る。

計2440本じゃなんにも起こらなかったから、ベートーベンにならって、1万本、10万本と書いていくべきでしょう。

でも、そうして行ったとしても、じつは、じぶんの書いたものを理解し評価できなければ、肥やしは作れないまま。

現に、わたしが良く書けたなぁ~と思うものは人には読まれず、わたしには意外なものが読まれたりして来た。

つまり、わたしの「自己像」が相変わらず歪んでいるのです。


先のゴールドバークさんは、こうも言っていた。

『私が言いたいのは、自分の内に良いものがあることを認め、それを表に出して、素晴らしいものを自分の外に創造しようということです。

内なる豊かさと、自己像と、作品とが結びつくなら、アーティストのほとんどが見逃しがちな、静かな平和と自信が得られるでしょう。』

彼女は、いいます。

「自分はいい人間だ。だからこそ、抵抗を打ち破って光輝き、よいものを書き、それを自分のものと認めることが出来るのだと(あなたに)言って欲しい」と。

自作のよさに気づくことに比べたら、世間が作品を認めてくれることはたいして重要ではないと言い切ります。

わたしにとって、これは驚くべき言葉でした。

「自作を認識することはきわめて重要なステップであり、幸福感を与えてくれる。

書いた作品がよければ、それはほんとうによいことなのです。自分の作品はちゃんと認めて、それに自信を持とう」と。

そうだそうだ、わたしはしあわせであるために生きていて、だから、しあわせであるために書くのです。


彼女が繰り返したのは、自己への信頼の旅のことでした。

外部権威が与えてくれるものなどたいした価値は無い。

内なる良きものに近づく喜びと平穏を信じて欲しいと。

わたしは、毎回書き終わると、プチ平和と自信に満たされます。

出来が良かったかどうかというよりも、書けたことが嬉しい。

自己像が歪んでるわたしでさえ、何かに包まれる。

それはなんだろうかとずっと思って来たのですが、自己の中に在るものに触れたのでしょう。

もちろん、わたしの中には悪きものもある。

頑固さやビビリ、へたれ、卑しさ、恨みがましさというのもある。

でも、その子らがぜったい無くならないと同じように、良き子たちもいる。

ぜったいにいるその良さにじぶんが触れると、わたしはやっぱり嬉々としたエネルギーがもらえる。

他者からのお褒めの言葉や称賛はわたしのこころに平安と自信とを与えてくれません。

じぶんの中にある良きものを認めるということは、悪しきものも認めるということです。

そうやって、かれらと対話しながら、ずっと耕して行く。


賢者は土壌を作りながら時を待つという。

ただ待ってるわけじゃなかったのです。

土壌はたしかにここにあると受け入れ、それはじぶんで耕さないといけないということです。

書き続けるとはすごく長い旅でもありますが、それ以外にほんとのじぶんに近づく方法がわたしには見当たらない。

いつも自我が邪魔してくるのですが、しかし、書くたびにプチ平和と自信と嬉しさも与えてくれる旅。

内なる豊かさと、自己像と、作品とが結びつく。。。

素敵な言葉です。

わたしもこれを真っすぐ見つめて生きたいのです。

さあ、明日も書くぞ!

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