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誰も神ではない 何をしようが自由

数日前の精神科受診から、色々と考えていた。
今回は主治医に少し厳しいことを言われたりして、それからずっと思考していた。

主治医がよく言う、私の「思考の癖」。
捻くれた思考になったのはなぜか、とか、いつからか、とかを考えた。
そういえば小学1年生の時に担任の先生に呼び出されて、アリとキリギリスの話をされたな。
逃げてばかりじゃ、楽してばかりじゃやっていけないよってことを言いたかったのだと思う。
その後も中学や高校の担任にも逃げてるとか楽してるとかいうことで説教をされたり呆れられたり。
そういった過去を思い出したら、私って本当はうつ病なんかじゃなくて、ただ甘えてるだけの人なんじゃないかという結論になった。
ここ数日考えてきて、昨日は号泣もした。

しかし見方を変えてみれば、主治医が絶対正しいわけではない。
主治医は神ではない。
絶対信じなきゃいけないわけじゃない。
過去の担任の先生たちも実はただの人で、神ではない。

そう考えられたのは、銀色夏生さんのエッセイの影響もあるかもしれない。
私が今読んでいるのはかなり古いエッセイ(1995年とか)なのだけど、それでも面白い。
日常の出来事について書かれている合間に銀色さんの考え方も挟まれている。

それは子供に向けてのメッセージだった。
大人の言うことをなんでも鵜呑みにして言いなりにならないように、みたいなことが書いてあった。
私はもう子供じゃないけど、子供の頃に大人に言われた「逃げてる」「楽してる」「そんなんじゃ生きていけないよ」といういくつかの言葉を今鵜呑みにして、だから自分は今こうなってるんだ、とか思わなくていいんだなと思った。

私は親の影響も多大に受けているタイプ。
だけどやっぱり、親も神ではない。
親の言うことを今でも気にしたり親譲りの思考回路をしたり、って勝手に頭がやり始めるけれど、親もただの人。

誰を信じるか何を信じるか、誰も何も信じないか。
自分が自由に決めていいんだ、本来は。

だから主治医に何度も思考の癖が〜〜と言われても、深刻に考えすぎないようにしよう。
主治医が絶対正しいわけではない。
たしかに思考の癖のせいで生きづらさを感じてはいるけど、無理して矯正するものだろうか?
意識しすぎるとうまくいかない気もするし。

誰の意見も参考程度にして、誰かの発言に足を取られて何もできなくなるようなことがないようにしよう。

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