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わたしたちのセイなる話 第2夜

昨今の社会ムーブメントの影響から、私たちを取り巻く"性"にまつわる環境は変わりつつある今日この頃。

1つ1つの事象やニュースを取り上げたらキリがないくらいなんだけど、大きく言うとセクシャルマイノリティの概念や女性のエンパワメントについて考えることから始まったのかなぁ。

そんな今回は、"わたし自身の性"について考えてみようと思う。「性はグラデーション」とはいうけれど、一体わたしは何色で、誰が好きで、自分とはちがう色な人に対してどうありたいんだろう。

もっともっとみんなが生きやすい世の中を目指して、まず私たち、改めて考えてみるの。お手柔らかにね

さあ
ミュージック、スターティン🍎第2夜


文:藤本勇気

私たちは何色なんだろう。私はまだ、この答えとしてはっきりした色を提示できない。というか、できる日は来るんだろうか。

だって、人生何があるか、自分にどんな変化が起きるか本当にわからない。

小さい頃の自分は、22才になったらイクラとマグロが嫌いになるなんて思わなかっただろうし、ましてや、映像作品を作って楽しんでるなんて高校生の自分でも想像すらしなかった。

ただ、じゃあこのことから、「私の色は変化し続ける」と言い切れるかって言われたら、それがこの場合、「よく分からない」。

煮え切らないけど、本当のことだ。

例えば、現在の私は、単純に同性を好きになるイメージはうまく浮かべられない。

でも女性の体はとても美しいと思う。

しかも、大抵の異性に対して嫌悪とか恐怖とか、居心地の悪さを感じる。

いま、母を除いて私が一番自分らしく振る舞える人たちは全員が同性だ。わたしにも少数ではあるが、異性の友人もいる。しかし、今だに、正直緊張を感じる瞬間がある。そういうのは消えない気がする。

異性に対するそういったマイナスの感情は、ほとんど父親が影響している。長い間、母と姉とわたしの同性だけで暮らしてきたのもある程度影響してるかもしれない。

今まで好きになった人もいわゆる、「男性らしい」男性ではなかったようにおもう。少し「女性らしい」雰囲気を持っている人の方が好きなのだ。(しかも、好きになった人に「男性らしい」面を感じるとキツイと感じる。)

「男性らしさ」とか「女性らしさ」とかそういう言葉は本当は使いたくない。

そういう概念がなく、みんながそれぞれ思うように自分として振る舞ったらどうなるんだろうと思う。それでも、いま私が感じる「男性らしさ」とか、「女性らしさ」って存在するんだろうか。

そんなふうに空想するのと同じように、こうも思う。

もっと社会が同性でも異性でも好きになることが可能で、誰を好きになっても誰も干渉してこないことが当たり前で、そういう諸々のうるさいことから心の底から解放された時、解放されている状態が常な社会に生まれていたら、私はそれでも異性を好きだろうか。

それとも???

男性とか女性とか関係ない?性的な目線があるのかどうかが嫌悪とかに繋がってる?わたしが女性に安心するのはそういう目線がないという感覚が刷り込まれているから?

、、、と、まあ、、そんなことをポツポツと考えていると、分からなくなる。

でも、無理にわかる必要もないとは思うので基本問題ない。個人的に頭をひねる感じでモヤモヤはするけど。

もちろん、他人がどんなカラーを持っていようと、何も言うことはない。関係ないとは違う。もっと充実するべき社会制度とか、解決するべき問題は実際にあって、それらが揃うことは、先ほど書いたように新しい私のカラーを彩るきっかけになるかもしれない。

こんなに偉そうにつらつら書いたけど、身近な人にいわゆるカミングアウトされたら、死ぬほど驚いてひっくり返ってしまう自信がある。そういう時、自分でもドン引きするくらい、勝手にパニックになるだろう。

それってやっぱり、どっかで「異性愛=普通」が自分の中に浸透しちゃってるってことなんだろうなあ、、、、死ぬほど嫌。

そういう、自分でも気付かない「勝手な普通」をどんどん駆逐していきたいです。

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