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浅葱色の番外編「忙しい冬に聴く夏曲・ドット・キョム。」

忙しない。嗚呼、玄冬が忙しない。
そんなカス俳句がぽろりと生まれてしまう程、忙しない冬、今日この頃である。ごめんね、夏井先生。
私は冬に聴く夏曲が好きだ。私が夏真っ盛りに夏曲を聴いてウェーイな夏タイプではないのは、皆さんもうおわかりだろう夏。今回は、「忙しない冬」を中和すべく、「空虚な夏」を感じられる楽曲を紹介してゆく。

こめまーく: 先に断っておくと、飽くまで「空虚な夏を感じられる楽曲」である。「コレ別に夏曲じゃなくね?」とは云う勿れ。うるせぇのである。


夏の夜の町 / きのこ帝国

from "猫とアレルギー"(2015年)

みんな大好き、きのこ帝国である。先に言っておきたいのは、私が夏が大好きであるということ。そして、殊にその「空虚さ」を愛していること。(私の研究テーマ「青春」の愛おしい点も又、それである。)『夏の夜の町』の空虚さは「喪失」から来る。前作「フェイクワールド」収録の『クロノスタシス』は"君"と夜の街を歩く二人の物語であるのに対し、『夏の夜の町』はもう既に失った"君の幻影"と歩く独りの物語である。不思議と現物の"君"と歩く前者よりも、後者の方が"君"の描写が鮮明である。
居ないのに、「実際に居る」よりも「居る」のだ。

『クロノスタシス』の方が多幸感に溢るるようで好きな人も多いと思うが(私も好きではあるが)、『夏の夜の町』でしか得られないエモーションも又ある。独りで夜の街を歩いているだけの風景を、どこかドラマチックに描く。空虚な夏曲の魅力である。
アルバム「怪獣とアレルギー」には、普通にこの時期に聴くとグッとくる『桜が咲く前に』も入ってる。ぜひ。

魔法使いのマキちゃん / ポップしなないで

from "上々"(2020年)

ピアノとドラムのツーピースバンド。まぁ実は夏曲ではない。はい、静かに。私が夏だと感じたなら、それはもう夏曲なのである。
ひとつは歌詞のナンセンスさ。脈絡のない表現、曖昧な表現、対称的な表現など、ふわふわとした雰囲気を詞世界でもって創り上げている。
次にサウンド面。声、ピアノ、ドラムというミニマルな編成。ある意味、隙間(=虚ろ)だらけのサウンドがもうグッドである。そして、ピアノで7thコードを弾いたときの、揺蕩うような響き。
この曲の空虚さは「不確定さ」から来る。
小学生の頃、宿題も終わり、予定の合う友達もおらず、親も仕事でいない日があった。ゲームも飽きたし、やることが何もない。家で独り。弱りきった蝉の声。

何をしたらよいかも分からず、無力感や虚無感に襲われるのだが、不思議とその感覚が嫌いではなかった。
この曲を聴くと、そんな感覚が蘇る。

白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター / the pillows

from "Thank you, my twilight"(2002年)

純粋で、幸せだった「あの頃」を歌う楽曲。切ないが、切なすぎないギターイントロでもうお釣が来るくらいだが(エネルギヤもいいよね。)、ピロウズの大きな魅力の一つは、やはり詞である。

"白い夏"や、"緑の自転車"、"赤い髪"、"黒いギター"はその思い出の象徴だ。具体的な描写で「あの頃」を鮮明に描く。鮮明に描けば描く程、荒んでしまった現在の自分の空虚さが際立つ。色彩に満ちた情景描写の気持ちよさも素晴らしいが、私が好きなのは「夢中だったおもちゃの兵隊は もう一歩だって進まない」という一文。的確に、the pillowsらしく、あの頃と現在の世界の見え方、ものの考え方の変化を表している。くぅーッ、こういうとこが憎いね。
かと言って、現在の自分を責めて終わりでもない。今自分の歌は綺麗だし、まだあの虹を見ていることも別に不自然じゃない。(これらの肯定も、「あの頃」の思い出ありきで成立するものだが。いやはや、そういうところもまたオツである。)私のような、青春の思い出に縋る人間に寄り添う名曲。

最後の信号 / 100s

from "世界のフラワーロード"(2009年)

最後に一番渋いやつである。日本語ロックにおける詞の乗せ方に革命を与えた中村一義率いるバンド。レキシの池ちゃんも参加していたバンドである。
この曲はもう、至高の「空虚夏曲」である。虚無も虚無である。信号をボーッと見つめて考え事を巡らせている、それだけの歌である。しかし、とんでもなくドラマチックチックである。
普通、人はひとつの場面で、同じ信号の赤を二度も見ることはない。だってそれって「赤→青→黄→赤」の1サイクルをボーッと見つめていることになるから。想像してみたら分かるけれど、そんな奴やべえでしょ。
しかし、そんな恍惚にも似た茫然のなか、その人物は「人生」や「世界」を見つめる。「虚無」の素敵な点は全エネルギーを思考に使えることだと思う。私が空虚さを愛し、独りぼっちで深夜に散歩するのも、その節がある。
夏の虚ろのなかで、半ば暑さに侵されながら、ボーッとあらゆることに思考を廻らせる。傍から見れば、虚無であるが、それは完全な虚無ではない。ひとたび頭蓋骨をぱかっと開けば、そこにはあまりに劇的な世界が広がっている。やはり人間の創造力は素晴らしい。

真理を見つめるのに、態々インドに行く必要は無い。商店街を抜けた交差点でボーッとするだけである。

嗚呼、空虚な夏である。ありゃ、まだ2月か。

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