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バフティヤーリー族(イラン)2019


バフティヤーリー族 Bakhtiari

 イスラム帽を思わせる黒い羊のフェルト帽、それにピアノの鍵盤を思われせる白黒の半袖上着。これらは典型的なバフティヤーリー族の成人男性の姿だ。世界的にみて民族衣装が消えつつある中(特に男性の)でいまだにこれほど他に類似した民族衣装があまりないというのも珍しい。写真を始めた原点は雲南の民族衣装だったので、これほど独特な民族衣装が残されていて、しかも男性で今でも着用率はそこそこあるとなるとなかなか少ないはずだ。

 このユニークな民族衣装で有名なバフティヤーリー族だが、分類的にはロル族という遊牧民族の支系となっている。昔には朝廷も作ったこともあるというロル族はこの地で有力であったはずだ。支系のバフティヤーリー族だけでもイランのフーゼスターン、チャハール=マハール・バフティヤーリーそしてエスファハーン州と広いエリアに多く住んでいる。なおロル語の話者はザグロス山脈の南半分を占める。

 

 


ザグロス山脈 Zagros Mountains

 彼らは広大なザグロス山脈(Zagros Mountains)に住んでいる。ザグロス山脈といってもその規模は日本アルプスとは全く規模が異なる。幅は240㎞で全長は1600㎞となるが、これは北アルプスの幅では約10倍!全長では約16倍に相当するというとてつもない規模である。東京大阪間が400kmということを考えると全長はその4倍に相当するので、日本国内の山脈とは規模が全く異なり、スケール的には地球規模の山脈といえるだろう。広大過ぎるのでバフティヤーリー族だけでなくカシュガイ族、そしてクルド人(主に北ザクロス)などの他の遊牧民も暮らしている。

 改めて地図でザグロス山脈の場所を眺めた。イランはユーラシア大陸の西下の端に位置している。そこからアラビア半島が南に垂れ下がるように突き出している。アラビア半島の付け根は北にカスピ海、南にペルシャ湾で挟まれている。その挟まれたところにイランがある。ザグロス山脈はその挟まれた形になっているアラビア半島とユーラシア大陸の間で隆起しているのだ。ということはヒマラヤ山脈みたいにアラビア半島とユーラシア大陸がぶつかってできたのではないのかという疑問がわいてきた。調べるとやはりアラビアプレートとユーラシアプレートの衝突による造山運動で形成されたようだ。地球規模の主要プレートによる山脈というものは日本アルプスと違ってやはり規模がけた違いに大きい。

 

 

遊牧生活 Nomad life

 バフティヤーリー族は遊牧民であるので冬期には山麓に住み、5月の雪解けの時期辺りから標高3000mほどの牧草地へ遊牧するという。5月上旬のちょうど遊牧を始める時期に合わせ現地に向かった。この年は雪解けが遅く、まだ移動を始めていない家族も多かった。移動の最中は夏ののどかな草原地帯とは異なり残雪の峠や崖の続く山岳地帯を半月から一月ほどかけて歩きとおし、良好な草が生い茂る草原に向かう。彼らは子供の時からロバなどを乗りこなし、移動時は崖のくぼみなどで一夜を明かし、電気に頼ることなく山から薪を拾って料理や明かりや暖房に使うなどして自然の山に頼る生活を送っているのだ。もちろん現在では一応携帯も普及していてソーラーで充電している。


民族衣装

 下の写真はバフティヤーリー族の成人男性のChughaと呼ばれる民族衣装。白黒模様がピアノの鍵盤のようだ。基本的にはこのChughaの下に黒シャツに黒のだぶだぶの太いズボンを穿いている。しかしバフティヤーリー式のズボンというのは裾が太いままで開いているので色々引っかかったりしてやや不便らしい。それに対してクルド式はだぶだぶではあるけど裾が締まっていて活動しやすいので最近のバフティヤーリーは似ているクルド式のズボンの方を穿いているとのことだ(三枚目の写真)。なおバフティヤーリーとクルドはズボンだけでなく言語的にも似ているという。

 一方帽子は黒の羊毛のフェルトでできている。形からしてイスラム帽のバフティヤーリー州版かと思っていたが、彼らがいうにはイスラム帽とは関係なくバフティヤーリー族特有の帽子とのことだ。


 移動中のバフティヤーリー達。人は主に馬。子供だとロバに乗っていることが多い。荷物はロバが主に運ぶ。このようにして家財道具ともども家畜を引き連れて遊牧に向かう。女性が行李みたいなものを背負っているがこの中には赤ちゃんが入っていて、移動中はこのようにして運ぶ。


バター作り

 バターを作るバフティヤーリーの女性。遊牧民のテントのところで三本の木でこのように組み立てられていたとしたら、それはバター作り用の木だ。このように木からミルクを入れた革袋をぶら下げてしばらく揺する。するとミルクの中の脂質がくっついてダマになってくる。それを取り出して一塊にまとめて保存している。


ナン

 ナンを焼くバフティヤーリーの女性。バフティヤーリー式のナンはどういうわけか重ね焼きをする。そうするとくっついてしまい剥がしにくくて食べにくいような感じだが、彼らはくっついたままつまり数枚重ねた状態で食べていた。背景に石を積み重ねた柱が見える。この家は彼らのおそらく冬季の家で石を積み重ねた壁にトタンみたいなものなどで屋根にしたような質素な家だ。


春の遊牧

 広大なザグロス山脈。こうやって眺めるといかにも山脈という感じで大地に帯状の隆起が細長く形成されている雰囲気を感じる。(下の動画参照) 実際に地図で見るとザグロス山脈には幾重にも帯ができていて山脈の集合体という感じだ。ところで道中に時折石を積み上げた仏塔状のようなものを見かける。もちろんここには仏教徒はまずいない。イランだということを明かさずにこの写真を見せたら、きっと「これってチベット?ラダック?」なんてことになりそうだ。人間は宗教にかかわらず山を眺めたら石を積み上げたくなる心理があるのかもしれない。


 目的とする草原地帯への移動中には残雪が残る峠や断崖絶壁の地を通っていく。ここら辺は草が少ないのであくまでも移動の経由地だ。ここの崖の奥に羊を囲い込めるような自然のスペースができている。



 一仕事を終えチャイで一休み中のバフティヤーリーの男性。写真左奥に羊が見える。そこからこちらの方に羊の群れが分散している。彼らはこの断崖の窪みで野宿をし、翌朝にまた家畜とともに移動していく。火を焚いた跡がこの付近にはいくつもあるので、ここら辺は彼らの野宿の定番場所なのだろう。


 彼らはこの窪みでビニールの敷物を広げその上に毛布を数枚重ねて野宿をする。ここは標高3000m弱。朝を迎えると場所によっては水が凍るようなところだ。こんなところでも彼らにとっては毛布があればどこでも寝てしまう。おそらく雨風をしのげる屋根があればなおいいという感じなのだろう。確かに毛布があれば理屈的には寝れるのかもしれないけど、さすがにこんな荒野で毛布のみで平気に野宿できる現代人はそうそういない。現代という文明の利便性にどっぷり生まれながらにして浸かった我々からするととんでもないワイルドな生活。様々な民族でこのような荒野でのサバイバルをしたら遊牧民が圧勝してしまうのは確実な事実なのかもしれない。


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