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カラチ(パキスタン)2010


カラチ Karachi

 カラチはパキスタンの南部、シンド州の州都である。現在はパキスタンの首都こそはイスラマバードにとって代わっているが、独立から1960年のイスラマバード遷都までは首都として機能してきた。現在においてもパキスタン経済そして金融の要を担っており、パキスタン最大の都市として君臨している。地理的にはアラビア海に突き出た三角州の良港として古代から貿易の重要な拠点として機能していたというから、歴史的にも重要でおそらく昔はダントツにパキスタン内で人口が多かったろう。

 2010年の年末にたどり着いたカラチは想像以上に暑かった。この時代はネットがあまり発達してなかっただけに情報収集というのが不十分であった。予想として寒くはないだろうけど、せめて春ぐらいだろうかと思ってきただけに、カラチ到着後の空港内に充満する熱気は想定外だった。外に出ても当然暑かった。結構湿度もあり、日本の梅雨に匹敵するほどの暑さだった。こんな冬に既にこれほど熱いなら夏にどうなるのか思って人に聞くと夏には50度近くにもなるということだったので結構ビックリした記憶がある。それを思うと今回のカラチ滞在は年末で正解だったのだろう。しかしカラチは実はたった半日の滞在に過ぎなかった。午前にカラチ空港についてホテルにチェックインし、夕方の少し前から市内観光をしたに過ぎない。要はここを起点として北に向かうための滞在なのである。元々マイナーなところでの宗教的なものや民族的なものに興味がある自分からするとカラチは歴史的に重要だとしても歴史的な建築物など他のラホールやサッカルなどに比べて少ない印象だった。とりあえず時間がないので海岸部に絞って漁港とビーチに行くことにした。

 

 

漁港  Fishing Port

 海岸に近づくにつれ、強烈な海のにおいというか、魚の腐乱臭が漂ってきた。漁港に入るとそれがマックスとなった。高い湿度と温度の関係で海の匂いというよりもここでは腐った魚臭の方が圧倒的に勝っている。港内には見渡す限り漁船にあふれ、インドやパキスタンの大都市におけるカオスな道路の海上版さながらの様子だった。もちろん、おそらくそう映っただけで、それなりに船であるから規則正しく停船しているだろうけど、海をそれほど見慣れていない自分には海の地平線まで並ぶ無数の船はカオスとして映った。いったいどれほどの船がこの港内にあるのか全く想像つかなかった。個人的なイメージでは海岸にロープを張って停泊するのだろうけど、最寄りの船にどんどん数珠繋ぎ状に繋いで停泊しているように見える。


海の男達

 当時のメモだと、港内の自由な撮影は本来できないらしい。管理責任者の許可が必要なのだが、その時はいなかった。記憶が定かではないのだが、代理の人に許可を得て撮影していたような気がする。

 海で働く男たちは実に陽気な人が多かった。おそらくここにやってくる東アジア人は滅多にいないに違いない。カメラを向けると楽しそうな表情の人が多かった。画像や動画では全く伝わらないのだけど、活気があるにしてもかなり匂いがキツイ環境だった。もし船に魚がなかったらここには男たちの汗臭さや機械油の匂いが漂っていただろうけど、ここにはひたすら酷い魚の腐臭のみで他の匂いが入り込む余地は1mm もないほどだった。船倉には捕ってきた魚やエビがあり、上からフック付きのロープを下に降ろす。すると船倉側の男たちが魚を山盛りにしたザルをフックにかけ、そして上にザルを引き上げるという流れ作業が延々と続いていた。船上でもかなり匂いが酷い。空気の循環の悪い船倉では推して知るべしで、体験するのは全く自分には不可能だろうと思われた。魚、エビは引き揚げられる段階では氷と一緒ではない。エビなどは引き揚げてから氷で冷やしている。するとここでは船倉にはひょっとして氷などの冷却装置がないのかもしれない。実際に下を覗いてみたが、地下室のように広がった船倉スペースに男たちがもくもくとスコップで魚をザルに入れているだけだったので特に何も冷却はしてなかったように見えた。強烈な悪臭の中でこのような仕事をこなすのは非常に過酷な環境で、自分には仕事どころか10分も船倉にただ座るだけでも到底無理だろうと思われた。


 エイも引き上げられていたが、こちらはあまり人気がないのか、ずっと転がされたままになっていた。冷やされてもいないところからすると、後にどこかに処分される運命かもしれない。


 引き揚げた小さめの魚の扱いは実に手荒かった。地曳網漁なのかよくわからないけど、結構泥にまみれている。それをかごに入れ、積み上げていく。当然下のカゴの魚がつぶれてしまうんじゃないかと疑問を感じるけど、海の男たちは全く気にも留めずどんどんカゴを積み上げていく。台車いっぱいに積み上げられた魚はトラックのそばまで運ばれ、ここからトラックにカゴごと、なんと投げ入れられるのだ。いかにもゴミか何かを放り込むがごとく、全く魚として気にするまでもなくどんどん投げ入れる。これが魚とわからなかったら建築資材ゴミを放り込んでいるといっても誰も疑わないだろう。このように小さい魚はあまりにも扱いが悪く、氷で冷却もあまりしてないので食用ではなく別な目的の可能性も高そうだ。エビや大き目の魚はちゃんと氷で冷やし扱いがかなり異なるので食用と非食用との違いだろう。



魚フライ

 漁港のそばでは魚のフライスタンドが香ばしい匂いを漂わせていた。ちょっと油がどす黒いのが気になったが、匂いにつられて買ってみた。日本じゃありえないが、油は交換せずに継ぎ足しというのもありえそうだ。しかしみんな平気で食べているから大丈夫なんだろうと深く考えずに食べてみた。先ほどの魚をちゃんと洗って下処理もしているだろうという前提で。味はそれほど悪くなかったような記憶がある。結構人気があるようで、客足は絶えることがなく、店主は次々と魚を揚げていった。


クリフトンビーチ Clifton Beach

 いかにも英国統治時代のような名前のビーチは元々ハイクラスの人々の居住エリアのビーチだった。現在では誰でも熱い体を潮騒に冷やすことができる庶民の憩いの場として親しまれている。それでも見ている分には富裕層っぽい家族が多いように見えた。どうしてもクリフトンエリアは元々富裕層が多いだけに、実際はそうなるのだろう。こちらのエリアは先ほどの漁港とは違って普通の海らしい潮の匂いだった。

 現地の人のビーチでの過ごし方は、我々の過ごし方と違っている。水着になって泳いだり、日光浴したりというのは皆無で、男性でも水着の人はいなかった。現地では女性だけでなく男性も肌を広く見せるのは好ましいものではないのかもしれない。せめて膝下まで海につかりながら家族と共に波に戯れるというのが現地での海の楽しみ方のようだ。


 本来は夕暮れの人々の姿を撮ろうとして足を運んだのだが、意外なことにラクダがいた。ラクダはビーチを歩くいわばちょっとした観光用の乗り物として大人気だった。パキスタンではラクダを馬やロバのように荷物運びとして活用するのでそれほど珍しくないような気もするが、なによりもラクダの背に揺られながら海を眺めるのは現地人にとっても楽しい贅沢なひとときのようだった。ラクダというのは通常イメージ的に砂漠と結びついていて海というのはミスマッチのように思える。しかしこうやって海を背景にラクダを撮ると意外な組み合わせではあるが美しい夕日となった。



アブドラ・シャー・ガジー廟  Hazrat Abdullah shah Ghazi

 翌日はカラチを出る前に一か所だけ寄り道をした。アブドラ・シャー・ガジーというスーフィー聖者を祀った霊廟だ。スーフィーとはイスラム神秘主義で世俗化・形式化を批判する改革運動で修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中での神との神秘的合一を究極的な目標とするらしい。つまり形式よりも修行苦行によって意識が良く分からない状態まで自分を追い込んだり、精神集中により自我を忘れるという極限状態になると神に近づけるという言わば内面的精神論的な路線だと私は解釈している。(間違っていたらごめんなさい!) 有名なのはトルコのくるくる回るメヴレヴィー教団。回ることが祈りの手段であって一心不乱に回るとこで雑念を振り払うらしい。
カラチで普通に霊廟というとジンナー霊廟が有名だが、独立時の総督だった人物で近代建築となるので、もっと伝統的という意味合いでアブドラ・シャー・ガジー廟の方を見に行くことにした。ここは外観が独特で白と青の幾何学的な縞模様となっている。



 中に入ると多くの参拝者がいた。墓の上に見える赤い花はバラだ。日本の寺院ではお墓に白菊が使われるがイスラムではもっぱら赤バラが使われる。唯一神アッラーを表すのが赤バラとされているからだという。
 廟内には青い大きなヒジャブを被った女性が数人いた。参拝者は神妙な面持ちで祈りを捧げている。バラを投げ入れる瞬間にローズの甘い香りが周りに漂った。生命を失った無機質な墓という空間に一瞬だけローズの命が吹き込まれるようにも感じた。朽ち果てて土に帰した聖者の肉体は漆黒の世界からこの時だけは光を感じていたのだろうか。廟の奥には長老なのか管理者なのか分からないがみんなの行動を見守っていた。そして巡礼者一行は一通り参拝を済ませると廟という密閉された偲びの世界から解放されるように外の明るい世界に出ていった。 
 最初は全く分からなったが青いヒジャブと思っていたのは実はブルカ(デーオバンド派が多い)だった。彼女たちは廟から出ると顔を隠すように普段のブルカ姿となり帰って行った。



ラクダと夕日

 今までに色々な場所でラクダを撮っているが、ラクダには夕日がなぜかよく似合う。理由がよく分からないが何でだろうと考えて、すぐに思いついたのは昔に放送されていたNHK特集のシルクロードだ。喜太郎さんのシンセサイザー音楽をバックにラクダの隊商が夕日を背にして砂漠を横断する姿だ。確かこのシルクロードのオリジナルサウンドトラックのカセットまでも持っていた。多分、自分にはこの時の姿、イメージが刷り込まれているのだろう。もちろん多くのメディアで夕日のラクダの姿はあるだろうが、自分にとってのオリジナルの夕日のラクダのイメージはこの時に遡り刷り込まれたような気がする。この時にTVを見ていたのは多分小学生ぐらい。今改めて思うと、小学生時代に見ていた遥か遠くの自分とは関係のない世界になぜか今の自分が足を踏み入れているのが不思議なようにも思えた。子供時代には特に憧れでもなく、完全に別な世界として認識していたはずだ。それが、ぐっと近くなり行ってみたいと思うようになったのは大学時代に一気読みした沢木耕太郎さんの深夜特急。それでもここまでどっぷり嵌る自分は予想していなかった。ちょこっと行ってみたいな、ぐらいにしか過ぎなかった。こうやって写真を現像しながら思うに、自分の潜在意識というのが、小学生の頃にあってそれが社会人になってなぜか大きく花が開いてしまったのかなと、不思議な自分の過去を振り返ってみた。今晩は喜太郎さんのシルクロードのテーマ、絲綢之路でも久しぶりに聞きながらパキスタンではないが隣のアフガニスタン料理のボラニバンジャン(焼き茄子ヨーグルト和え)でも食べてみようかと思う。ライスはもちろんバスマティのターメリックだ。



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