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アメリカの都合でかき乱され抗い続けたイランの現在

紀元前よりペルシャとして栄え、古代オリエントを統治した大国。
7世紀にイスラム化し、13世紀にはモンゴルに征服されて荒廃した。

1935年に国名をイランと改称。
「ペルシャ」は西側からの呼称であって、本来は「アーリア人の国」という意味で「イラン」と自称してきた、ということだが他国からは反対され、混乱が生じた。

イラン人は民族的にペルシャ人であり、中東から北アフリカにかけてのアラブ人とは異なる。
大半のイスラム国家がスンナ派であるのに対してイランはシーア派、というのが大きな特徴。

20世紀になって油田が発見されると、イギリスとアメリカが開発に乗り出した。
イランの原油埋蔵量は世界4位、世界の原油の9%を占める。
天然ガス埋蔵量は世界2位、世界の天然ガスの18%を占める。

一度は石油会社を取り戻して国有化したものの、アメリカとイギリスの策略によるクーデターで親米政権が発足し、アメリカの傀儡国家となった。
この時期のイランはアメリカ文化が取り入れられ、ミニスカートで街を歩く女性の姿も見られた。

1979年、イラン・イスラム革命。
ルーホッラー・ホメイニーが本来のイスラムを取り戻すべく起こした革命。
ホメイニーは宗教上の最高指導者であり、かつ政治的最高権力者とするイスラム共和制を敷き、イラン・イスラム共和国を樹立した。
この革命で新米政権が打倒され、アメリカ大使館が襲撃されたことで、アメリカはイランとの国交を断絶、以来敵対関係が続いている。

1980年、イラン・イラク戦争勃発。
イランはイスラム教シーア派国の筆頭であり、ホメイニーは周辺国で抑圧されている少数派シーア派にも変革を呼びかけていた。
それに対して憤慨したのが隣国イラクのフセイン大統領。
イラクを支配しているのはスンナ派で、フセインの独裁によりシーア派は虐げられていた。
イラクのシーア派がイラン革命に触発されるのを防ぐため、さらにかねてからの領土係争に決着をつけるため、イラクはイランに侵攻し、8年におよぶ戦争となった。
もっとも、フセインにこの戦争をけしかけたのはアメリカであり、当時のアメリカはイラクを手なづけ、兵器援助をしていた。

中東は大国の都合でかき乱され、イラン革命を引き金に数々の紛争が引き起こされてきた。
しかし今やアメリカはシェールガスの開発によって世界一の産油国となり、中東の石油には関心を失っている。
それでもアメリカの大統領がイランにケンカをふっかけるのは、イランがイスラエルとも対立しているから、アメリカ大統領の有力な支持層であるユダヤ人にアピールするのが目的。
まさに衆愚政治、アメリカの民主主義の終焉を予感させる。

日本で受け取る国際ニュースも、アメリカやヨーロッパのメディアを経由しているものが多いため、イラン、そしてイスラム世界全体に対しても悪いイメージが刷り込まれている。

標高1200m、首都テヘラン。

歩いていると、よく声をかけられる。
「ハロー!」、「どこから来たの?」、「コンニチハ!」、「ニーハオ!」など。
「日本から来た」と言うとすごく驚かれ、「ジャパン! グーッド!」と言われる。

フレンドリーでエネルギッシュ、イスラム特有のこの感じ。
アラブ人、トルコ人、ペルシャ人、と民族は違っても、イスラム世界に共通するこういう感触が、たしかにある。

いつも通り、イスラム圏で声をかけてくるのは男性のみ。
でもそれほど厳格ではないのか、夫婦でも恋人でもなさそうな男女が会話している光景も見るし、スカーフを浅くかぶって前髪を大胆に見せている女性も多い。

迷路のように複雑で広大なバザール。

「バザール」(市場)は日本人にもなじみのあるペルシャ語。
スーパーマーケットはなくても、ここに来ればあらゆるものが売られている。
物は豊富にある。

ペルシャ語は古代ペルシャより受け継がれている言語だが、アラビア語からの借用が多く、文字もアラビア文字を使用している。

アラビア語と同じく右から左へ読むが、数字は左から右へ読む。

この布みたいなやつは、食べていいものなのだろうか?
赤い塊は、トマト。
焼くべきタマネギを焼かず、焼かなくてもいいトマトを焼いてしまっている。
食べ方がよくわからないが、とりあえずこの布みたいなやつに具を包むのだろう。
食べてみると、

・・・吐きそう。

ほんとに布を食べてるみたいだ。
葉っぱはハーブのようなもので香りが強く、モリモリ食べるようなものではない。
生のタマネギは辛くて、口と胃がおかしくなりそう。

タレやソースその他調味料で味付けするという概念がなく、素材のままを出す無味料理という点でトルコ料理と共通している。
トルコとは隣国だし、トルコ人の血も混じっているだろうから、味覚や食文化が似ていても不思議ではない。
深みとか旨味といった味わいはしばらく断念しなければならない。

口直しにコーラ。

アメリカと国交断絶するということは、アメリカ資本のサービスが利用できないということである。
イランでは、我々が持っているクレジットカードや国際キャッシュカードは使えない。
入国前に十分な額のUSドルをキャッシュで用意する必要がある。
アメリカと敵対しているとはいえ、世界の基軸となる通貨はドル。
ドルさえあれば現地通貨リアルと両替することができる。
スーダンもまったく同じ状況であった。

レートは非常に変動的だが、たとえば、
公定レートだと、US$1=4万2000リアル。
闇レートだと、US$1=5万5000リアル。

100ドル両替すると、公定と闇で130万リアルもの差が生じる。
130万リアルを公定レートで円に換算すると、3375円。
いいホテルに1泊できるぐらいの額だ。

銀行や空港やホテル等での両替は公定レート。
外国人を見るやしつこく両替を求めてくる輩がいたら、それも公定レート。
旅行者から手にしたドルでボロ儲けしているやつらがいるなんて悔しいが、それが公定レートなのだから文句も言えない。
なので、その辺で立っている闇のおっさんと両替する。
おそらく闇の人たちでさえ、相当な儲けが出ているのだろう。
それだけリアルの価値は低く不安定で、現地人はドルを欲しがっているということだ。

買い物では、以前流通していたトマンという通貨単位で請求されることも頻繁にある。
1トマン=0.1リアル。
これは慣れるしかない。
やけに安すぎるなと思ったら、トマンで言われているだろうから、10倍した額のリアルで払う。
このトマン、10000を意味するモンゴル語に由来しているというから面白い。

交通マナーは、一見メチャクチャなようで実は良い。

信号は守らないわバイクは逆走するわ歩道を走るわ、でも僕は危険もストレスも感じていない、いやむしろ僕の好みに近い。
車優先でも歩行者優先でもなく、相手が誰であれ譲り合っているからだ。
国家が勝手に決めたアホくさいルールに縛られるよりは、個々の判断で譲り合いながら通行する方が安全だしストレスも少ない。
クラクションも、鳴るようでそれほど鳴らない。

交通は自由だが、ネットは規制がある。
いくつかのアメリカ製プラットフォームはブロックされている。
ざっと、
✕Facebook
✕twitter
✕YouTube
○Google(Maps、Photos、Translate、Gmail含む)
○Messenger
○Instagram
VPNを使って海外サーバーを経由すればアクセスできるが、当然接続は悪くスロー。

国家としては徹底して反米を貫くイランだが、実際に出会ったイラン人に話を聞いてみると、アメリカへの敵対心は持っていないように思える。
アメリカの傀儡時代は経済も好調で、特に若い世代は自由で開放的なアメリカンカルチャーに心酔した。
革命後はイスラム文化を取り戻せたかもしれないが、欧米を敵にまわしたことで国際社会で生きづらくなり、豊富な資源がある割には経済的にそこまで発展できていない。
むしろ革命以前の方が良かった、という反ホメイニー派の立場もよく耳にする。
今も、秘密のクラブがあって、そこではスカートを履いた女性がいたり酒を飲んだりアメリカンミュージックを流したりして、こっそりと楽しんでいる人たちがいるそうだ。

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