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閉ざされているがゆえによそ者をまっすぐな目で見つめてくれるトルクメニスタンの人々

旧ソ連のイスラム圏、中央アジアへ。

一般に中央アジアとは、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5ヶ国を指す。
アジアの西端に位置していて全然中央じゃないのだが、シルクロードで栄えた時代なんかは、ヨーロッパから見て中国やインドが東でこの辺がアジアの中央とみなされたのかもしれない。

「-stan」は「~の国、土地」を意味するペルシャ語。
アフガニスタンもペルシャ領だった時代があり、ペルシャの影響の広大さが国名に表れている。

ところで、世界地図を見ると、語尾が「-a」または「-ia」の国名や地名が圧倒的に多いことがわかる。
これは古代ローマの公用語であったラテン語で国名や地名をネーミングする際の習性で、たとえば「秦」の語尾に「-a」を付けて「China」と呼んだり、アメリカ大陸も発見者の「コロンブス」に「-ia」を付けて「Columbia」という地名が残っていたり、「Washington D.C.」の「C」も「アメリカ」を意味する「Columbia」だったりする。
「-land」も同様の意味で、これはゲルマン系の言語。

どの勢力がその土地に影響を及ぼしたのかという歴史が、国名や地名に刻まれている。

近年、中央アジアのビザフリー化がめざましい。
以前は中央アジアといえばビザ取りの難所であったが、今やカザフスタンとウズベキスタンとキルギスはビザフリー、タジキスタンはオンラインで簡単に電子ビザを取得できるようになった。

今なお煩瑣なのが、トルクメニスタンビザ。
以前は「世界最悪のビザ」などと言われたが、現在はだいぶ改善され、日数はかかるもののそこまで難儀せず、よほどのことがなければほぼ確実に取得できる。
将来的にビザフリーになるかどうかはわからないが、少なくとも簡略化の動きは見られる。
アフリカの西部や中央部の方がはるかにビザ取得の難易度は高い。

ただし、発行されるのはたった5日間のトランジットビザのみ。
日本の1.3倍の国土面積のこの国を、5日間で突き抜けなければならない。

国境での入国審査もチェックが厳しく時間がかかったが、係員は終始友好的で、「ジャポーン! トヨタ! グー!」と笑顔を見せてくれた。

無事に入国が許可されると、

「Welcome to Turkmenistan!」

やっぱうれしいもんだな、こう言われると。

国境を越えて一般道に入るやいなや、10人ぐらいの両替屋が一斉に群がってきた。
瞬く間に囲まれ、身動きがとれなくなった。
両替屋にも派閥があるようで、「オレと両替しろ!」「こっちが先だ! 引っ込んでろ!」とケンカが始まった。

イランと同様トルクメニスタンにも、公定レートと闇レートがある。
やはりレートは変動的だが、たとえば、
公定だと、US$1=3.5マナト
闇だと、US$1=20マナト
なんとすさまじい差。

イラン以上に現地通貨の価値が低く、外国人が現れたら両替屋同士で争奪戦になるほど、現地人は強力な外貨を欲しがるということだ。

外貨→現地通貨は好レートだが、現地通貨→外貨はゴミレベルのレートとなる。
出国して他国に入ってしまうと本当に紙クズ同然となるので、出国時にちょうど使いきれるような額を見定めて、うまく両替する必要がある。

トルクメニスタンのオリジナルコーラ、2.2マナト(闇12円、公68円)。

レストランの食事、30マナト(闇163円、公936円)。

闇レートだと想像以上に物価が安い。
滞在期限はわずか5日、これじゃ使い切れず余らせてしまいそうだ。

ものの「価値」って何なんでしょうね?

日陰で休憩中の道路工事業者に声をかけられ、チャイをごちそうになった。

国名からトルコ系民族であることがわかるが、よりアジア色が強まった。

レストランでおしゃべり中のマダムたちからも呼び止められた。

中央アジアのイスラムは非常にゆるく、女性は話しかけてこないというイスラム圏の常識があっさりと覆された。

トルクメン語という現地の言語があるが、旧ソ連の中央アジアではロシア語が共通語であり、英語は通じない。
人と出会うと、まずロシア語で話しかけられる。
ごく初歩的な会話しか成り立たないが、あとはジェスチャーで楽しくやり合う。

写真撮影も余裕でOK。

しかしどこへ行っても、イランでもトルクメニスタンでも、まず第一声は「中国人?」。
「日本人だ」と答えると笑顔になってくれるので悪い気はしないが、相手の国籍ってそんなに最重要事項だろうか。
中国人だと答えたら態度を変えるのだろうか。

それから、「なぜひとりで旅してる? 奥さんは? 子供は? 歳はいくつだ? なぜ結婚しない?」といういつものお決まりの質問攻め。
かれらにとっては、中年で未婚であることも、ひとりで旅行をするということも、考えられない異常なことのようだ。
そればかりに質問が集中して、僕の旅そのものにこれっぽっちも興味を持ってもらえないのは少々さびしい。
トルクメニスタン人は国外旅行はできないのだろうか、外の世界に興味もないのだろうか。

夕方、地図にも書かれていない村に到着。
村のレストランでは、やって来る客の誰もがフレンドリーに話しかけてくれる。

キャンプでもよかったが、ためしにレストランで1泊できないものかと聞いてみたら、部屋を用意してくれた。

クーラー付き、ありがたい。

トルクメニスタンも資源大国。
カスピ海に面し、天然ガスの埋蔵量は世界4位。
電気ガス水道無料、教育費無料、医療費無料。
(公共料金等は2018年末より有料化)

中央アジアの国々はどこも軒並み独裁政治だが、中でもトルクメニスタンはクセの強い独裁国家。
鎖国とまではいかないにしても外国人の入国を制限しているのは、国を統制しやすくするためか、あるいは貴重な資源を大国に乗っ取られないようにするためか。

ちなみに、新型コロナウイルスの感染者数がゼロだと主張している国は、北朝鮮とトルクメニスタンの2ヶ国。
厳しく情報統制されているので、真偽の確認はできない。

こんなひっそりと閉ざされた独裁国家。
旅人の興味をそそられる。

マリという都市。

街は整然としていてゴミひとつ落ちておらず、きれいだ。
ドライブマナーも良く、クラクションも鳴らず、静かだ。

アゼルバイジャンやブルネイとも通ずる石油成金国。
競争原理で経済を活性化させようなんて気はない。
観光で外国人を入れて盛り上げようなんて気もさらさらない。
だって石油と天然ガスがあるから。

次々に現れるきれいな建物。
何の建物なのかさっぱりわからん。

すべてが国有化されている社会主義においては、宣伝が必要ないため看板や広告を出しておらず、売店もこんな感じで、近づいて中をのぞいてみないと何の店なのかもわからない。

華やかに着飾った女性たちに見とれてしまう。

スタイルもすごくいい。

よそ者丸出しでキョロキョロしながら歩く僕を、女性たちはめずらしがってクスクス笑う。

アイスクリーム屋のお姉さん。

独裁だけどうまいことやっているのか、経済水準は高く、格差もなさそうだ。
静寂平穏、困窮感も悲壮感も漂っていない。
条件がそろえば社会主義もうまくいくのかもしれない、マルクスがこの国を見たらどう思うだろうか。

ただ、ここには自由がない。

僕個人は、独裁政治が絶対的悪で民主主義が絶対的正義だとは思っていない。
どちらにもメリット・デメリットがあり、土地柄や歴史に応じた政治形態というものがある。

古代ギリシャから成立した民主主義は民主主義ゆえに何度も滅んできたし、独裁の代名詞ともいえるヒトラーを生み出したのも厳正な選挙による民主主義だ。
別に進化型でも完成型でもない、歴史上現れては消えた政治形態の一種にすぎない。

常に外敵の脅威にさらされてきた陸続きの大陸国家では、悠長に選挙などやってられない、遊牧民がフラッとやってきて武力によって国を滅ぼし新たな王朝を築く歴史を繰り返してきたため、リーダーに必要なのは圧倒的な強さと迅速な決断力であった。
独裁が根付いたのは中国やロシアだけではない、地理的特性や歩んできた歴史が、島国の我々とは異なるのだ。

個人的には、選挙カーの演説のノイズに音環境を破壊されるぐらいなら、静かな独裁政治の方がいいんじゃないかと思う時はある。

炎天下の路上で果物を売る少女たち。

僕が近づくと駆け寄ってきて、トマトとアンズを手渡してくれた。

その場でまるかじり、たまらなくうまい。
いくらか払おうとしたが、受け取ってくれなかった。

トルクメニスタンについて巷で言われている「中央アジアの北朝鮮」だとか「謎の独裁国家」だとか、そんな言葉を一人歩きさせるよりは、まずはまっすぐ向き合ってみる。
他の誰かが言いだしたお決まりフレーズを振り回すのではなく、自分の言葉で語ってみる。
好奇心いっぱいのまっすぐな目で僕を見つめてくれる人々に対して、僕も敬意を払ってかれらのあるがままの姿を見つめていたい。

中央アジアの多くの国はキリル文字を使用しているが、トルクメン語はトルコ文字に近い。

砂漠に突如現れた街の立派すぎるホテル。

200マナト(闇1092円、公6241円)。

やりすぎだ。

しかし、見てくれはやたらとゴージャスだけど実際たいしたクオリティではない、というよくあるパターン。
こんな立派なホテルでもWI-Fiなし、電波ひとつ飛んでいない。
トルクメニスタンに滞在する5日間は、ネットはあきらめた方がいい。

物価が安いこともあり、マナトが余りそうだということもあり、食事は値段を気にせずバンバン注文する。

ホテルの前で、今まで見てきたトルクメン人とはちょっと違う顔つきの少年たちが、工芸品のようなものを売りつけてきた。
うん、それはいらない、写真撮らせてよ、チップあげるから。

闇レート的にはたいして高額ではないチップに少年たちは「こんなにくれるのか!」と目を丸くして興奮していた。
あげすぎたかな?
格差をあまり感じないこの国で、この子たちはどういう層なのだろうか、移民?
どう受け止めるべきか、ちょっとわからない。

公定レート、闇レート。
公式に発表されているGDPだとか平均月収だとか、こういう国だと頭が混乱する。
共通の「価値」であるはずの貨幣も、パラレルでつかみどころがない。

僕は世界中を旅して、世界中を旅できないような人たちと接して、クソ高級ホテルに泊まって、メシを3人前も食って、対等に向かい合うなんて到底できっこなくても、どこかに共有できる「価値」はないかと、対等に向き合える何かにすがりつこうとしている。

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