見出し画像

山岳地帯でテント暮らしする流浪の民カシミールと一緒にテントを張らせてもらった

再びイスラム圏。

標高1700m、シュリナガル。

シュリナガルにあるダル湖の湖上には、ハウスボートと呼ばれる1200もの家屋が浮いている。

住居だけでなく、売店やレストランまである。
湖上に街が成立しているのだ。

旅行者用の宿も数多くあり、湖の上に泊まれる観光地としてにぎわっている。
商魂たくましすぎる客引きが次々に群がってきて、僕が泊まった宿の主もツアーに連れて行こうとしたり高額な土産物を買わせようとしたりで、気が休まらない。

カシミールは、パキスタンとの国境紛争地。
イギリス植民支配後の分離独立において、住民の大多数がイスラム教徒であるカシミールはパキスタンに帰属するところだったが、ここの藩王がヒンドゥー教徒だったためインドへの帰属を表明、それに対してイスラム教徒が暴動を起こし、三度にわたる印パ戦争へと発展した。
現在カシミールはインド領だが、国境はいまだ定まっておらず、地図には点線が描かれている。

イカツイ銃を持った軍人が笑顔で「ウェルカム!」

現在もしばしば前線で両国が衝突し、兵士が死亡している。
パキスタンで見るニュースはインドが悪そのものとして描かれ、インドで見るニュースはパキスタンが悪そのものとして描かれている。
第三者なら中立的な視点で見ることができるが、そこで生まれ育った人は相手を敵視し自国を正義とする思考回路が埋め込まれており、視点を切り替えることなどできない。
シュリナガルで出会った人に「ムスリムでしょ? パキスタンに帰属したいんじゃないの?」と聞いてみたら、「いや、パキスタンは大嫌いだ、我々はインド人として生きている」と答えた。
イスラム教徒でさえこうなのだ。

カシミール人。
一般的なインド人とは明らかに異なる。

言葉はカシミール語。
ペルシャ語の系統らしい。

ガンガン登るぜ。

排気ガス地獄からは脱却できたが、時々通るトラックが砂塵を巻き上げながらクラクションをけたたましく鳴らしてくる。

未舗装の悪路を砂まみれになりながら登り続ける。
丸一日かけても40kmも進めない。

もう、何この道…

タジキスタンのパミール。
アフガニスタンのワハーン。
パキスタンのフンザ。
そしてインドのカシミール。
地理的には互いに隣接しているご近所で、皆イスラム教徒。
ここ数十年で積み上げられた数々の難題のために分断され、自由に行き来することはできなくなったが、住んでる人々も美しい山々も、本来つながっているのだ。

標高3500mの広大な谷。
テント暮らしの集落にお邪魔してテントを張らせてもらった。

カシミールの美女たちに囲まれて。

生活の糧は家畜と川の水だけの遊牧生活。
それだけで一生を過ごす?
一体どんな人生?

105歳だそうです。

チーズ作りを見せてくれた。

言葉はまったく通じない。
でも本当に通じ合えないなんて思いますか?
逆に日本語を話す日本人同士で通じ合えていますか?

この辺は、「Happy! Happy!」と僕に手を振る子供が多い。
「Hello!」でもなく「How are you?」でもなく、「Happy!」があいさつなのか。

標高2600m。
パキスタンとの停戦ラインからわずか10kmほどにある街、カルギル。

やっぱりここもアンズの里。

フンザを近くに感じる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?