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アラビア半島内陸走行、聖地メディナからパトカーにつきまとわれる日々

内陸へ。

テント生活するイエメン人に招かれた。
サウジアラビアは、イエメン人労働者も多い。

ランチをごちそうに。
パサパサの米を手で器用にすくって食べる。

イエメンはサウジアラビアの隣国で同じアラブ文化圏だが、人はまったく違う感触。
行ってみたい国だが、長期にわたる内戦のため難しい。

もっと食えもっと飲めと、惜しみなく差し出してくる風習は共通。

ここで養蜂をしているようで、ハチミツをいただいた。

相変わらず、施されまくる日々。

人目を忍んで野宿しようとしたら、バレた。
山中にポツンと佇むサウジアラビア人の邸宅に連れて行かれ、熱烈大歓迎。

「ウェルカム! ウェルカム!」って、なんでこんな不審者を躊躇なく受け入れられるの?

ここも、全員男。
いったい女性はどこに?
家庭内においても男女は隔離されているようで、どこか別棟に女性がいるはずだとは思うのだが、僕の前に姿を現すことはなかった。
徹底してるな。

よく煮込んだ肉、やわらかくておいしい。
皆さん手で食べているが、僕にはスプーンを付けてくれた。

お祈りの時間。

サウジアラビアは、国家の歳入の大半が石油。
今まで旅した石油成金国家、たとえばアゼルバイジャン、トルクメニスタン、ブルネイなどにも共通するが、資源の恩恵で食うに困らない代償として、産業が栄えない。
金はあっても先進的とは言えず便宜が悪かったり、趣味娯楽や刺激がなくていかにも退屈そうだったり、日本とは真逆だ。
日々の楽しみとして、家族親戚友人が集まって団欒したりする。

サウジアラビアも少子化傾向にあるものの、出生率は2.3と世界標準。
外国人労働者を取り入れているおかげで平均年齢も若い。
欧米社会が主導する世界の規範にムリして合わせなくても、長い年月をかけて培われた自国文化を守り続けるというのも、生き残り戦略として必ずしも間違ってはいないのかもしれない。
それにしても、サウジアラビア人ってどうやって結婚相手を見つけるのかな。

標高600m、メディナ。

第二の聖地。
メッカで生まれイスラム教を創始したムハンマドは支配層から追放され、メディナに移住して布教の拠点とし、632年にここで没した。

第一の聖地メッカは依然として市内全域が非ムスリム禁制だが、メディナは2019年より解禁。
モスク内部は許可されないが、市内を訪れる分には問題ない。
これもムハンマド皇太子によるVISION2030に向けての開放改革のひとつ。

入国してから1000km以上走って、初めての都市らしい都市。
人は親切でも、交通は容赦ない車優先社会。
道路を横断するのも一苦労、特にラウンドアバウトがおっかない。

思っていたほど厳粛な空気は感じない。
撮影を咎められることもない。

ここはふつうに女性もたくさん歩いている。
同伴なしで単独でも大丈夫のようだ。

一度だけ、女性が車を運転しているのを目撃した。
女性の自動車運転が解禁されたのは2018年。
これもまたムハンマド皇太子によるVISION2030改革のひとつ。
女性が自転車に乗るのは今も禁止されているらしい、もっとも男性でも自転車に乗る人は少数だが。
ヨルダンやエジプトやスーダンなんかもそうだが、この界隈のアラブ圏は極度の車社会、自転車は普及しない。

日本のように信号だらけなのもストレスきわまりないが、信号がなさすぎるのも困りもの。
車は歩行者に譲らないので、流れが途切れるわずかな瞬間をねらってすみやかに渡るしかない。
でも、皆で渡れば怖くないというのもたしかに真理で、モスクへ向かう人々の流れには車も渋々止まってくれる。

皆、同じ方向へ。
全身黒衣装の女性は主にサウジアラビア人と思われるが、世界各地から信者が巡礼に来るので多種多様な衣装が見られる。

メディナ中心部にある、預言者のモスク。

このモスク内部に、ムハンマドの霊廟がある。

イスラム教徒でなくとも、こういう場の空気を直に体感すると、グッとこみ上げてくるものがある。

日没が近づくと、日傘が閉じていく。

閉じた日傘が無数のミナレットのように。

250基におよぶこの巨大アンブレラを製造したのは、日本の太陽工業株式会社。
発注した元請けは、サウジ・ビンラディン・グループ。
かのオサマ・ビン・ラディンはこの建設会社の御曹司であった。

クバーモスク。
イスラム史上最初のモスク。
基礎となる石はムハンマド自らが置いたという。

子供は自分の母親をちゃんと識別できるのだろうか。
迷子になった時、黒衣装の女性からどうやって自分の母親を見つけ出すのだろう。
大人同士でも、はぐれたりしたらわけわからんことになりそうだ。

皆さん本当に日本が好きみたいで、日本人だと答えると明らかに対応が変わり、それはそれはうれしそうに喜んでくれる。

日陰で休憩していても、すぐに声がかかる。

去ったと思ったら別の車が止まり、また差し入れ。

満月。
日が沈んでもさんさんと明るく、キャンプしていてもヘッドランプいらないぐらい。

朝方、日が昇る頃に沈む月

標高1000m。

時折現れるサービスエリアには、スーパー、レストラン、モスクと必要なものがそろっている。
スーパーの品ぞろえも豊富で、困ることはない。

モスクの水場で身体を洗っていたら、誰かがヨーグルトを置いていってくれた。

州によって警察の対応も違うようで、この州ではパトカーが通りすがるたびに止められ、パスポートの提示を求められる。

初歩的でも英語を話せる警官は礼儀正しくフレンドリーだが、まったく英語ダメな警官ほど無礼でやっかいなからみ方をしてくるし、軽く高圧的だったりする。
サウジアラビア人は、労働者の3割が公務員だという。
オイルマネーに甘やかされた負の側面。

検問もあり。
パスポートを取り上げられたまま、1時間もムダに待たされた。

先日、NEOMの建設現場で出会った日本人から、「不当に逮捕されるようなことはないとは思いますが、不快な体験をされることはあると思いますよ」と言われたのを思い出した。

翌日から、またパトカーによるコンボイが始まった。
僕のすぐ後ろを、無言でずっとついてくる。

向かい風、10km/h以下の自転車に一日中ピッタリとくっついてくるなんて、どんだけヒマなんでしょう。
国民の税金をムダにして、と言いたいところだが、ここは税金がない国だった。

休憩する時、パトカーもピタリと止まる。

昼休憩。
サービスエリアにもついてくる。

スーパーでパンを買い、座って食べていた。
するとパトカーが接近して来て、警官がスマホの画面を見せてきた。

「Wait here. I go to pray.」
(ちょっくらお祈りしてくるからここで待っとれや)

くそっ、、、
だからさ、こっちサイドに1ミリのメリットもないのに、どうして警察側の要求だけを一方的に聞かされなきゃいかんのか。

夕方。
つくりものっぽいけど、自然の山。

この山のふもとがサービスエリアになっており、公園もある。
この公園でキャンプすることにした。
たとえ安全でも人目があるところでのキャンプは避けたいのだが、警察に監視されているので橋の下に潜りこむわけにもいかない。

最後に話しかけてきた警官は、初歩的な英語を話せる人だった。
ちゃんと車から降りてきて、笑顔で握手を求めてきた。
こういう人には僕も相応の礼儀と友好的態度で応える。

公園でキャンプするのはまったく問題ないと言われた。
日本、いや日本以外の国でも公園でキャンプするのを警官が許可するなんてふつうはないな。

幸い、日が沈むと人気もなくなった。
街灯が明るい。
さすが燃料の国、電気も惜しみなく使うようで、誰もいない公園がさんさんと輝く。

翌日。
走行開始して少しして振り返ると、またパトカー。
いつまでついて来るつもりなのかね。

数日前に出会ったレクサス乗りの人に再会。

「ジャパーン!」と言って興奮して喜んでくれて、差し入れもドッサリいただいた。

丸3日間、パトカーの尾行は続いた。
ハイウェイからローカルロードに逃げこみ、ようやくまいた。
やっぱいろいろふつうじゃないな。

憑きモノが取れてスッキリ。
ようやく自分の旅を再開できる。

砂漠しかないようだが、小さな街が点在し、モスクも無数に現れる。

どのモスクにも水場があり、お湯が出るところもめずらしくない。
こんな干からびた国でも、実はサウジアラビアは1人あたりの水消費量が世界平均の2倍で、日本よりもはるかに多い。
今まで旅した国との比較でいっても、こんなにもどこでも気軽に水が利用できる国はなかなかない。
野宿続きでも、今のところ毎日身体を洗えているし洗濯もしているし、水に困ることはない。
いずれ、海水淡水化による負荷のしっぺ返しが来るだろう。

小さな街を通過した時。
男性が僕に向かって手招きする。
行ってみると、カフェの中に連れこまれた。

英語は話せなさそうなサウジアラビア人。
僕のためのケーキとコーヒーを注文して会計をすませ、ニコニコと笑顔で「Very Good!」とだけ言って去って行った。

カッコよすぎだろ。
自分もこんな風にできるよう生まれ変われるだろうか。

人にやさしくされると、見慣れたモスクもなんだかやさしいお顔に見えてきた。

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