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モンゴル再訪、やっぱ地球でけぇや

6年ぶり二度目のモンゴリア。

やっぱ地球でけぇや。

こんなん、写真で伝わるかっ!

お好きな道でどうぞ。

ロシアと中国にはさまれた内陸国、モンゴル。
その系統はロシアでも中国でもなく、モンゴル語はアルタイ諸語に属し、トルコやカザフなどの遊牧民と源流を同じくする。
形質的にはその名のごとくモンゴロイドで中国人とも似ているが、ソ連の衛星国であったためロシア文化の影響も色濃い。

アジアには、世界の人口の60%が集中している。
他の地域の人口をすべて足し合わせてもアジアより少ない、という超過密地帯。
これだけ人口を増やしてきたのは、温暖湿潤な気候が土地を肥やし、十分な食料(特に米)を生産することができたからこそ。
それを覆すたった1ヶ国の極端な例外が、ここモンゴル。
日本の4倍の面積に、人口わずか345万人。
人口密度の低さは世界1位。

水は温まりにくく冷えにくい。
陸は温まりやすく冷えやすい。
海から遠く離れた内陸地は、夏暑くて冬寒い大陸性気候。

海からの湿った風はモンゴルまでは届かず、北方からはシベリア高気圧の寒気が流れ込み、巨大な盆地ともいえるモンゴルには冷たい空気がたまり続ける。
こんな呪われた立地のモンゴルは乾燥した極寒地となり、耕作に適した土地はほとんどない。

それでも人々は、古くから遊牧というスタイルを選択し、生き抜いてきた。

古代にユーラシア大陸南部で文明の礎を築いた農耕民たちは、その後北方からの遊牧民による度重なる侵略にトラウマを刻まれる歴史を歩むこととなった。
遊牧民をモンスター化させたのは、他でもないこの過酷な気候。
遊牧民が分布するユーラシアの乾燥地帯は「破壊力の源」とも呼ばれ、その脅威は13世紀にピークに達し、モンゴル帝国となって世界を恐怖のドン底に陥れた。

時々、バイクに乗った遊牧民がニコニコしながら近づいてくる。
英語はまったく通じず言語によるコミュニケーションはとれないが、モンゴル人特有の人懐っこさがある。

皆、僕の足を指さして「なんで短パン!?」みたいなことを言う。

パタゴニアなんかもそうだが、どこでもキャンプできそうな広大な大地に限って、そう簡単ではない。
モンゴルでは遊牧民の目があり、特にかれらは視力が良さそう、そこらにテントを張ったらすぐバレるだろうし、イヌも騒ぎだす。

朝、-9℃。

春ですね。

偏西風。
風を遮るものは皆無、容赦なく冷たく突き刺す暴風にさらされる。

電気やネットは問題ないが、ある程度大きな規模の街でない限り、水道というものが存在しない。
宿でも家でも、水は井戸から汲んできたり買ってきたりして、貯めてあるものを使う。
トイレは離れのボットン。

レビューを見て、シャワーありとの情報を確認してから宿に来てみたのだが、1㎥ぐらいのバケツに水が汲まれ、コンセントにつないで30分ぐらい待つと水温が38℃ぐらいになり、ボタンを押すとシャワーがチョロチョロと出る、という装置。
持ち運び可能で災害時にはいいかもしれないが、こんなの初めてお目にかかる。
リミットは20分と言われ、余裕だろと思っていたのだが実際には10分ももたず、あともう少しで洗濯が終わる、というところでバケツの水が尽きてしまった。

街中にシャワー屋さんがあり、連れて行ってもらったこともあった。
シャワーを商売にしているだけあって、そこではまともに浴びれた。

標高1645m。
モンゴルの海、フブスグル湖。

面積は琵琶湖の4.1倍。
アジアでも有数の貯水量、モンゴルの淡水の70%がここにある。

すぐ北東には、かのバイカル湖がある。
フブスグル湖は、バイカル湖に次ぐ世界2位の透明度を誇る古代湖。
今は国境で隔たれているけど、太古の昔はひとつの湖だったんじゃないかな。

水は冷えにくく温まりにくい。
春が来てもしばらく湖は凍り続ける。

パンデミックによる中断があったが、2018年にバイカル湖からスタートした旅、ぐるっとまわって戻って来たような感じ。

バイカル湖と同様、そのまま飲める水質。

なのに人々は極度に水を制限された生活をしている。

宿があるかどうか微妙な小さな街でさまよっていると、次々に声をかけて助けてくれる。
モンゴルでは英語は通じなくても、日本語を話せる人に遭遇する確率が高かったりする。
田舎街にもかかわらず、日本語話者と出会えて助けてもらった。

結局宿には泊まれず、彼の家に泊まらせてもらえた。

モンゴルでは、千昌夫の「北国の春」という歌が有名で、学校でも教わるそうだ。
彼はそれを弾き語りしてくれた。
「日本人ならこの歌知ってるでしょ」と言われたが、ごめんなさい知りません。

去り際に、長ズボンを差し出された。
いや長ズボンが買えないってわけじゃないんですよ。

僕の海外走行は17万kmに達した。
国内走行も含めたら19万km近く走ってきただろうか。
一体これは何なのか、自分でも理解できない。
ただ、こぎ続けるこの時間が、今なお変わらず愛おしいんだな。

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