見出し画像

サイクリング・オマーン、ただこぎ続けるだけでこの上ないご褒美をいただく日々

首都マスカット。

日中28℃。
真冬の1月でさえこの暑さだから、やはり移動は車以外はありえないのだろう。
他のアラブ諸国と同様、道路は歩行者自転車の存在を想定しておらず、ちょっと出かけるだけでも歩道がなかったり段差だらけだったりでやりづらい。

ここもやはりモール文化。
厳しい気候のため、外は歩くものではない。
店はすべて巨大モール内にまとめて、車で来店してエアコンの効いたモール内で涼しく買い物する。

UAEほど開放的ではないが、サウジアラビアほど保守的ではない。
伝統的な衣装のオマーン人だが、女性だけで歩いていたりもする。

アラブ圏では自転車屋がほとんどないが、モール内にデカトロンがあるおかげで基本的な自転車パーツやアウトドア用品が入手できる。

ダイソーもあり。

スケートリンクもあり。

お祈りの時間にはちゃんとアザーンが流れる。

すでにホルムズ海峡を越え、向こうに見える海はペルシャ湾ではなくオマーン湾。

一山越えた先の眺望。

国土は日本の0.8倍。

正式名称はオマーン・スルタン国。
伝統的にスルタンと呼ばれる王によって統治されている。
他のアラブ産油国と同様、絶対君主制。
三代前の国王が日本人女性と結婚し、その娘は現在もオマーンの王女。

産油量は多くはないが、政治も経済も安定している。
特定の国と敵対することを避け、全方位に友好関係を築く中立的な外交。
世界で最も重要なチョークポイントと言えるホルムズ海峡の北岸は敵国の多いイランだが、南岸はオマーンの飛び地となっており、オマーンの中立性が石油ルートの安定に一役買っている。

人口は510万人。
オマーン国籍70%、外国籍30%。
外国籍はやはり南アジア系が多数。
英語の通用度は高い。

17世紀の大航海時代、アラビア半島沿岸を支配していたポルトガルを追放し、オマーン海洋帝国として隆盛。
貿易の拠点として重視され、その後覇権国となったイギリスと対等に交易するほど力をつけた。
最盛期の19世紀には、北は現在のイランから南は現在のモザンビークまでアフリカ東海岸を制する強大な帝国であった。

その後まもなく衰退。
イギリスの蒸気船の登場によって帆船の海洋帝国はあっけなく凋落した。
19世紀末にはイギリスの保護領となり、1971年独立。

2011年にタンザニアのザンジバル島を旅した時、かつて最盛期オマーンの都だったと知ってとても意外だったのを記憶している。
現在もザンジバルは、東アフリカの中では特にイスラムテイストが際立つ文化圏となっている。

オマーン湾を抜け、インド洋の一部であるアラビア海へ。

キャンプに対して寛容な土地柄で本当に助かる。
今までと同様、モスクにある身を浄める水場で身体を洗って洗濯して、適当にテントを張って寝ていても、なんら問題ない。
物価は、サウジアラビアやUAEに比べるといくらか安くなったが、それでも安宿はないのでテント泊が続く。

ピンクレイク。

マスカット以降、街では女性はまったくと言っていいほど見かけない。
全員男。

外国人は、バングラデシュ人が多めの印象。
インド(14.2億人)とパキスタン(2.4億人)という大国の陰でかすんでいるかもしれないが、バングラデシュも小国ながらロシアよりも多い1.6億人の人口バケモノ国。

東洋人はおらず、めずらしがられる。
でも警戒されることはない。

南下するにつれて気温上昇。
軽く30℃を超える。
今はベストシーズンの真冬だが、2~3ヶ月もずれたらサイクリング不能かもしれない、きわめて厳しい気候。

日陰なし。

砂漠道には、避難小屋のような無人モスクが点在している。

ウォータータンクあり、トイレあり。

礼拝室にはペットボトルまで備蓄されている。

あまりに好条件、モスクの敷地でキャンプさせてもらうことも多い。
モスクといえば部外者には近寄りがたい神聖な場所というイメージがあるかもしれないが、僕がここで行水したり寝泊まりしてもまったくお咎めなしのようで、またイスラムの懐の深さに助けられている。

ただ、オマーンも周辺諸国ほどではないが海水淡水化に依存している。
人口増加と都市化にともなって海水淡水化の需要も増大しており、その技術的輸出国が日本だったりする。
地球を汚さずして石油エネルギーを利用することができないのと同様、海水から真水をつくりだすのにも生態系に良からぬ影響が蓄積してゆく。

車が止まり、おやつセットをいただいた。

声をかけてきたのは、助手席に座っていた女性。
オマーン人女性と会話するのは初めて。
英語でフレンドリーに話してくれたが、撮影はNG(彼女は僕を撮ってたけど)。
奥さん車から降りて、旦那さんとお子さんだけ撮らせてもらった。

また車が止まり、コーヒーと軽食をいただいた。

水もどっさり。

奇跡のような夕焼け。

ただ自転車をこぐだけの日々、それだけで毎日ご褒美がもらえる。

連泊なしで毎日ぶっ続けだと、当然疲れがたまる。
持続させるには、1日の走行距離を短めにおさえて、日が暮れたらとっとと寝て睡眠をたっぷり取る。

朝。

大きな街はなく、スーパーは品薄。
日々の食事はインスタントラーメンとツナ缶。

峡谷へ。

山道なのにしっかりと幅広の路肩あり。
交通量は少なく、1時間に数台車が通る程度。
無心になれる。

息を呑む、こいつはすげえ。

過去に見た、名の知れたなんたらキャニオンよりも、誰も知らないこの壮大さ。

写真という枠にはとても収まりきらない。

家畜であれ野生であれ、イヌ以外の動物は皆僕を怖がって逃げてしまう。
車はただの物体として認識するようだが、僕は未知の天敵のように見えるのだろう。

オマーンにはイヌがいないので助かる。
ラクダ、ヤギ、ネコ、時々ウシ。
路面はラクダのフンだらけ。

滝。

こんな乾燥地帯でも、山の水分が一箇所に集まって滴っている。

険しい山道と、息を呑む風景に何度も足を止めていたら、日が沈んでしまった。
たどり着いた海辺で僕を待ってくれていたのは、こんなフルムーン。

BGMはJimi Hendrix 「Angel」で。

車が止まり、僕に水を渡して去って行く。

アラビア半島走行もあとわずか。
ヨルダンのアンマンから3ヶ月ちょっと、約6000km。
最終地サラーラへ。

首都マスカットからサラーラまでは約1400km、連泊なしで走りっぱなし。

サラーラにたどり着いた瞬間、通りすがりのタクシーの運ちゃんがまるで僕の到着を知っていたかのように満面の笑みで迎えてくれた。
ラクダ肉をごちそうになった。

久々の、まともなメシ。
今の僕の身体の主成分は、インスタントラーメンとツナ缶とマウンテンデュー。
ヒョロガリの栄養失調、エナジーチャージしなければ。

上手に手で食べるコツを教わった。
コーラを頼もうとしたら、今はパレスチナ問題でイスラエル=アメリカ関連の製品をボイコットしているそうで、サウジ産のコーラで。

彼は日本が大好きだそうで、日本語のフレーズをいくつも知っている。

僕はただ自転車をこいできただけなのに、この上ないご褒美をいただいてばかりである。

サラーラの市場でラクダ肉。

1kg焼いてみた。

いただきます!

やや硬めだが、クセもなく臭味もなく、食べやすい。
日本人だったら、品種改良しまくって極上肉に育てちゃうんだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?