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社交と親交。どちらを育むべきか。

SNSが発達する前にすでに成人していた私にとって、SNSが発達する前の世界と今の世界はまさに異世界です。

SNS発達以前は、生まれた場所による情報優位性に大きな差があったので地方に生まれた私の人生には漠然としたロードマップが敷かれており同世代の人達も似たような状況だった気がします。

その頃は「何者かになりたかったら東京へいくしかない」というのが、私たちの世代の共通認識だったと思います。
なにせ、集まる情報も人も東京に集中していたので地方の人間は地元の会社に勤めるか、公務員になるか、家の仕事を継ぐか、しか選択肢がなかったのです。

今でも人は東京に集中していますが、インターネットの発達により情報量の差は埋まり、SNSの発達により人脈をつくるためのハンデも埋まってきています。

そんな状況もあり、現在では様々な場所でつながりが築かれています。
特にコロナ以降はオンラインでの交流がよりいっそう広がっていったようにに感じます。

このようなSNSやインターネット上で多くの「社交」が多くなった結果、
フォロワー〇〇万人。登録者〇〇万人などのリアルでは会いきれない数のつながりをもつ人も増えてきました。

この事自体は、全く否定するつもりはありません。
むしろ、たくさん行動しアウトプットを行った結果たどり着いた数字なのでむしろ尊敬の方が強いですし、私も「もっと頑張ろう」という気持ちにさせてもらえます。

とはいえ、リアルでの「親交」を無視して、SNS上での「社交」にエネルギーを全振りしてしまう人がいたら、それはいかがなものかと思います。

実存心理学者のロロ・メイは「現代人にみられる特質は空虚さと孤独であり、孤独を恐れるあまり、自分が社交的に受け入れられることを求め、無意味な社交にうつつを抜かしている」と指摘しています。

人の行動の意味は、その人自身が決めれば良いと思うので「無意味な社交にうつつを抜かしている」という部分は同意できませんが、「空虚さや孤独を恐れるあまり自分が社交的に受け入れられることを求め、社交にうつつを抜かしている」という部分は同意できます。

「社交的に受け入れられる」ことは承認欲求を一時的に満たすには効果はバツグンです。フォロワーや登録者が増えれば承認欲求も増えるでしょう。
しかし、自分の価値を社交の数に依存してしまう形なるので、何かの拍子に数字が減れば気持ちも落ち込んでしまいます。

その点、「親交」はあたたかなな心のふれあいがある親しい間柄でのみ交わされます。
心理学では「人にとっての最大の幸福はあたたかな人間関係である」という
研究結果も出ています。

残念ながら、親交をかわせる人数には限りがあり、心理学や社会学での研究によると、親交をかわせる人数の限界は15人程度といわれています。

これは、有名人やインフルエンサーなどであっても同じです。

社交を行うことは良いことです。その結果、自身の成長や学びにつながる事は大いにあると思います。
しかし、社交を追い求めるだけでは人は幸せになる事はできません。
「二兎を追うものは一兎をも得ず」ということわざがありますが、人間関係については「社交」と「親交」の両方を追った方が良いのではないでしょうか。


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