見出し画像

完璧主義の罠に、ひっかかっちゃったときは

完璧主義というのは
クオリティの高いものを仕上げる志向というよりは
パーフェクトでないものに価値を見出せない志向
と言われています。

だから、完璧主義の人の部屋って
信じられないくらい乱れてたりするんです。
ちょっとでも乱れたら無価値、となってしまうから
片付けることに意味が見出せなくなって
どんどん乱れていくんだそうで。


私も、ちょっとそういうところがありまして。
完璧主義の罠。よくハマっています。

「これさえできればいい」
と思っていたはずなのに、それはできたはずなのに
「こうでなければならない」
という思いにいつのまにか追い立てられていく。
そうして、なんだかだんだん苦しくなっていく。
そんな罠です。


これ
「パーフェクト像」が日々刷新されてることに
実は気がついてないだけなんですよね。


何かができるようになれば、できる前提で
何かを手に入れれば、それがある前提で
自分の進化とともに、常に書き換わってるんです。

でも、無自覚に行われているぶん
気がつきにくいんですよね。

だから一生、追いつけない。
まだまだ、まだまだ、と苦しんでいく。
もともとたどり着きたかった「パーフェクト」は
もうとっくに超えてしまったというのに。


より高みを目指すことは、素晴らしいこと。
だけど、それで自分が苦しいのだとしたら?
喜びが見出しにくくなったのだとしたら?

それは、完璧主義の罠に
ひっかかっちゃってるかもしれません。


本当はもう、自分としては
それ以上は求めなくてもいいレベルにまで
来ちゃってるんじゃないの?

いちど、そういう観点で
立ち止まってもいいのかもしれません。

いちど、そういう観点で
来し方をよーく、見てみましょうよ。


パーフェクトではないかもしれないけれど
そこまでたどり着いた、ということそのものに
これほどの価値があったんだな、ということに


気がつくかもしれませんよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?