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「でも」ではなく「そして」で結ぶ。嬉しさと悲しさは同時に味わうということができるし、そのほうがきっと実態に近い。

たとえばね、大好きな人がいたとして
その人となんらかの理由で連絡がとれない
なんていう場合に
 
嬉しさと、悲しさは
同時に味わうことができるし
そのほうがきっと自分の実態に近い
ということなんだとおもうのよ。
 
大好きだ、という嬉しさと
繋がれない、という悲しさ
 
大好きだ「けど」連絡がとれないとか
繋がれない「けど」諦められないとか
 
そういう話になりがちだけど
そうじゃなくて
 
大好きだ「そして」繋がれない。
私は嬉しい「そして」悲しい。
 
以上。
 
それぞれ、別のものである
ということなんだとおもうのよ
 
「けど」で結んでしまうと
嬉しい気持ちや悲しい気持ちが
まるであってはいけないものかのように
おもわれて、苦しさが生まれる
 
嬉しい、と、悲しい、だけでよかったのに
苦しい、が生まれてくるのだ
 
ひとは
はっきりしないことが苦手だから 
「そして」で結ぶときにおこる
相矛盾するかに思える気持ちの両立が
はっきりしなくて苦手なんだとおもうけど
 
 
苦手、と、苦しい、は質がまるで違う
 
 
「でも」で結ぶほうが
ドラマチックだし、わかりやすいし
ぶっちゃけ、お金も生まれやすいと思うよ
 

ひとは、ドラマチックなストーリーに
惹かれてしまうものみたいだからね
 

それでも私は「でも」ではなく
「そして」で結ぶときの
モヤモヤと、居心地の悪さと
自分の本音と繋がれる安心感を
選べる自分で、ありたいとおもう。
 
 
明日もよい日でありますよーに◎

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