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千羽鶴から発展して考えてみる、もちつもたれつのこと

災害や病気などのお見舞いの話で
千羽鶴のことが引き合いに出されるけど
 
千羽鶴がどうとかじゃなくてさ
なんていうのかな、私は
「相手の気に入る手しか差し伸べたらダメ」
みたいな論調が気になっちゃう。
 
気を回す、気を利かす、ていう行為は
決めつけから成り立ってるんだよね。
「この方法がいいだろう」ていう決めつけ。
決めつけだからさ、相手のニーズを
外すことは、どうしても、あるんだよ。
 
エラーがトライの一部であるように
外すこともまた、手を差し伸べることの
一部だと思うんです。
 
もちろん
「いらん」と言ってるものを送り続けたら
嫌がらせみたいになるかもしれんけど。

 
「いらないものを送ったらダメ」
=「相手の気に入る手しか差し伸べるな」
 
というスタンスはさ、翻ってみれば
いつも自分のニーズをはっきりさせて
伝えておかなきゃいけないってことだ。
 
苦しいとき、いっぱいいっぱいのとき
疲れてぐったりしかできないとき
「こうしてほしい」てはっきりと
間違えずに伝えなきゃいけない
じゃないと、わかんないもんね。
 
それ平気にできる人もいるだろうけど
大抵の人は、わりとしんどいのではと
思うんだけどなぁ。
少なくとも、私はしんどいなぁ。。
 
だから、手を差し伸べるほうは
「これは自分の決めつけである」という
原則を忘れずに、しかし勇気を持って
行動にうつしていくしかない。
その結果、外しても仕方ないじゃない。
 
手を差し伸べられるほうは
拒否もよし、いらんと言ってもよし、ただ
「これも差し伸べて欲しい手の一部だ」
という感覚は、どこかにあるといい。
次はきっと、嬉しい手が差し伸べられるよ。
 
別の時には
立場が入れ替わることもあるしね。
 
そういうのが、私は
もちつもたれつっていうか
お互いを活かし合うってことかなと
おもったりするのでした。
 

ほとんど自戒ですけどね( ̄▽ ̄)

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