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形而とパロディー

人らしさ

 最近はAIが恐ろしいほどの速度で発達していき、半年前までは指差して笑われていたAIによる画像生成や音楽制作が、感心するほど洗練されてきました。
私も音楽を作る身なので、ある程度の音楽性に長けた耳を持っていますが時間を重ねるごとに、形になっていくAIの伸びは人間のそれをはるかに超えていて、自分が試されている気もして何だか固唾を飲んだ気分でした。

 そんな中でよく聞く言葉は「人らしさ」についてのあれこれです。イラストや絵画で例えると、ちょっとした線画の歪みや、独特だけれどもどこか馴染みのあるような色使い、また個性色など。音楽で言えば、その人ならではのフレーズやその人の言葉遣いなどですよね。

  AIに精通している人ならば「そんなのプロンプトで〜云々」と思うかもしれませんが、私はこの問題は『人類 vs AI』というよりも『人類 & AI』において上手く人間同士が共存していくための皆々が考えるべき一つの倫理的な、また尊重的な問題だと思っています。

便利のための革新

 何かと生活や仕事を便利にするために人類の技術は発達してきました。物を早く運ぶための蒸気機関。夜にも明るく作業や活動ができるための電球。そのための電気。情報をより確実に正確に処理保存するためのコンピューター。そして新しい便利としてAIが登場しました。

 今まで人間の意思や思考が必要だったものをAIなるものが代替として参入していきます。そうしたら人類に残されているもの、人らしさとして主張できるものって一体なんだろうと、私はふと考えてしまいました。

パロディー

 思いやり?争い?すれ違いや愛情、感受性、言語や感覚を超えた…何か形而的なつながりでしょうか。いつか過度なAIの介入により様々な面で自己主張や自己表現が足りなかった場合、人間と看做されなくなってしまうでは?と少し怖い気持ちになりました。

 そんな限りなく人間を模倣できるパロディーのような便利さによって、今後どう時代が変わっていくのか、私たちの意識や価値観、それ以外にも生死についてなど、どのような意識変化が時代を織りなすのか。変わりすぎるその風向きに足が竦まないように、自分についてもっと深く探究しようかなとも思いました…が、
自分一人が人類なわけではないのです。人と人とがどう繋がってどう交差しているのか、どう影響し合うのか。日本のみならず世界ではどのように人と人が繋がっているのか。それ踏まえた上で自分はどう生きているのか。どう変われるのか。

 そんなとっくの昔、私たちの遥か昔の祖先にあたる猿類から人類に進化した過程でゆっくりと築かれ、時代を越えて大切に受け継がれてきた「人らしさ」についてもう一度、一人でも多く感じる時代になったらなぁと思います。


良い1週間になりますように!


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