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漢字について

漢字は要らない?

 日本人のほぼ全員が義務教育の過程で学んできた『漢字』というもの。日本語を形成する仮名文字に続く文字の一つであり、日本人、または日本語話者にとって毎日目にするもので、また日常の中で必要不可欠な言語ツールです。

 日本で日本語を学んでいた海外の方がこんなことを言っていました。
「日本での生活の中で一番苦しんだのは漢字だったね。あれは習得できる気がしなかったよ…。」
日本に住む私たちでも、1週間或いは1ヶ月の間で『初めましての漢字』に出会います。それほどまでに膨大な量で存在する『漢字』。この不便さを説いた人は歴史上でもたくさんいました。『漢字消滅の危機』が過去にあったのです。

 日本で初めて郵便制度を導入した「前島密」は漢字廃止論者の一人でした。実用的に見て「教育の過程で漢字は大きな障害になる」と彼は考えていました。簡単な仮名文字を使った教育を提唱したのです。(漢字御廃止之議といいます)そして政府は1946年に、使う漢字を制限する目的で『当用漢字表』を制定しました。1850種からどんどんと数を減らしていく!という狙いだったのだそうです。

 ですが意外にも多くの国民が漢字を読めていたり、口述の技術が発展したことにより漢字廃止の方針が薄れていきました。そして『当用漢字表』から『常用漢字表』に。そしてまだ現在でも漢字廃止論の団体は存在しますが——。

 ではなぜ漢字は愛され続けているのでしょうか。それには文字に詰め込める情報量の多さが起因しています。漢字は2文字、所謂『熟語』だけで意味が成立し、また混乱もせずに相手に伝えることができます。例えば英語で「できるだけ早く」の意味を持つ "ASAP" (as soon as possibleの略)はAutomated Standard Application for Payment の略とも見れますし、ASAPという会社すらありました。as soon as possibleの略だと知らなければ混乱を招いてしまう可能性があります。ですが熟語で「早急」や「大至急」などと言えば混乱の余地もなく相手に伝わります。

 どちらが秀でていて劣っているとは思いませんが、漢字廃止論者や英語圏の人が言うような「漢字は非効率」ではないと思います。確かに覚える量も多いし使いどころもわからないようなものもあります。ですがそんな一時の面倒臭ささやその怠惰に支配されて「無くしてしまおう!」なんて少し図々しい気もします。漢字に限らず、なぜそれが存在するのか、その意義や他の事柄への関わり、愛されている理由などに目を向けなければ本質までは見えません。

 立体的な視点で物事を捉えてみる。これが何かに対して考えることで重要な思考であり、必要な尊重なのかもしれませんね。

良い日になりますように。


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