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忘れてしまうこと。

朧げな過去、記憶の所在

 人々の記憶における過去というものは、実はいつも曖昧で不確定だと思ってます。『自分の記憶違いだった』ということは皆さんも経験があると思います。あれほど「これが事実だったんだ。こんなことが本当に起きていたんだ!」と直後には思っていてもそれが過去の記憶という概念に変わってしまった途端に不確実性が生まれてしまいます。

 このような状況は相手と記憶の歪みの面では非常に厄介事になります。「私はこう言った、そしてあなたはこう言った」という主張に対して、こちらの記憶事実では「そうは言っていない」と、相反してしまう場合があります。どちらかが都合のいい解釈をしている、または装っているという場合もありますが、大事な事実を、もしくは過程をどちらかが忘れているのかもしれません。

 上の例では少し気が重くなるような記憶についての話でしたが、おぼつかない楽しい過去を思い出すことも大事です。

  一説によると意外にも人はいろいろなことを覚えているそうです。ただ、引き出しの鍵が必要なだけ、だとか。『五感で蘇る記憶』などは有名ですが本当なのでしょうか。ヒトは「楽しかったこと」や「印象に残っていること」を大事に心にしまい、その他悲しかったことや嫌なことは無意識に、記憶の奥底の引き出しにしまうそうですが…。

『五感で蘇る記憶』

 五感は「触覚、嗅覚、聴覚、味覚、視覚」です。なんとこの五つには忘れてしまう順番があります。
聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚』の順です。
嗅覚は視覚や聴覚とは違い、扁桃体と海馬という記憶と感情を処理する部位に影響しているので、花や誰かの香りなどが記憶を呼び起こすトリガーになっているのだそうです。

 なので「匂い」は記憶の重要な鍵になるわけですね。街中でふと香った匂いが様々な記憶を呼び起こすことは確かにありました。

 ですが、私の中では聴覚でも同じ現象が起こることが多々あります。あの時期に聞いていた曲を久々に聴いた時に、まるであの時のような感覚に陥るのです。やはり五感はトリガー。個人差はあると思いますが、記憶の鍵が溢れていることにありがたさを感じました。

嫌な記憶すら

 人は皆、悲しい思い出や過去にあった嫌なことは思い出したくないかもしれません。ですが時が立ってみれば案外気楽にも「こんなこと、あったなぁ〜」で済むかもしれない、その思い出のおかげで学べることや再認できることがあるかもしれない。

 ちょっとしたワクワクな気持ちで埃被ったその箪笥を開けるのも、良いのかもしれませんね。若かったあの頃のことや、忘れかけていた本当のことを知るために!

良い1週間になりますように!

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