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職場に残る理由、そして通所先探し

家も職場も、だいたい2年もいると変えたくなる私ですが、今の職場は3年目に突入しても「辞めようかなぁ」という気にならず、それは私史上なかなか稀なことでした。ちなみに人生でいちばん長く続いた“職場”は小学校です(小学生の立場で、です)。6年間もよく同じ建物に通えたなぁ。

どうして今の職場を辞めようと思わないんだろう、とよくよく考えてみると、不満な点というのはちゃんとあるのです。転職を考えてもいいくらいの理由も。
ただ、今はそれよりも、ここにまだ「いたい」と思う気持ちのほうが強いのです。

続けたい理由の最も大きなものは、一緒に働きたい人がいること。
支援の姿勢が尊敬できて、相談したらいつもたくさんのことに気づかされてくれる先輩がいるのです。
職場の仲間というのは、その職場に入るまではわからないものなので、ここがハマると幸運というか、恵まれているなぁといつも思います。


人間の悩みの大半は、人間関係だと聞いたことがあります。特に人生の大きな割合を占める職場での人間関係というものは、本当に大事なもの。
なのに、私は先日気づきました。
障害をもつ相談者さんの通所先を探すとき、業務内容や自宅からの通いやすさに比べて、そこで一緒に働く利用者の雰囲気というものを、やや軽視していた自分がいたことに。

前々からそうだったわけではなくて、そこをちゃんと気にかけている私がいたこともあったのに。
ある相談者さんの通所先を探すとき、私は「この人の能力的に何ができるだろう?」と考えてしまっていたのです。

もちろんそういう視点もあり、なんだけど。
そもそも「能力」で人を測ることこそ、なんだか違うような気がして。
だいたい、相談者の皆さまはいつも、私たち支援者の予想よりずっと大きな力を持っていたり、力をつけたりするものです。


一緒に働く人は、苦楽をともにする仲間であり、そして自分の鑑にもなります。
この人たちと自分は肩を並べているんだ、同じところにいるんだ、と思うのです。

以前に、障害福祉サービスの就労継続支援事業所の見学に同行したとき、見学を終えた相談者さんから「私はここまで重度の障害者じゃありません」と言われたことがありました。
また、別の事業所に通所中の方からはしばしば、「自分のいる事業所に通っている人は、どうしようもない人ばっかりなんだよ」と、自己否定も混ざった訴えを聞きます。

そういう声を聞くたびに、しんどいよなぁと思いを馳せ、どうにかならないものだろうかと考えます。
通所先の雰囲気が、通所者の力を奪うようなことになっていたらとても悲しい。


通所先探しは、踏むステップは比較的決まっていて支援の仕方はわかりやすいけれど、実際はとても気をつかうし、毎度悩みが尽きません。

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