私になるまで15

4年生になり、教育実習に行く日が間近に迫った時、教務課に呼び出された。

障害特に言語障害がある私に、授業をどう進めるか、色々アイディアを提供してくれ、私もどうする事が生徒に伝わるか、考えた。

その結果事前に大きな模造紙に話したいことを書き、それを私が読む。

社会科の授業自体、だいたい教科書を読むだけみたいなところもあるため、教科書は、生徒に読ませ、その捕捉を大きな模造紙に書いたのを読むことで実習することになった。

実習の初日。緊張する気持ちを抱えながら母校の校門をくぐる。泣き笑いした中学時代におもいをはせながら、いきなり朝礼で挨拶することになった。生徒の目が全員私に向けられる。何も考えてなかったため、とりあえず、「今日から2週間よろしくお願いします。」とだけ言って退散した。

事前に障害のある人が教育実習に来ると担任から聞かされていたらしいが、田舎でしかも何にもない小さい島。じーっと見る子もいた。


最初は、授業見学だけだったが、それを実習簿にまとめて毎日たんとうの教師に提出する楽しい授業もあれば欠伸が出そうな授業もあった。でも、教師も色々雑務をこなしながら大変なんやなぁって思った。さて、、いざ私も教壇に立つことになった。放課後、授業の準備をしていると、ある女生徒が来て、「先生遊ぼう。」彼女はまだ1年生で、私の同級生の従姉妹だった。「後でね」笑顔で答える私。窓越しに男子から「次は公共の福祉か」と言われニコッと微笑む。

さて、授業本番。少し足が震えた。日直が起立!レイ!着席!と指示を出し、授業開始。デカい模造紙は生徒に手伝ってもらい黒板に貼り付ける。生徒全員の目が私に突き刺さる。「では教科書〇〇ページ。誰か読んでくれる人?」シーンとなった教室。少し戸惑うが、時間が無いのでとりあえず前に座ってる生徒を当て、読んでもらう。


その後に補足説明。事前に用意したデカい模造紙を読む.。そのでかい紙に赤いマジックで線を引き、ここは重要!と言うと生徒達は模造紙デカい文字を見、ノートに写していく。こうして研究授業含めて5回。教壇に立つことが出来た。ある生徒が自分の親に〇〇先生より浅野先生の方が分かると話したことをうちの親が聞いてきて、嬉しそうだった事を思い出す。

2週間はあっという間に過ぎ、実習は終わった。次は養護学校の教育実習が秋に控えている。「頑張ってね。」先生達に見送られ母校を後にする。

現在、特別支援学校と呼ばれる。けれどまだ当時は、養護学校といわれていた。それは、障害のある子どもたちを集めて特別な教育をすると言う意味から特殊教育と呼ばれていた。都道府県によっては特殊教育で採用しないところもあるが、和歌山県は特殊教育で採用される。教員採用試験は夏。あと数ヶ月必死に勉強する。いや、したつもりだった。けれど結果は不合格。採用される人数は極めて少なく、合格したら奇跡のようなものだったが、その時の落胆は言いようもなかった。しかし、秋深まる頃、養護学校に実習に行く。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。