見出し画像

3日間、だれでも「建設」に参加できるワークショップを開催しました。

2018年に『Tiny Community Space -自力建設ワークショップ-』というものを開催しました。自分たちのローカルな居場所を自分たちの手で作るという社会実験のプロジェクトです。このプロジェクトは気づきや学びがとても多くて、5年経った今でも気がつくことがあります。登壇時の紹介でもいつも反応がよいので、改めて記録しよう!というのがこのnoteです。

このワークショップは、コミュニティスペースなる小屋を3日にわたり淡々と建てていくというものです。ただし、地域の人は誰でも建設に参加することができます。通りかかった人の飛び入り参加もウェルカムなのです。その後も建物はしっかりとこの地に建ち、2年ほど地域のさまざまな場面に活用されていました。

こちらの動画でワークショップの空気が伝わるかと思います。


〈目的〉 ”自分で自分の場所をつくる”をとり戻す

プロジェクトの発起人である高木一樹くんの狙いは、「DIYによるコミュニティスペース作りを地域の人たちが共同で行うことで、助け合うきっかけをつくり、ひいては縁社会というものを作る」ことでした。彼らの提案は群馬県が主催するコンペでグランプリを獲得し、その賞金とクラウドファンディングの資金から、ワークショップが実現されました。

学生時代、私は留学していたスウェーデンの大学院で持続可能な都市や建築、社会のことを学んでいたこともあり、持続できる(サスティナブルな)場所というものについて考え続けていました。そしてあるときから、自力建設 = 自分で場所を作ることが、持続可能な社会の実現につながる、大きなポテンシャルをもつ営みだと考えるようになりました。

ひとつ、問題意識もありました。
私たちは、災害で居場所が壊れたり失われたりすることがいつでも起こりうる国に暮らしています。それにもかかわらず、近代を経て「建てること」が管理されて、弱体化してしまった部分が少なからずあると考えています。自分の居場所をメンテナンスしたり、集団で助け合って環境の変化に対して”ねばり”を持つことが難しくなったんじゃないか、と。
そんなことを考えて「公共施設を市民が自力で作るプロジェクトを、仕組みから本気で提案する!」ということをやっていたときもあります。

在学時にやっていたこと。法律からリサーチして、
実現するべく住民の方々にも提案したり

前段が長くなりましたが、そんな経緯から主催チームにコンタクトを取り、『Tiny』のデザイナーとしてプロジェクトに入れてもらいました。

〈設計〉 決めるのはフレームだけでいい

小屋の設計フェーズでは、私とプロジェクトに関わってくれた地元大工チームで打ち合わせを重ね、なるべくシンプルで施工が容易なものを目指しました。 とはいえ、この設計というのはあってないようなもので、僕らは図面を引いたけれど、あくまでフレームのみを設計したのでした。

構成はいたってシンプル。長さ3.6mの防腐剤注入済みの規格材を使って、キューブの空間を作るというもの。言葉通り、立方体のフレーム(骨組み)を作る計画です。 基礎は敷地にコンクリートを置くだけ、屋根は畳むことのできるものになっています。この辺りは、研究してきた知識が生きています。ちなみに屋根はキューブに突き刺さるという、建築のルールを逸脱したような構成になっています。そうすることで、ユーザーたちに余計な緊張感を与えないと考えたからです。

当時描いていたダイアグラム。立方体のフレームに屋根が挿さるだけの構成

〈建設①〉 余白を仕込むことで、美しいものが生まれる

朝の群馬県、板倉町。そのロードサイドで建設ワークショップ初日が開始されました。3日間のワークショップの流れは建築士の私と大工チームで大まかに打ち合わせておき、参加者たちとコミュニケーションをとりながら、共同で重い部材を運び、並べていきます。構造がシンプルなので突然の参加者があってもだいたいの方向性がイメージできます。部材同士の緊結や加工も共同で進めていきます。
建築も当日のプログラムもまさにフレームだけがデザインされていて、その余白の中で参加者たちはゆるく、自分たちの居場所となるものを作っていく。工事の効率は気にせずに、参加者ふくめ失敗と検証を繰り返しながら小屋を淡々と建てる。一辺3.6mの8畳の空間をつくるのは、巨大ではないけれど、身体のスケールを超えた作業です。「建てること」の高揚感を参加者全員が肌で感じていました。

ここで面白いことが起き始めます。
小屋を作る以外のプログラムはもともと組まれていなかったのですが、小屋の周りに家具を作りはじめる参加者が現れたのです。まわりの端材や薪などを使って、工具でベンチを作り始めます。確かにこの寒空の下、数時間も立ち作業というのは体力的に厳しいです。この脱線組はいつの間にか数人の家具チームとなってほどよいベンチを完成させてゆったりと腰を下ろし、小屋を懸命に立ち上げようとする私たちを眺めていました。彼らはとても満足げで、楽しそうでした。

小屋組が立ち上がる前から奥で薪を切りはじめる家具チーム。脱線が早い。
自然発生したベンチ。この三人はずっと立ち上がらない。

このワークショップには厳格なルールがなく、実施している敷地にも空間としての余白が広がっていました。そんな状況が、誰が指示するのでもない人間の根源的な「建てること(ここでは家具をつくること)」を思い出させ、自分の居場所を自らつくる発想を引き出したのかも。
自然な形で求められ、作られたこのベンチは、とても美しいものに思えます。

〈建設②〉 オープンエンドに建設は進む

一方で、本筋の小屋は3日をかけて少しずつ施工されていきました。高所になるほど大工の助けが必要です。屋根まわりは彼らに預けつつも、道具を運んだり材料を運んだりすることは、どの参加者でもできます。床の施工も誰でも参加できます。
フレームをしっかりと組んでいる限りは、すべてを設計通りにやる必要はないので、後から見ると材料が思っていたものより無骨なサイズになっていたり、妙に飛び出していたりする部分もあります。これらは、大工を含めたそれぞれの参加者が良かれと思ってやったり、うっかり間違えたりしたものです。
その場で生まれるデザインや工夫もあります。床をはずすと四人くらいが囲んで座れる掘り炬燵のような場所が作られたり、バーカウンターのような居場所を取り付けたりしている参加者がいました。もちろん、それらは最終的にこの小屋の一部として残ります。いわゆるオープンエンドなデザインを生みながら建設は進められました。

ベンチを含むいくつかの突発プロジェクトを併走させながら、3日間のワークショップは無事に終わりました。総勢で40名以上の方が建設に参加し、その様子は地域の新聞メディアやテレビの取材も受けて報じられました。
この3日間で完成しきらなかった部分もあります。このワークショップの目的は小屋を完成させることよりもむしろ建てるプロセスが個々人やコミュニティに眠っていた感覚、繋がりや会話のきっかけ、気付きと学びをもたらすことにあったので、それでよいのです。
未完成の部分は主催チームが仕上げを施しました。

完成した『Tiny』は参加者のアイデアがコラージュされている

〈結果〉 誤読がリアルな場所をつくる

その後、また予想外の現象が起きました。
『Tiny』ではいくつもイベントが開催されましたが、なぜか、ほとんどが演者のいるイベントだったのです。
演者、プレイヤー。歌ったり踊ったり、楽器を弾いたりするような人が小さな8畳の空間に立ち、庭に集まった人たちに向けて演技をする。そんな風景がたくさん記録されました。
どうやら『Tiny』は小屋というよりは舞台として人々に認識されている。誰かがはっきりそう言ったわけではありませんが、どうやら仮設建築の「浮き床」を作ったことで、小上がりが舞台的な効果をもたらしたようなのです。これはユーザーによるとても嬉しい誤読で、私が計画をするよりもずっとリアルな空間がそこには立ち上がっていました。

演者の空間と捉えられた『Tiny』

冒頭でも言いましたが、このプロジェクトは社会実験です。あえてざっくりと「地域のためのコミュニティスペース」とだけ定義したフレームのような場所をつくっています。ただし重要なのは、ざっくりした計画だけど、この場所は地域のユーザーと「建てること」を通して一種の絆を築いていることです。そうでなければ、どう使ったらいいのかわからない、腫れ物のような場所として廃れていったことと思います。
そして実験の結果として、このフレームのような建築は「地域のための舞台」として役割を担うことがわかりました。

〈考察〉 「舞台」が地域にもたらす可能性

この結果を受けて、私は日本のローカルな場所において舞台というものに大きなポテンシャルがあるのではないかと考えるようになりました。

日本人は、民族としてシャイな人が大部分を占めていて、自己表現があまり得意ではありません。でもみんな歌が好きだったり、ハレの場が好きです。
だからきっとその人が表現をしても不自然ではないような”言い訳”を用意してあげれば、活き活きと自己表現できるようになるはずです。日本でカラオケが人気なのはそういった背景があるんじゃないかと思っています。

今、自分を引き出してくれるような場所が地域に求めらている。そんな気がしています。一人ずつから引き出されたエネルギーから、あのベンチのような美しい居場所も生まれるんじゃないでしょうか。
であれば、『Tiny』のようなものを各地にローコストで作る活動をシリーズ展開してもいいんじゃないか、と思うのです。
思わぬ展開がその舞台を中心にうまれるだろうと、私は期待しています。
一緒にやりたい!という人がいたら、ぜひメッセージをください。

〈最後に〉 噛むほど味が出る

このプロジェクトについては、いろんな視点から面白がってくれる方がたくさんいます。2つ紹介します。

たかが仮設、されど仮設

ハード / ソフト
建てること、建設ワークショップを通して地域コミュニティに自然な助け合いの文化がうまれました。ハードを作る行為が、ソフトを強化している。そしてソフトが強化されると、ハードもしっかり使われるようになる…「建てること」の可能性を感じました。

場所の終わり方
強風地域の板倉では、膜屋根の管理が大変です。誰かにけががないように、ときには建物から膜を取り外す必要がありました。この管理のコストと使う人たちのニーズなど、いくつかの力のバランスが成り立たなくなったときに、自然と解体に話が進みました。自然の力学の中で、場所は生まれて、2年ほどして分解されていった。これを美しいと言ってくれる方がいます。
たしかに、普通の建物ではそうはいきません。権利の問題や解体費用、申請など、より複雑な力関係が、その場所のあり方を不自然なものにする…。

記事にするとやはり『Tiny』は味わい深いプロジェクトですね。
今後も沢山の方と楽しく議論していきたいので、コメントお待ちしてます🙌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?