とら (Kouenji Cafe&Barとらんぽりん経営)

1982年北海道札幌市生まれの末っ子B型。 2007年からカメラマン活動を開始。 自分…

とら (Kouenji Cafe&Barとらんぽりん経営)

1982年北海道札幌市生まれの末っ子B型。 2007年からカメラマン活動を開始。 自分で店を経営して自分の写真を飾る目標を立て2016年高円寺Cafe&Bar「とらんぽりん」を開店。 他にもイベント企画、作詞、ウクレレ演奏など 様々なアプローチで 自分の価値観を発信し続けている。

最近の記事

  • 固定された記事

「自分はゲイだけどやってる店はゲイバーじゃない」を選んだ理由

(ノンケという言葉あんまり好きじゃ無いんですが、わかりやすさ重視で多用してます。ご了承ください。) 15年前、新宿2丁目の公民館で写真展をやった時に来てもらった人に素朴な質問という感じでこんなことを言われたことがあります。 「カメラマンさんはゲイなんですか?ゲイなのになんで子供とかご老人とかを撮ったりしてるんですか?」と。 この時は、なんて返したかは覚えてないんですが、そういう意見をいう人もいるんだなぁと新鮮な気持ちになったのを覚えています。 僕は自分がゲイだということを

    • スナック「サブロー」

      (ドアが開く) 「いらっしゃーい、あらみえさん! どうぞ、おかえりなさい。今日はどっかで飲んできたの? え?デート? やだぁ、みえさんからそんな話聞けるなんて! じゃあ1杯目は私からサービスしちゃおうかしら! いいのいいの、いつもご馳走になってるからたまにはねっ! ええ?乾杯しましょって?私と一緒ので?やだぁ、結局もらっちゃった! ありがと!じゃあビール一緒に飲みましょ。 はい、かんぱーい!」 (乾杯の音) 「あー、美味しい! で、どうだったの、デート? あら、初

      • 誕生日を祝われるという事

        42歳という年齢を迎える事をいろんな人にお祝いしてもらえるというのは お店をやる という選択をしなければまぁそうそうなかったんだろうと 年齢が上がれば上がるほどしみじみ思うことが増えた。 北海道札幌市から東京に出てきてもうすぐ24年。 そんな時期に生まれた人がお客さんになってくれて色々話すことも増えた。 出産直後に大阪まで押しかけて病院で写真を撮った生まれたてのあの子は もうすぐ高校生になる。 おめでとう と ありがとう が増えていく。 寂しい と ごめんね も増えてい

        • 説得力のある大人になりたい

          2024年1月の日記。 1月1日、今日はなにもしないと決めてドラマ「ブラッシュアップライフ」を一気見した。面白かった。感動、という感じではないのも良かった。 見ている間に大きな揺れがあった。SNSを見ると大きい地震だとわかった。 ある程度の情報を見て、またブラッシュアップライフを見るのに戻った。 今日はそれを見ると決めていたから。 新年の挨拶をLINEでしながらドラマを見てたけど、それも途中で止め、3月にやるライブイベントの宣伝も後回しにし、ずっとドラマを見ていた。 ドラマ

        • 固定された記事

        「自分はゲイだけどやってる店はゲイバーじゃない」を選んだ理由

        マガジン

        • 小芝居まとめ
          8本

        記事

          新年の大掃除

          年末にやりそびれてしまった大掃除を年明けにした。 スタッフと何人かのお客さんにも手伝ってもらって、 なんだったら僕の家までついでに掃除してもらって、大感謝の日だった。 そのまま新年会をやった。明らかに去年より来てくれるという返事が多くて、呼びすぎなくらい呼んでしまって、なんだったらもっと呼びたい人も沢山いて、去年にはなかった贅沢な悩みが増えたんだと感じた。 年が明けてから世間では色んな事が起きてしまった。 色々考えなければいけない事もあった上で、これで自分が参るより、自

          とらんぽりんを閉めようと思った時期

          2020年、想像もできていなかった疫病の流行。 テレビでは自分が仕事にしてやっている場所に「行くのを控えろ」という時代がはじまった。その字面を見るたびに心がすり減ったのを覚えている。 営業もしていはいけないと言われる中、僕はお客さんの紹介でバイトをはじめた。悪い方悪い方に考えてしまう癖のある僕にとってバイトとはいえ仕事があるはとてもありがたかった。 最初はこれでやっていけるかと思う給付金で食い繋いでいく中、じょじょにこの金額ならやっていけるかという金額になると「飲食店はも

          とらんぽりんを閉めようと思った時期

          人生のモブキャラ

          夢なのか妄想なのかよくわからない人生がたまに出てくる。 時には僕は大学生になっていて、単位が足りないとぼやき特に気の知れた友達にも巡り会わずもがく人生。 実際の僕は大学に行っていない。 時には僕は唯一働いていた会社員を辞めたあと、その会社にバイトとして戻り学業と両立しながら必死な人生。 実際の僕は会社員を辞めてから学業にも会社に戻ってバイトもしてない。 時には僕は実家に戻り、特に何もせずたまに東京から友達が来てお酒を飲んで「そろそろ働かないとなぁ」なんて思ってない事を言

          時には昔の話をしてもいいもんだ

          近所にお気に入りのカフェというものができた。 最近は勝手に料理の写真を撮って提出したら気づいたらメニュー写真に使われていたりする。とても嬉しい。 し、Instagramのストーリーにちょこちょこ行ってる事をアピールして気になる人を増やすというのにハマったりもしてる。(逆効果かもしれない) そこに色々な人を連れて行く、というのにもハマっている。 こないだも、近所に引っ越してきたお姉さんを誘って行ってきた。 その方は15年くらい前、 僕が25才の頃に高円寺で一緒に飲ませてもら

          時には昔の話をしてもいいもんだ

          君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなれるのか

          来年の中島みゆきさんのライブが当たった。 中島みゆきさんのライブに行けるのははじめて。 この人生で中島みゆきを見れる日が来るんだ…来るのか?みたいな未だに疑心暗鬼なところもあるけど、とりあえず来年の2月20日までは死なないようにしたいと。 はじめてキチンと中島みゆきを把握した歌は「空と君のあいだに」だった。 「家なき子」というドラマの主題歌で主演の安達祐実さんは同い年だった。 中学生だった自分は同い年なのにめっちゃお金稼いでるんだなこの人なんて思ったりしていた。 空と君

          君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなれるのか

          地獄の排水溝

          排水溝ゴミ受けを探してたら100均で猫柄のを見つけてしてみた。可愛い。 僕は掃除が苦手だ。 特に水回りの掃除を怠ることが多い。 上の写真は、撮影のためにこれでも掃除した状態。 普段の様子は見せられない。そこはまるで地獄だ。 風呂の排水溝をたまに掃除する時も、生きているだけでこんなに汚れたり抜けたりするものがあるのかぁとしみじみしたりする。 洗濯物が溜まる時もそう思う。生きているだけで汚れていく。 それでも生きていたいか、と思うと、それでも生きたいと思えている。 から大丈

          スナック「レイナ」

          (ドアが開く) レイナ「いらっしゃーい!あらとらちゃーん」 とら「レイナママ…ラムコークきつめで頂戴!」 レイナ「あいよ。今日もお仕事おつかれさん!」 とら「ありがとう。(一気する)」 レイナ「なんかあったん?」 とら「え。うん…」 レイナ「とらちゃんいつもカシスオレンジなのになんかあった時だけラムコーク頼むんだもん」 とら「あーそうなんだ、気づいてなかったよ流石レイナママ」 レイナ「この仕事何年やってると思うてんねん。で、どしたん?」 とら「今日仕事でミ

          認められたいのか

          何歳になっても認められる、という様な思いで一喜一憂してしまうのはやっぱり承認欲求が強いのだろうかと思う。 だからこそ、40歳近くなってウクレレをはじめてみたり、41歳になってポッドキャストをはじめてみたりと、バイタリティにもなってるのかもしれない。 「その歳で新しい事はじめようと思うのって凄いですよ」と信頼している人に言われてハッとさせられる。 信頼している人が周りに増えた、と思う。 自分が人の話を聞く耳を持てるようになったからかもしれないけど、これも時間がかかった。

          月曜もどうでしょう

          ポッドキャスト番組をはじめて、noteの更新が減ってしまった。反省。 口で言うのと、文字にするのとではやっぱり温度が違うし、 瞬発的に言ってしまって言いたいこと全然言えなかったーーーと思うこともあるし、文章にすると色々熟考して書ける事で自分で上手くまとめれるから、どっちもどっちの良さがあるんだと思う。 今年は夏は海も川もプールも行けなかった。 海は四国旅行で一瞬行ったか。楽しかったな四国。いい人ばっかりだった。 でも、どこも行けないのが久々で、日常に戻った気もして嬉しさと残

          イベントはじめて15年

          イベントに出演オファーする時に最初につけている言葉です。 この文章を使い始めて15年経ったんだなぁとしみじみ思います。 PV監督(PV懐かしいね)になりたいと2000年東京に上京してきて 2001年に、通ってた専門学校で企画してたライブイベントに出演していた 「みみずくず」と出会い「愛しい人」という歌に惚れて その歌をもっと世間に知ってほしいと勝手に思って 気づいたらイベント企画をはじめていました。 音楽活動を特にやっていなかった自分がこんな音楽に興味を持つきっかけになった

          テレビの向こう側

          どうしてこうなってしまったのか? という出来事が沢山ある。 テレビの向こう側の話も それはきっと身近にも沢山。 悲しい出来事が起きた時に真っ先に思うのは 怒りなのか悔しさなのか寂しさなのか そんな時に悲しいが来る人間でいたいと思う。 その人の一面しか知らなかった人間が その人を知った気で話すのはとても難しい、し、危険だとも思う。 僕は何もしないのかもしれない、し、 知った気でいたくないという事で、 見なきゃ行けないものに蓋をしているのかもしれない。 とても難しい。何

          大人の修学旅行

          6月14日〜15日、5人で広島旅行に行ってきた。 まさに修学旅行のようなツアーだった。 最初に行ったお好み焼き屋の店長さんにもやや笑われた。 そんなド定番な旅行をすごく楽しんだ。 行きの新幹線でもお好み焼き屋でも広島平和記念資料館でも宮島でもどこでも修学旅行生たちと鉢合った。小中高色んな修学旅行生がいた。 広島平和記念資料館は混みすぎていてゆっくり見れなかったけど、世の中に修学旅行がしっかり復活できたんだということがなんだか嬉しかった。 僕も高校の修学旅行で広島平和記