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万寿庵橋 山口県下松市

今回も、私の好きな土木遺産リストから始まった小さな旅のご紹介。
リストによると、下松市に「下谷の石橋(萬壽橋)」なるのもがあるらしい。まんじゅばし、と読むのだろうか。構造は石造欠円アーチとのこと。日本各地にある「めがね橋」と通称される橋などは2径間の石造欠円アーチ橋が多いので、そういうイメージを持ってもらえばいいと思う。ただし、下谷の石橋なるものが立派な「めがね橋」であればもっと有名になっているだろうから、おそらく1径間の規模が小さい橋だと思う。
架設年など不明であるが、リストに載ってるくらいだから、おそらく明治後期から大正あたりだろうか。
ネットを検索すればさらに多くの情報が得られるだろうが、興を削ぐ調査は後回しにして、「下谷の石橋」という情報と地図だけを持って現地に向かいたい。

そもそも、下谷ってどこかと言えば、ここだ。

山口県下松市にある末武川ダムのすぐ上流に位置する谷あいの集落が下谷である。地図で下谷と記載がある2箇所に印をつけているが、おそらく一般に小字の下谷と言えば、下の方を指すのだろう。

下谷の拡大図。
末武川の左岸に黄色く着色された県道の丁字路があるのが目立つ。南から来て左折していく県道が県道41号下松鹿野線、丁字路から北東へ伸びているのが県道139号三瀬川下松線である。丁字路が県道139号の終点にあたる。
さて、地図を見ると、下谷地区には赤丸を付した3箇所に川を跨ぐ箇所があることが分かる。さらに北にも橋の記号があるが、これは下谷地区からは外れてきそうだ。そして、私はこの県道41号を通って丁字路付近にあるお弁当屋さんに時々行くので知っているのであるが、県道41号を構成する上の橋と、県道に接する下の橋には、取り立てて特筆すべき特徴なるものはない。橋の名前も知らないが、石橋ではないし、昭和初期以前のものではあり得ないのだ。
となると必然、真ん中の印の箇所が怪しい。ここはまだ通ったことがない。
しかし橋の記号もないし、本当にあるのだろうか。私の目で確かめてやろう。

というわけで、2023年2月某日、緑の矢印のルートで下谷地区を歩いてみることにした。
車を停めた公民館からスタートである。

廃校を利用したと思われる公民館、そのグラウンドが駐車場だ。先ほどまで小雨が降ったり止んだりの天気だったが、晴れてきている。じきに雲を抜ける予報である。

公民館がある左側から坂を下ってきた。写真奥の方に400mほど進めば萬壽橋擬定地である。

奥へ向かって歩き出す。道幅は1.5車線くらい。古い道だという印象だ。で、左を見ると結構壮観なのだ。

石垣が段々になっている。段々畑とか棚田という農地の名残だと思うが、城を守る防塁のように段々になった石垣は見事である。

郵便局がおおよその中間地点である。他人に理解はされないが、私は田舎町の小さな郵便局のような、地元の人の日々の営みを感じさせる施設が好きだ。町おこしのために無理やり作った施設や景勝地にはあまり感じるものがない。ありふれた、生活と一体となったものが良い。

末武川がぐっと蛇行してきた地点を見下ろすことができた。しばらく川を眺めて渓声に聞き入っていたら、腹が減ってきた。遠くに見えているのが県道41号。
橋擬定地も近いことだし、首尾よく見つけてお弁当休憩といきたいものだ。

あ、何か見えてきた。
右の民家にはマルフクの看板があるね。田舎の道だとよく見かけるマルフク。
いやそんなことより、あれは、、、

何じゃこりゃあ。
道路脇を見れば橋だということは分かるけども。
嫌な圧力のある道だなと思った。この圧力は当然、これでもかと並べられた黄色いガードレールから発せられているのだ。
短い区間に突如として現れる4本のガードレールに、自動車の衝突防止のためのデリニエータ(反射板付きの視線誘導票)。
ここだけが過剰とも思える安全設備の詰め込み具合だ。
この場所でかつて何があった?

詮索したくなる気持ちをとりあえず抑えて、確認せねばなるまい。
この橋の正体を。

手前左側の銘板
手前右側の銘板

万寿庵橋

やけに新しげな銘板には、そう記されていた。
リストにあった萬壽橋を常用漢字に変えて庵を加えた名称。おそらくこれなんだろうな。
萬壽橋、別名万寿庵橋発見。
今後、この橋を銘板に倣って万寿庵橋と呼ぶことにする。
なお、橋を渡った反対側には銘板が無かった。1箇所だけ取り付けられていたようなネジの痕跡があっただけだ。

下流側
上流側
橋を渡ってから振り返り撮影

いやいやいや、やっぱりおかしいでしょ笑。
公民館からずっと歩いてきたけど、こんなガードレールの使い方してる場所は他にないよ。馬鹿でかい反射板付けたデリニエータが道の両サイドにあるのは、車が接触する危険があるからでしょうよ。内側のガードレールいらないだろ。
外側のガードレールは欄干代わりに転落防止の役に立っているから必要だと思うけど、「ここにだけ」内側のガードレールを設ける意味が分からない笑。

おっと、意味の分からなさがあまりに面白くて、もうほとんど満足してしまってるが、この橋が石造りの欠円アーチ橋かを確かめなければ。路面の印象からはまったく石橋っぽさを感じないが、果たして。

ガードレールから身を乗り出して下流側を覗いてみたが、さすがに分からない。下から橋を見られる場所はどこだ?

ここだ。赤い矢印で示したように、橋の四隅のうち、北西側のここだけが下へ降りられる場所。ほとんど民家の軒先なので接写は遠慮しておく。

ここを降りて、振り返ると

はい、出ました!かわいい石造アーチ橋とのご対面だ!

こう来たかー、埋まってる系だったか!
表面に見える石はだいぶ劣化してるけど、アーチ部は崩れもなく綺麗だな。
コンクリート製の現在の橋に5mにも満たない短い石橋がすっぽり収納されておる。箱詰めされたネコのような可愛さがある。
足を濡らさずに橋の下を潜り抜けるルートを探ったが、これは無理そうだ。残念。

アーチ部の拡大。円の頂点に位置する要石がよく見える。上から垂れてきてる枯れ藪を撤去すればもっとよく見えるんだけど、惜しいな。

うん、これは可愛い橋だよ。私は可愛い橋がとても好き。同じ趣味を持つ人には見る価値があると思う。

現道に戻ってきた所

でも正直、今回は石橋の上に乗っかった現道の異様さが面白くて、石橋のインパクトが薄れてしまった感がある。考えようによっては、一粒で2度美味しい万寿庵橋だった。こういう出会いは調査なしで現地探索をすることの楽しみだね。

この後私は県道丁字路の店でお弁当を調達し、しばし休憩の後、もと来た道を戻ろうとした。最初の方に挙げた地図の緑色の矢印を反対に歩くわけである。
当然最初に渡るのは何の特徴もないと思っていた県道41号の橋なのだが、

新万寿庵橋!!!

いやー、今まで車で通過するだけだったので完全に見落としてたが、生きてたんだね万寿庵の魂は。主要地方道の立派な2車線の橋になって。

現道の下に収納されて二度と日の目を見ることはないだろう万寿庵橋、その魂を受け継ぎ地域交通の要衝として活躍する新万寿庵橋。
万寿庵の名を冠する二つの橋が私の中で時代を超えてつながったところで、今回の探索はめでたしめでたし終了である。


と、思っていた。
しかし。
実は万寿庵橋を巡る探索は、これで終わりではなかった。
後日もたらされた情報により、私は再びこの地に万寿庵橋を求めることになる。

つづく

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