ASD者の心もよう

大人になってから診断を受けたASD者(男)。心に浮かんだことを綴っていくつもり。

ASD者の心もよう

大人になってから診断を受けたASD者(男)。心に浮かんだことを綴っていくつもり。

最近の記事

世の中はくだらないという意識

世の中はくだらない、下等なものだという意識が心の奥にある。 ASDの性質ではなく、そうした意識こそが自分の生きづらさの原因になっているのではないかと言うことに最近気づいた。 自分を取り巻く世の中に対する違和感は小さなときから薄々、しかし多々感じていたし、 (年齢上は)大人になるにつれてそれらの違和感はますます顕在化することになった。 それは根本的には、当時は未診断であったASDによって生じるものの感じ方の違いだったのかもしれないが、 それ自体は良い悪いのないただの「他人との

    • 人の役に立ちたいと思わない

      これから書くことは私だけの問題であり、ASDの人間がみな同じように思っているのではないことは初めに明言しておく。 そのうえで、あえて私の感じ方を書く。 私は今、人の役に立ちたいと思わない。 正確には、人の役に立てるのであれば立ちたいが、人の役に立つことだとしても自分の本心に反することを言ったりやったりするのは我慢できない。 そもそも人間が他人の役に立とうと思ったら、他人が求めるモノや行動が何なのかを推測し、相手が喜ぶ様を想像するといったプロセスを踏むであろう。 しかしAS

      • 心がざわついたある発言

        久しぶりの投稿になる。 今回投稿する話題はあまり心地よい内容ではないかもしれないが、この場で思いを明かさずにはいられず記事を書いた。 今回述べるのは、ネット上でたまたま私の目に入ったある発言についてである。 発言者個人に対する攻撃をするつもりはなく、その発言内容自体に焦点を当てたいので、発言者を具体的に明かすことは控える。 もしこの記事が見つかったとしても、後述の通り発言者は「ASDの人とは一切関わらない」と宣言しているので、ASDを公言している私の記事に反応してくることも

        • 「お互いに歩み寄りましょう」という罠

          前回の投稿からだいぶ間が空いてしまったが、短い記事を上げることにしたい。 しばしば、発達障害者と定型発達者は、あるいは一般に少数派と多数派は「お互いに歩み寄りましょう」と言われる。 私はこの言葉を額面通りに受け取ることはできないと思っている。 「お互いに歩み寄る」ことが真に成り立つのは、夫婦間のような本来対等であるべき間柄のみである。 従業員と職場、もしくは個人と社会のような、1対9、あるいは1対999以上の圧倒的な力の非対称性が存在する関係においては、両者に等しく歩み寄

        世の中はくだらないという意識

          緊急事態宣言解除後の新しい日常に対する不安

          きょう(5月25日)夜、緊急事態宣言が全面解除された。 一部業種の休業要請や移動に対する自粛要請はまだ残るものの、感染者が減少し日常生活に対する制限が徐々に緩和されることは喜ばしいことだ。 もっとも以前の記事で述べたように、対人接触の必要性が小さい生活は私にとってかえってストレスの少ないものだったことも間違いない。 そんな中で私は極端な感じ方かもしれないが、緊急事態宣言解除後の新しい日常に対して2つの点で不安を抱いている。 1. コロナ以前のルーティーンが通用しなくなるAS

          緊急事態宣言解除後の新しい日常に対する不安

          すっぱいブドウ

          むやみに定型発達者と発達障害者という二項対立で物事を語るべきではないと思う。 だが、今回は便宜上あえて定型発達者が多数派を占める世の中が存在すると想定して話を進めたい。 私は発達障害と診断されて以来、自分と世の中のものの感じ方の違い(認知のズレと呼ぶべきかもしれないが)に目を向けざるを得なくなり、その溝の広さ、深さに人知れずショックを受けてきた。 時には「そんな世の中に歩み寄り、理解しようとすることにどれだけの意味があるのか」と感じてしまうようになった。 それは自分が多数派

          すっぱいブドウ

          他人の気持ちを理解した「ふりをする」こと

          私はASD向けの集まりに通っている。もっとも、この2ヵ月ほどは新型コロナウイルス感染症対策を理由に開催されていない。 今回はその集まりで聞いた話を起点にして感じたことについて書きたい。 少し前のこと、その集まりではASDが苦手とされる「他人の気持ちを理解すること」に関して、ある人が「他人の気持ちは究極的には分からない。分からないなら、分からないなりに寄り添おうとする態度が大事だ」という話をした。 私はそれを聞いた時、確かにそうした態度は大事であると感じた。 だけど、とその

          他人の気持ちを理解した「ふりをする」こと

          ASD者がコロナウイルス感染症流行下で感じたこと

          初回の投稿から1ヵ月以上間が空いてしまったが、久しぶりに投稿する。 今回は、幸いにして既に新規感染者数は減少傾向にあるものの、コロナウイルス感染症流行下で感じたことを述べたい。 職場で3月末より在宅勤務が実施されて以降、ほとんど毎日を一人暮らしの自宅で過ごすようになった。 食料の買い出し以外は外出を控え、連休も含め1ヵ月半以上自主隔離に近い生活を送っている。 当初は在宅勤務における業務ペースの維持に戸惑い、また市中での感染拡大に不安を感じたものの、しばらくすると以前のよう

          ASD者がコロナウイルス感染症流行下で感じたこと

          他人の気持ちを理解しようと思ったら、自分を否定しなければならないのか

          note初投稿になる。 ASD者として考えること、感じることを綴っていきたい。 今回はASD者が苦手とされる「他人の気持ちを理解すること」について書く。 私が他人の気持ちを正しく理解しようと思ったら、自分の中で浮かんでいる「この人はこう思っているんだろう」という解釈をいったん脇に投げやって、その人の言っている内容、表情そのものに意識を向けなければならない。 それは試験の終了間際に一度書いた答案を消して書き直すように、頭脳に瞬発的な負荷がかかるプロセスであり、自分の感じ方、

          他人の気持ちを理解しようと思ったら、自分を否定しなければならないのか