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人の役に立ちたいと思わない

これから書くことは私だけの問題であり、ASDの人間がみな同じように思っているのではないことは初めに明言しておく。
そのうえで、あえて私の感じ方を書く。

私は今、人の役に立ちたいと思わない。
正確には、人の役に立てるのであれば立ちたいが、人の役に立つことだとしても自分の本心に反することを言ったりやったりするのは我慢できない。

そもそも人間が他人の役に立とうと思ったら、他人が求めるモノや行動が何なのかを推測し、相手が喜ぶ様を想像するといったプロセスを踏むであろう。
しかしASDの人間は(と、前置きに反してここで主語がデカくなるのをお許し頂きたいが、)他人が求める物事を推測する力や、相手が喜んだ時に自分も共感することへの志向性が弱く、そもそも他人の心的状態を推測する基準となる自分のデフォルトのものの感じ方がスタート時点で標準と大きくずれているのである。

そうしたASDの人間が他人の役に立とうと思ったら、自分の素直に感じたあり方、ものの見方を大幅に否定して他人と向き合わなければならなくなる。それは私にとっては天地がひっくり返るほど精神的に動揺させることだ。
ふーん、あなたはそうしてもらえると嬉しいのね。別に自分はそうまでしてあなたの役に立ちたいとも思ってないけど。
こんな心の声が態度に現れないように自分の精神の手綱を慎重に握りながら、さぞ私はあなたの役に立ちたいと思っていますという顔をひねくりだす。

職場勤めをしている人間の立場でこんなことを言うのも気が引けるが、私はこの仕事が相手にしている関係者やあるいは業界に対する貢献意欲というものはもはや持っていない。あるいは最初からなかったのかもしれないが。
幸い、今の業務の中では直接人と触れ合う気合が少なく、おかげさまでそうした内心の葛藤が問題になる瞬間は少ない。
いずれ部署を異動になって人前でより職場の論理に従った行動を求められると、自分の本心と求められるあり方の軋轢が激しくなるのかもしれず、恐れているが。

以上、睡眠薬による眠気と興奮状態との狭間で書き上げた文章。

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