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心がざわついたある発言

久しぶりの投稿になる。
今回投稿する話題はあまり心地よい内容ではないかもしれないが、この場で思いを明かさずにはいられず記事を書いた。

今回述べるのは、ネット上でたまたま私の目に入ったある発言についてである。
発言者個人に対する攻撃をするつもりはなく、その発言内容自体に焦点を当てたいので、発言者を具体的に明かすことは控える。
もしこの記事が見つかったとしても、後述の通り発言者は「ASDの人とは一切関わらない」と宣言しているので、ASDを公言している私の記事に反応してくることもないだろう。

その発言は以下のようなものである。

ASDの人は「事実を大事」にしているのではなくて、「彼、彼女の本人に対して都合の良い事象を事実と誤認している」ように思える。
なので、「自分自身に対して不都合な事実」は頑として受け入れず、それを押し通すためにダブスタ、逆ギレ何でもアリになる人が多い
以前はASDの人は「社会的弱者」なので、親切心を持って彼らを手助けするべきと思い込んでいたけど、実際に彼らと付き合うと存外に我儘で、「自分の主張は通って当然」と思い込み、コチラの主張に対しては一切聞く耳を持たない事を身を以て知ったので、今では一切関わらないようにしている

これらの発言を目にして、大いに心がざわついた。

ASDの人間が「彼、彼女の本人に対して都合の良い事象を事実と誤認」する傾向があるのは認めざるをえないし、私自身その傾向があることを自覚している。
そうした傾向は周囲との軋轢を生むことも理解しており、抑制しようと努めている。
この問題については別の機会に考えを述べたいと思う。

一方で、当該発言には自分にとって無害な存在のみを「弱者」として認めるという立場が透けて見えており、そうしたご都合主義的な弱者観を持つ人間が世の中に存在するということに私は愕然とした。
そのような立場から発せられる親切心など、熨斗をつけてお返ししたいところだ。

もっとも、私自身が「自分にとって不都合な事実を受け入れない」ASDにならないよう公平を期して補足すると、発言者はそれに続きこう述べている。

今ではASD、ADHD、障碍者関わらず、自分が好意を抱いた人以外は助けもしない

そうした態度を公言することには疑問を抱いたものの、ある意味では一貫した態度であり、実際のところ多くの人間が口には出さずとも実際に取っている態度なのかもしれない。

最後に、ASDに対する哀れみや特別扱いを求める意図で言うわけではないが、ASDがこの社会の中で全員が全員そうではないにせよ弱者とされてしまうのは、あえて言えば周囲にとって迷惑となるその特性ゆえに他者から避けられることこそが原因の一つなのだろう。その意味で、一連の発言は図らずもASDを取り巻く困難の核心に触れているのではないか。

まとまりのない文章になったが、今日はこのあたりで書く手を止めることにする。

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