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東京を旅立って1年が経った

雨が降るたび冷え込むようになった夕暮れ時、ポストに縦長のダイレクトメールが届いていた。

この類は普段すぐに破いて捨てるのだが、やたら大きいので封を切ってみると、どうやら電子タバコが2980円安くなるクーポンらしい。

偶然にも僕は、1ヶ月ぐらい必死に禁煙をしている。

喉に引っかかるタールが恋しくなるタイミングで送りつけてきた青いコンビニが、なんとも憎らしい。

ふと、送付先の上に貼られたシールへ目がいく。

「転送期間:2019年10月31日迄」

古い宛先に届く郵便物は、郵便局で手続きをすると1年間は新しい住所へ届けてもらえる。

つまり僕が引っ越しをしてから、1年が経過したということだ。

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2018年11月。高校卒業からおよそ10年過ごしてきた東京を離れて、故郷の岐阜県に戻ってきた。

親友に見送られて品川駅から新幹線に乗り、名古屋駅で特急に乗り換えると、木々が少しずつ赤や黄色に染まっていったことを覚えている。

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あの日から色々なことがあった。

仕事においては、未経験でテレビ局の制作部に流れ着いてしまい、20代後半にしてゼロからのキャリア再開。

カメラなんてほとんど触ったこともなかったが、インスタグラムに精を出していたおかげか、構図については多少の評価をもらっている。

以前のようにチームで進める仕事もある一方、アポ取りから取材、撮影や原稿のライティング、果には映像の編集まで一手に担う業務が多い。

何よりも通勤手段が電車から往復2時間の運転に変わったことは、ライフスタイルに少なくない影響を与えている。

深夜まで残業していた頃とは変わり、夕方の担当番組を完成させるまで目まぐるしく働いて、放送が終わると目を擦りながらハンドルを握る生活。

休みが20日ぐらい減ったのは、なかなかにしんどい。

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プライベートでは「結婚」を目標に、運命の女性との出逢いを夢見て歓楽街に繰り出したり、マッチングアプリを始めたりした。

どうか、進捗は聞かないで欲しい。

僕のことはさておき、高校時代からつるんできた野郎のもとに、もうすぐ子どもが産まれてくる。

彼は大学卒業まで自身の「純潔」を守り、僕らはいつも笑いのタネにしていたものだ。

また別の友人が、僕の収録現場に子どもを抱いてやって来たこともあった。

結婚に至るまでも波乱万丈があり、新しい悲劇が襲うたびに僕らはそれを肴に飲んだくれていた。

どうか、許して欲しい。

でも嬉しかった。心からおめでとう。

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しかし残念ながら良いことばかりでもない。

声の大きさと身体の丈夫さだけが取り柄だった父が、前触れもなく病に倒れてしまったのだ。

ヘリコプターで大病院に搬送されると、緊急手術などの懸命な治療により事なきを得て、2週間ほどで退院できた。

しかし何も知らずに車で向かっている途中、嫌でも「これからの段取り」を考えてしまったことを未だに忘れられないでいる。

どうか、みんな元気でいて欲しい。

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例年に比べ雪が少なかったとはいえ、日々続く寒さに凍えていた今年の2月のこと。

我が家のリビングでは月曜の21時になると、父が慌ただしくテレビのチャンネルをBS放送に回し、「吉田類の酒場放浪記」が流れ始める。

東京や地方の街をめぐり、地元に根づいた居酒屋で一杯やる番組を観ながら、グラスを傾けるのが楽しみらしい。

物騒な管に繋がれて横たわる姿を見ていた家族としては、禁酒を検討してみて欲しいのだが。

音にならない溜め息をつきながら隣で画面を眺めていると、ふいに見覚えのある景色があらわれた。

騒がしい五車線の道路から一歩踏み入れると閑静な住宅地が顔を出し、人々の生活に寄り添うように川が流れる街。

4ヶ月前まで、僕はそこに住んでいた。

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冒頭、昔ながらの「あられ屋」を訪ねている。

お世話になった取引先に渡そうと、ここで手土産を買ったことを思い出した。

シーンは夜に変わり、深紅色の暖簾を吉田類がくぐる。

父が「この居酒屋には行ったことあるのか」と尋ねてきた。

背景からどこに店があるかすぐに分かった僕は、「ニンニクがたくさん乗ったラーメン屋が近くにある」と答えになっていない返しをした。

たしか当時付き合っていた彼女とホームパーティーをしようと、ローストビーフ用の肉を仕入れた精肉店もそう遠くないはず。

二人で向かいの酒屋でワインも買ったし、韓国風の惣菜屋で牡蠣のキムチを試食して、最後はクレープ屋に寄って帰ったんだっけ。

さすがにそこまでは触れなかったが、安くて鮮度の良い刺し身を出す居酒屋や、岩手産のトマトで作るレッド・アイが旨いバーの話を立て続けにした。

食べたものや飲んだ酒、店の情景、誰かと交わした言葉、川から上がる磯臭い空気と排気ガスが混じった街の匂いを、身体が覚えている。

たしかに僕は、ここに住んでいた。

でも二度と、ここに住むことはない。

年月が経って僕に家族ができたとき、同じような番組を見ながら「父さんは昔この辺に住んでたんだ」なんて話をするのだろうか。

たかが4ヶ月が遠い昔のことのように思え、時間という不可逆なベルトコンベアの上にいることを改めて実感した。

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2018年10月27日。学生時代からの仲間たちが、東京を発つ僕を励まそうと開いてくれた送別会でのこと。

昼過ぎから卓を囲み、夜はパーティースペースで僕の好きなセクシー女優を暴露された後、10年間の写真を集めたムービーを見せてもらった。

朝まで続いたカラオケで男たちは服を脱ぎ、だらしない身体を揺らしながら、肩を組み合ってボヘミアン・ラプソディなどを合唱した。

酒と汗とタバコの匂いが部屋に満ちた午前4時、シャイで飲んだくれで下北沢の似合う友人が歌い始めたのは、クリープハイプの「栞」。

「今ならまだやり直せるよ」が風に舞う 嘘だよ ごめんね 新しい街に行っても元気でね

僕にとって地元は慣れ親しんだ場所だが、東京から見送る友達にとっては「新しい街」である。

あのお別れの時間、もっと一緒にいたいと言ってくれた彼らに、僕は何かを残せたのだろうか。

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この一年間、新しい環境に早く馴染みたくて、今までできなかったことができるようになりたくて、とにかく手と足を動かし続けた。

目や耳から入るものも上書きしようと、東京での情報源にしていたアカウントをリムーブし、代わりにタイムラインを埋めたのは地元の政治家の投稿。

東京の友達とも距離を置き、連絡を絶っていた。

意図的に思考から「東京」という要素を排除し、これから生きていく土地の色に染まらなくてはと、焦燥感に駆られていた。

たくさんの人たちが僕をあたたかく送り出してくれたのに、僕自身がいつまでも変われずにいることが怖かったのだ。

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今振り返ると、無理をしていた。

「忘れない」なんて到底できるはずがないし、思い出を掘り返しては何度も見返し、また埋め直すような癖がそもそも僕にはある。

送別会で貰った寄せ書きに、僕よりも数年早く東京から故郷へ旅立った先輩が、こう綴っていた。

「地元に帰っても様々な葛藤に出会いますが、立ち返る場所があるのは僕らの強みです」

これまでの経験や出会いがあるからこそ、今の状態で故郷に立っているのであり、決して初めから立ち止まっていたわけではない。

東京で紡いだ10年間の前章と、壮大な相関図を成す登場人物たちを支えに、僕は新章も主人公をやっていく。

簡単なあらすじなんかにまとまってたまるか   ー  「栞」

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東京での別れ際に親友からもらった手紙を久しぶりに読んでいると、こんな言葉があった。

「もし君のことを君自身が否定しそうになったり、他人が石とかを投げつけてきたときは電話してくれ」

幸いにも石が飛んでくることはなかったが、自身の不甲斐なさや脆さに耐えきれなくなる夜もあった。

昔のように自分の恥ずかしい部分をさらけ出せるような人にすぐ会えたらいいのだけれど、車が無いとどこへもいけないような場所にいる。

心配させて君には悪いけど、少し寂しい。

ただ忘れていけないのは、不可逆で平等な時間の中で、東京を去るという選択をしたのは他でもない自分だということ。

どうやったって戻れないのは一緒。

じゃあせめて、これから誰とどこに、どうやって向かうかぐらいは、自分の頭で決めたいと思う。

よく分からない人たちに、嫌味を言われることもあるかもしれない。

その度に心の中で、「俺のために集まって、背中を押してくれるような友達が、俺にはお前よりもたくさんいるんだぞ」と呟いてやるさ。

大丈夫、わかってる。

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来週、僕は後輩の結婚式で乾杯の挨拶をするために東京へ行く。

大して好きでもないマリーンズの試合によく連れて行かれ、酒を浴びるように飲み、くだらない話を交わした二人。

それにしても今年に入ってから、結婚式のために上京するのは3度目だ。

いつか必ず、東京から大量のご祝儀を回収してやろう。

その日のためにも、今日も僕は禁煙を続けなければならない。

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