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17歳、童貞。世界を敵に回す。/ もう会うことのない人たちへ #3

もう会うことはないだろうけど、どうしても思い出してしまう人っていませんか?

このまえ飲み屋で仲良くなったお兄さんに「君は本当に童貞だな」と言われました。

「本当に」とは程度がはなはだしいときに使う副詞、つまり形容詞とか動詞を修飾します。ということは、この童貞は名詞ではないらしいですね。とても画期的なお兄さんです。

漢ビバリーヒルズポロクラブ、おかげさまで「童貞」の資格はとうの昔に失効しております。ありがとうございます。

しかし久しぶりに童貞と言われたことで、僕が童貞だった日々とそのせいで性格をこじらせてしまった話が思い出されてしまいました。どうしてくれるんですかお兄さん。

なので今日は甘じょっぱい思い出を供養していきます。よろしくお願いいたします。

初恋の終わりは2秒後に

思春期、というと一般的に8〜17、8歳のことを言うらしいが、そのあいだ僕は本当に異性が苦手だった。厳密に言えば死ぬほど大好きなのだけれど、フランクに接することができなかった、というのが正しい。

女子生徒と目が合うと0.3秒で視線を外し、1秒見つめ合うと顔が真っ赤になって後頭部から汗が流れ、2秒経つとオートマティックに恋に落ちた。抱きしめられてもいないのにparadiseにいるみたいである。

象徴的なのが、中3の夏休みに生徒総出で体育祭の準備をしていたときのこと。僕は小学5年生からずっと好きだった接骨院の娘と同じグループで、めちゃくちゃに浮かれながら応援合戦の歌をつくっていた。

流行りのJ-POPを皆で持ちよって「赤団優勝〜!ウォウウォウ〜」などと中身のない歌詞をあてる作業をしていると、応援合戦に使うデケぇ絵を描いているグループに呼び出された。

「お前楽しそうじゃん」とか男子にいじられていると、2005年当時には珍しいショートカットが似合う女の子が、僕の目を見ながら「誰が好きなの?」と小声で聞いてくる。

この瞬間、情けないことにショートカットが好きになった。小5からの5年間の恋は、他の女子と2秒目を合わせて終わったのである。ちなみに接骨院の娘はデケぇ絵を描いていたクラスメイトと、ショートカットは知らない消防士と結婚したらしい。

それでも懲りずに恋をする

救いのない中学生は、進学しても「2秒ルール」が継続する残念な高校生だった。しかしそんな僕にも転機が訪れる。

2007年4月。2年生に進級すると初めてのクラス替えがあった。文系を選択したはずなのになぜか理系の、しかもスクールカーストが高そうな男が過半数を占め、青ざめたのを覚えている。

女子の顔が覚えられないことに定評のある僕だったが、去年一度も見たことがない強そうな人が多く、初日から「はやく3年生になりたい」とさえ思った。

憂うつな気持ちで、とにかく目立たないように席に座って壁を見ていると、ぱしぱしと後ろから肩を叩かれた。

振り向くと、目が大きくて、髪が少し茶色い女の子が「よろしく」と僕に言っている。なんだか大きなネコみたい、というのが第一印象だった。

手探りの新学期。分け隔てなく快活で、どの男子にも同じテンションで飛び込んでいく彼女は「きっとモテるんだろうな」と思わせる一方、どことなく危なっかしい姿があった。臆さず言えば、同性に好かれにくいタイプというか。

しかし当時の僕は「目合って2秒で恋に落ちる男」だったので、当然のように淡い恋心を抱いていた。そういえば君は弓道部の先輩が好きなはずなのに、何をやっていたんだ?ちゃんと光めざして矢は放ったのか?

冴えないゾンビはスリラーを踊る

時を戻そう。

校舎の裏山が新緑であふれると、文化祭の準備が始まった。出しものは学級ごとに模擬店や映画などさまざまで、なかでも劇は人気があった。

配役によって男女間に恋が芽生えることもしばしばで、冴えないくせにスポットライトを浴びたい僕は「主役に抜擢されたら彼女がヒロインでムヒヒ」などと妄想を膨らませたものだ。

しかし現実とは不可解である。我々のクラスを仕切る女子生徒がある日突然マイケル・ジャクソンに感化されたせいで、全員「スリラー」を踊ることになってしまった。登場人物はみなゾンビなので恋もクソもない。

休み時間だけでは飽き足らず、部活が終わった19時頃から近所の公民館に集まり、スリラーの振り付けを練習する日々がはじまった。青春とはかくも薄暗いのか。

本番まで1週間に迫った雨の夜。いつも21時過ぎに解散して各々帰路につくところ、その日は公民館に忘れ物をして取りに戻った。

狭い路地裏で、僕は、見てしまったのだ。彼女がクラスメイトのキザ男と一緒の傘に入っているところを。

二人と目が合ってから、きっと2秒以上固まっていただろう。とにかく驚いたのだ。

その頃になると僕は彼女とメールを交わすようになっていて、毎晩のように悩みを聞いていた。話題はいつも、周りの女子とうまくやれていないとか家がどうとかパーソナルな内容。だからてっきり自分は彼女にとって特別な存在だと勘違いしていた。

文化祭本番。僕はやけくそでスリラーを踊りきった。目の前で見ていた中学の先輩が泣きながら笑っていたせいで、少なからずトラウマになっている。

だけど、もしあの恋が浮かばれなかったとしたら、僕は今でもステージの上でゾンビになったままかもしれない。

YOU & I VS. THE WORLD

秋が終わりかけになると、僕はクラス内で居場所を失った。

彼女とキザ男の仲が怪しくなってから、僕のところには相談メールが彼女から毎日届いていた。しかしいざ二人が別れた時、クラスのカースト上位連中はこぞってキザ男の味方をした。彼も中心人物だったからだ。

ある日僕のケータイが彼らに見られたとかいう事件があり、「敵」と裏で親密だったことが明るみになったことで総スカンを食ってしまった。

気まずい空気が流れる学校生活は堪えたけど、僕は悪いことをしている自覚なんて微塵もなかった。

当の本人に嫌われたのはともかく、他人の色恋沙汰で敵だの味方だの勢力図をつくりたがる連中が、ひどく幼く見えたから。

誰かの恋愛を批評するぐらいなら、テメーが全力で恋してみろよ。

彼女への秘めたる想いが叶うとかはどうでもよくなり、意地でも味方になろうと決め込んだ。たとえ2人vsそれ以外になろうと知ったことか。

こうして2秒で恋するモブ男は、17歳という貴重な青春を彼女に捧げると誓ったのだ。

突然吹いた春の風

簡単な日々ではなかった。

いつも一緒に過ごしていた連中が突然白々しくなり、昼休みに弁当を食べるにも居心地が悪かった。17歳という生き物は残酷で、昨日までの友を簡単に切ることができる。

それでも僕は素知らぬ顔で授業を受け、放課後は弓道に没頭してから家に帰り、寝る前は彼女とメールを交わす日々を続けた。童貞は意外と頑固なのである。

なのに僕の決心など何も知らない彼女が、他の男に惚れたとか言い始めたときはヤケになった。僕は彼女の男でもなんでもないから止める権利などない。「良い目の付け所だねえ」とかよく分からない褒め方をしてやり過ごした。

「テスト勉強をしながら私の話を聞いて欲しい」と家に呼び出されたこともある。学ランぐらいしか休日に着るものがなかった僕は、慌てて「しまむら」でネルシャツを買った。

当日、17歳の男女が家に二人きりという状況でも僕はいたって紳士的に対応した。童貞だからである。

端から見ると、彼女と僕の関係は不思議なものだったのかもしれない。どうして二人は付き合ってないの?と聞かれたこともあった。今さら僕が選ばれるはずないよ、というのが本心だった。

いちばん大切だったのは、ぜんぶで1000通ぐらいのメールをして、思春期の脆くて危うい心をさらけ出し合ったこと。お互いを特別な存在と認めるようになったのが何よりも嬉しかった。

そのつもり、だった。

卒業式が終わった3月はじめの夜。いつものように「話聞いてよ」と彼女からメールが届いていた。また誰かにシカトされたかと送ると、返信には「最近気になる人がいて」と書いてある。

1年近くも恋愛相談に乗りつづける自分をけなげに思った直後、本文の下に長い余白が続いているのに気がつき、何度もスクロールする。

「いつもそばにいて、私の話を聞いてくれる人。」

僕の他にそんな男がいたのかと一瞬落ち込み、いや待てこれは”アレ”なのではと気づき、悩んでもラチが明かないので電話をした。

1時間ぐらい経っただろうか。

僕たちは今さらながら、彼氏と彼女になった。

高校2年生も終わりかけ、初めて吹いた、春の風。

付き合わないほうがよかったかもしれない

しかし童貞とはどうしようもない生き物である。

付き合う前と付き合った後で性格が変わり果て、振る舞いがぎこちなくなってしまうのだ。

学校で会っても目をそらし、二人で話すことになっても言葉が続かない。というかメールばかりしていたから、面と向かって何を話せばいいのかわからない。

放課後の教室でひとり自習をしていると、彼女が現れて廊下で話そうと誘われた。「最近そっけない」と二の腕に触れられた瞬間、視界が真っ白になって何も考えられなくなってしまった。

以降の日々の記憶が、実はあまり無い。たぶんメールの数も減って、いっそう他人行儀になっていったんだろう。

期末試験も終わってクラスの解散が近づいた頃。「私たち、付き合わないほうがよかったかもしれない」と送られてきた。僕もすんなり納得してしまい、彼氏彼女の関係はあっけなく解消されてしまう。

ちょうど、付き合ってから3週間の夜だった。

4月になると僕たちは文系理系に分かれ、廊下ですれ違うことすらなくなった。高校3年生の日々は僕にとって素晴らしいものだったが、卒業するまで彼女ができず、情けなくも女子に触れたことは一度もない。

僕にとってはスリラー以後のおよそ10ヶ月が、思春期のぜんぶなのだ。

あの日メールですんなり納得したくせに、僕は18歳以降、彼女との一件を引きずることになる。なんせ女子と目も合わせられなかった男が、1000通以上もメールをやり取りして、教室という絶対的な世界を敵に回して心を通わせ続けた相手なのだから。

きっと彼なりに「この関係に先はない」と理解していても、本音では彼女を好きなままだったのだろう。


彼女が結婚した今となっては、どうにもならない話だが。

過去の恋愛を語る意味

ところで僕は、今年30歳になる。

あの頃の同級生も新しく出会った仲間たちも、それぞれの道を歩んでいる。

出世、昇給、結婚、出産、家のローン。一般的に社会的成功といわれる類の話題になると、僕は途端に黙り込んでしまう。あまり手にしてないから。

かつて肩を組んで笑っていた友達がどんどん前に進んでいる一方、僕は学生時代にモテなかった話を週末の夜に書いている。

幸せとは相対評価ではないし、そもそもコンプレックスを抱いてるなら努力しろよという話なのだが、今日はその話はやめてクレメンス。

僕はこうやって過去の恋愛を茶化&美化して書き残すことに大きな意義を感じている。

そもそも恋愛とは、めちゃくちゃ個人的ではずかしくて情けない己の心を他人と見せ合う行為だ。

(彼女もいない男が恋愛を語るなと言われるとこの話はオートマティックに終わる)

たしかに上手くいかないことばっかだった。めちゃくちゃひどいこともしたし大変な目にも遭った。まだ許せなかったり、とっくに黒歴史として消去した人もいるかもしれない。

でも僕にとっては、心をむき出しにして誰かを求めたすべての日々が愛おしい。

あまり暗い話はしたくないけど、過去に病気をしてから、自分の生きた証を確実にアーカイブしておきたいと思うようになった。

奇跡的に出会った人たちと心を揺さぶり合った事実が、僕にはとても尊い。

だからいつまでも忘れたくないし、必要な時に取り出せるように書き続けなければならない。

どんなに辛いことが待っていても、思い出が文章に閉じ込めてあれば、僕は勇気を持って明日をむかえられる。

たとえもう会うことが、なかったとしても。

飲み屋のお兄さんが童貞とか言うせいでこじらせてしまいました。どうしてくれるんですか???

まあでも実際、現在うまくやれないとかヒネくれた性格をしているとかを、昔の出来事のせいにするのがむちゃくちゃダサいというのは大いに承知してるんですよ。

でも僕は世間的にかっこいい大人になるよりも、自分が面白がれる自分でいることがいちばん大事なんで、大丈夫です。

読んでくれてありがとうございました。またやっていきましょう。




スクロール

高校卒業間近に、せっかくだし彼女との思い出を何かに残しておこうと、ブログに書きしたためたことがある。

誰にも読まれたくなくて、でも書きたくて。悩んだ末に実行したのは、付き合った日付をパスワードにして載せる、同年代がやりがちな作戦。

僕らの記念日なんて誰も知らないし、ブログを開設して以来彼女と話してすらいなかったから、見られるはずがないと思っていた。

ところが鍵はあっさり破られ、コメントがついてしまった。僕との記念日なんか覚えてたんだなと、興奮と懐古が入り混じった感情を覚えている。

2009年4月。上京して一人暮らしに悪戦苦闘し、昼から自炊の特訓をしていた僕のもとに一通のメールが届いた。送り主は、見慣れたアドレス。

「知らない土地で一人になったけど、私はしっかりやっていきます」

僕へのエールは特になかった。ひょっとしたら本文の下に長い余白が続いていて、何度かスクロールしたら書いてあったのかもしれない。

だけどその一言だけで満足してしまった。

17歳のあいだ悩みばかりを僕に投げてきた彼女が、たしかな意志を送信してくれたから。

ケータイを閉じて、ふうっと深呼吸してから部屋の窓を開ける。

埃っぽくてあたたかい春の風が、まっすぐに吹き込んできた。

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