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VRで体験したいのは「未来」か「ノスタルジー」か?

「VRをああだこうだ言う前にまずはAVを観ろ」

昔会社にいたガジェットオタクのようなお兄さんが熱弁していたのを寝る前にふと思い出した。

VRが一般的な言葉になってからだいたい4.5年。

実は今までVRに触れたことがなくて、彼の発言も「はあ…」という具合にスルーしてしまった。興味があまりないのも事実で、結局「仮想」でしょ?と冷めた感情もある。

スマホでVRコンテンツを観るときに使うゴーグルを持っている友達に聞いてみても、マリオカートとかライトなゲームで使うことがほとんどらしい。


これからもっとデバイスが進化して、お求めやすい価格になったら、体験が変わるのかなあと期待する。

視覚はもちろん、嗅覚、触覚、聴覚、味覚、五感すべてを支配されたとしたら?

それも楽しみだけど、一番重要なのは「俺は今VRでゲームをしているぜ」ってことを忘れられる没入感なのではないか。

神経にアクセスして、VRを装着していることを忘れさせる仕組みができたら、すごいなあ。

(”水曜日のダウンタウン”で、酔いつぶれたクロちゃんにVRを装着してお色気コンテンツを流した回をここで思い出す)

「仮想現実」というけど、記憶を操作して五感すべてをデバイスに委ねたら、それはもう現実世界の一部だよな。


そんな「神経アクセスハイパーVR」でどんな体験やゲームをしたいだろう?

すでにある(であろう)ものも含めて考えてみた。

・空を飛ぶ

・異世界RPG

・プロ野球スピリッツ

これらは叶うはずのない「未来体験」に部類される。

実際に翼で空は飛べないし、異世界に行って魔物は切れないし、プロ野球選手になってグラウンドを駆け回ることはできない。


しかしこれらはどうだろう?

・体育館裏で好きな女の子に呼び出される

・センター試験

・少年野球の試合で「サヨナラのチャンス」

これらは全部、叶えたかったけど叶わなかった「過去体験」だ。

学生時代に好きな女の子に呼び出されることはなかったし、センター試験は大失敗して志望校に行けなかったし、サヨナラのチャンスでは三振だった。

そんな苦い過去を「コンティニュー」して、成功できる体験ができるとしたら?

流行りの「なろう小説」みたいな発想だけど、VRコンテンツを属人的にカスタマイズできるとしたら、過去の失敗を「正史に戻そう」とする人は多いのではないか?

そこまでいかなくても、例えばダムに沈んだ故郷とか、取り壊してしまった実家とか、個人の思い出を再現できる時代も来るかもしれない。

「AI美空ひばり」が紅白に出て山下達郎がキレたりしてたけど、故人が僕らの世界に登場する未来は、もはや今日だ。


人類の叡智と最先端のテクノロジーを結集したVR。

あなたが手に入れたいのは「未来」か、それとも「ノスタルジー」か?

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