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音楽への日本人の意識

「岸・ロングフェイス・博幸」さんの講演会の、音楽業界の話で自分も色々と考えていたのだが、うちにインターンに来ているプログラミング未経験の女子大生も、たまたま偶然、今日、以下のようなことを書いていた。

「コンパスと高度と水平と地図と住所と天気と気温と気圧とGPSと」~ランキング入り~
http://www.materialize.jp/art/in-house-app/9230/

まぁ「アジアって料理が美味しいかわりに音楽のセンスは捨てたの?」なんて逆にディスられることもありましたが^^
イギリスとかアイルランドって、確かに料理は地味だけど有名なアーティストたくさん輩出してますよね。食事や天気で満足できないエネルギーが音楽に昇華されている、なんて冗談にされていたりしますね(笑)

この子は留学してたので海外の友だちも多いみたいなのだが、上記のように、日本に限らず、アジア圏の音楽はセンスがないと思われているみたいで、実際、日本人の音楽への興味・関心って、どうなんだろうか。

ちょっとまず、noteについて触れたい。自分はnoteがサービス開始した当初から使っていて、そして1年以上、放置した。その時は、きっと衰退するだろうし、変な輩も増えるだろうと思って、前もってやめた。で、久々に戻ってきたら、何も変わっていなくて、サービス当初の質を保っていた。

誰かがnote内で書いていたのだが、noteは他のSNSなどの媒体と比べて、明らかに異質だという。note参加者の意識が清いし、発信している内容が何にしてもクリエイティブで、常に刺激になる。絵にしても文にしても、クリエイターをターゲットにしたことがとても良かったんじゃないかって書いてて、それは凄く共感できた。そして、こう書いていた。

「note内の音楽の著作権違反だけは、なんとかしてほしい」

自分は正直、音楽はそれほど興味なくて、こんな問題が広がっているなんて、知らなかった。どうやら、音楽の投稿は、著作権を違反したものが多いらしいのだ。

確か、どっかの弁護士が言っていたと思うのだが、日本での著作権の問題は、画像や写真など、目に見えて分かりやすいものは浸透してきたが、音楽のような聴いて口ずさむことができる無形のものは、意識が低いまま、という印象が強いらしい。

これって、音楽への関心が強いのか、弱いのか、どっちなのだろう?

トレースしただけで漫画家を叩くほど、絵やイラストへの意識は高まったのだと思った。音楽が、身近になれば、それは鼻歌に現れたりすると思ってて、それが替え歌になって、みんなで口ずさむようになって、音楽教室で習いたくなって、著作権を犯していると言われるようになる。

音楽に対する距離感って、すごく難しいんじゃないだろうか?

歩いていて、自然と口ずさんでしまう、人間に大昔から根付いていた文化で、もちろん、それらを自分が作ったんだって嘘ついて金にしてたらおかしいわけだけど、絵やイラスト、文章みたいに、理解して感心して好きになるものじゃなくて、なんとなく体内に入ってきて、なんかいいなって思って、好きになって、虜になって、幸せな気持ちになるって、すごく不思議なものを人間は作り出したんだと思う。

そんな感覚的なものだから、先進的な利害の考えにどうもピンとこないのかもしれない。元々体内にあった自然なものを無理やり固形にされた違和感というか。

だから、音楽への関心・意識が強いほど、好きなら好きなほど、ただ指を咥えて一方的に聴いているだけってのが、出来なくなるんじゃないかって思った。

コンサート事業が右肩上がりっていうのはなんかしっくりきてて、音楽データの利用なんかは完全に開放しちゃって、人間に音楽を返してやって、全身で音楽を楽しめる空間事業で盛り上げるほうが、音楽業界の復活は、一番の近道なんじゃないかって。

抑圧して、音楽から離れていってしまったら、いよいよ終わりだろうし、たぶん、人間は音楽を手放せないから、どんどんどんどん闇に潜ることになってしまうと思う。

あんまり音楽は聞かないけど、音楽ってかなり特殊な産物だと感じた。

ちなみに、「100s」が何年も前からずっと好きです。100s繋がりで、「レキシ」も好きです。

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