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調べてわかる事は真実か?(『ロッキード』レビュー)

私はgoogleで検索する時に自分に決めているルールがある。それは、1位だけじゃなく最低でも5位までは必ず見るということだ。当たり前の話だが、情報の出どころ(ソース)が1つでは間違えている可能性があるし、それどころか全くの嘘の場合も多いからだ。これは読書にも当てはまる。何かの事件について書かれている本を読むのであれば、1冊しか読まないのはダメだと思っている。最低でも2冊、興味深い事件であれば3冊以上読まないとその事件についての本質は見えないと考えている。だから今回読んだ『ロッキード』(真山 仁)も、以前読んだ『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』( 春名 幹男)が面白かったため、ロッキード事件に関する本を1冊で終わらせないようにと買った本だ※。

※ 『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』( 春名 幹男)について書いた記事は、こちらを参照してください。

自分ではGoogle検索の5位まで見たり、1冊では判断出来ないから複数の情報ソースにあたるという心がけをしていることは良いことだと思っている。ただしそれはアマチュアレベルで良いことに過ぎない。この本を読むと、プロのレベルで物事を調べるということはどういうことか?どの程度の情報を集めないと真実が浮かび上がらないのか?ということが分かる。この本は、ロッキード事件という既に過去多くの人により考察された事件について、再び先入観無しに一から膨大な事実を積み上げる。読めばそのインタビューと精査した資料の多さに驚くに違いない。著者は結論ありきではなく、その膨大な事実の積み上げの結果見えてくる結論を根気強く探り続ける。その姿勢には脱帽するしかない。著者が事実を積み上げて行く過程で、私が深く感銘を受けた点を2つ上げたい。1つは、皆が信じているものを疑うということだ。 2つ目は、「事実」と「人が言った事」を明確に分けて考える姿勢だ。つまり人というフィルターを通った時点で事実ではない。どんなに客観的に語ろうともその人の主観が絶対に入る。このことを常に忘れずに事実を積み上げて行く姿勢に感動した。

もちろん、これらの点はノンフィクション作家であれば誰もが持っていて然るべき資質だ。ただこの著者からは、それがページから滲み出るほどに感じる。それはこの真山仁とういう著者が、元々ノンフィクション作家ではなく「ハゲタカ シリーズ」などで有名な小説家であることが影響しているのではないだろうか?つまり真山仁氏は、この本の読者が小説家である著者のイメージを持って読むであろう事は当然予想出来る。読書は、この本の著者がフィクションの作家であるというフィルターがかかった状態でこの本を読むことになる。だからなおのこと著者は(意識的かもしれないし無意識かもしれないが)事実に対して真摯に向き合い、主観によって事実を曲げないことを肝に銘じているのではないだろうか?また真山氏の凄まじい調査にかけるモチベーションについては本の終盤に書かれた以下の言葉に見てとれる。

 政治は、関係者同士の秘密の囁きで決まっていく──。古今東西、この仕組みは不変であろう。
 だからと言って、真相を探ることを、我々はやめてはならない。  
 表出した事実を細かく精査し、そこに矛盾や不可解な点があれば、それを突破口にして、為政者が隠蔽しようとする真実を、白日の下に晒す──そうすることでしか、世界で何が起きているのかを、正しく知る術はないのだ。

『ロッキード』(真山 仁 文春e-book)より

この“為政者が隠蔽しようとする真実を、白日の下に晒す”このことが、著者がこのたゆまぬ努力を続けるモチベーションなのではないだろうか。

私が本書で特に感動した例をあげたい。まずは検察の起訴状の内容を疑って自分で実証実験をしている箇所がある。ロッキード事件の裁判では賄賂の現金受け渡しの供述があった。真山氏は供述通りに実際を車を走らせ、可能かどうか検証している。実際に現地で車を走らせて検証までしていることで現金の受け渡し場所としては人目に付きすぎる場所があったり、当時の天気(雪の日)に時間内に車が到達できる可能性の低さを述べている。また、ロッキード事件において有名な「メモ」がある。事件の中心人物であるロッキード社副会長(当時)アーチボルド・カール・コーチャンが残した人脈図が書かれている秘密メモだ。このメモに影響され当時の検察は動いたし、ロッキード事件を扱う他の本でも重要視しているメモだ。ところが、真山氏は皆が信じていたメモの信憑性を疑っている。どこの世界に賄賂のチャートを作る人間がいるのか?と考えている。言われてみれば確かにその通りなのだが、当時の検察も、数多くのロッキード研究者も、このメモに疑問を投げかけた人を私は見たことがなかった。これらの当たり前を疑う姿勢は素晴らしいと感じた。

このような真山氏の努力が今までに無かったロッキード事件の答えを導いてる。この本を読んだ読者は、ロッキード事件という表層の裏にあるとてつもなく大きな事実があるということがわかるだろう。ロッキード事件とは、単純に田中角栄とロッキード社の周りにとどまらず、戦後の日本の政府・航空会社・裏社会の歴史、アメリカの政府・航空軍需産業の歴史、さらに中国やソ連などの世界情勢にも接続しなければその答えは見えない。そして今なお、アメリカの軍需産業と日本政府の関係においてまだ継続中の問題であることも示唆されている。

最後に、本を読み終えた後に自分が感じたことを書きたい。それは、私のGoogleで検索する時に5位まで見るということが、かなり危うく見えてきたことだ。そもそもGoogleで検索可能な表層に見えているものに真実は無いだろう。それは1位だけじゃなく例え5位まで見たとしても50歩100歩でしかない。表層に見えている物を細かく検証し、その裏を見るという姿勢が必要なのだと強く感じた。

<おまけ>
この本を読んで、『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』( 春名 幹男)について書いた記事のときに作った図を補完した。

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