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育休中に学んだこと⑦「総じて、自分らしさ」

4月中には「育休中に学んだこと」シリーズを完了したいと思っていて、最後のまとめが5月1日になってしまった。


40歳を超えて、いまさら「自分らしさって?」を考えるのも気恥ずかしいのだが。

総じて、育休は「自分らしさを整える」期間だったと思う。

どんな学びがあったのかということも、娘とのコミュニケーションにおいて得た気づきも。

そういう視点や感動のポイントすべてが「私らしさ」であって、「あぁ、私はこういうことを大切に思ってるんだ」と自覚することが「自分らしさを知る」ことだと思う。


私の20代前半は、「若さだけではダメだ。自分の得意分野を見つけなければ」と焦燥感にかられる日々で、自分のダメなところ・欠点にばかり目がいく。

そのくせ、褒められると照れくさくてむずがゆくて、大きな服を着せられている子どものような気持ちになってしまう。

自信がない故に、自分自身には分不相応すぎる評価だ、と思ってしまうのだ。

30代になると、「人は人、自分は自分」が馴染んできたものの、あからさまにライバル視されるような土俵に上げられるのが本当に苦手だった。
「人と比べられる」のは好きじゃなくて、自分のことじゃなくてもそういう発言をする人とも、できれば距離を取りたいと思ってしまう。


39歳になって初めて娘を出産し、「何も知らない人ほど、自分の経験の範囲でしかものを言わない」ということを改めて感じた。

誰しも、自分が経験したことがないものには不信感を示すのだ。
心配しているフリをして、余計なことしか言わない。

要するに、自分の人生は自分で責任を取っていくしかない。
自分の人生とは、自分らしさをどう表現していくかに尽きる。


出産後に初めての子育てがスタートしてから、よりその思いは濃くなった。


「育児に正解はない」

「ママさんの気持ち次第」

「ママさんが決めることだよ」


何が正しいか、は本当に人それぞれで、その判断をするのは私自身でしかなく。

私自身も「自分がどんな育てられ方をしたか」「自分はどんな親でありたいか」という主観でしかなく。


ネットや書籍の情報、他人の経験談をインプットするものの、それはその「誰か」にとっての正解で、私自身のことではないと思い知らされる。


そのくせ、「育児、楽しんでね!」と言われる。


楽しむ、とは・・・?


行きついた答えは、それこそ「私らしく生きる」ことでしかなかった。

私が心地よくあることが、子どもも心地よく生きられる。

私が楽しんで過ごすことで、それが娘にも伝わる。

子どもに「人生を楽しんでほしい」と望むなら、まず私が楽しんで生きる姿を見せたい。



ところで、私の私らしさを言語化するとどうなるか。


心からの私の「好き」を信じて、ポジティブな共感をもって他者との繋がりをつむぎながら、自分にも相手にも無理せずナチュラルに生きたい。


これ、noteのクリエイターページの自己紹介に入れている。

私らしさ。
私の生き方、と言い換えても良い。

私が生きる上で大切にしている価値観を言葉にすると、こうなった。


娘にこれを強いるつもりはない。

娘には娘の価値観、生き方がある。

ただ私は、それを娘自身が自分で気づけるようなサポートをしたい。


妊娠中は一心同体だった娘が、この世に出てきた瞬間から、私とは別人格の別の生き物。

その別人格が、自分で成長していこうとする力を邪魔せず、腐らせず、自由にのびのび育っていけるように。


こんなふうに思っていることも、私らしい結論なのだ。

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